主人の両親は、其々子供を一人づつ連れて再婚しました。 再婚後、三人の男の子に恵まれたのですが、一人は産まれて一年程で、もう一人は10年程前に亡くなりました。 そして残った一人が主人です。
主人の母が亡くなってからは、主人を要に兄姉弟だったんです。 主人を抜けば血では繋がらない方の集まりでした。
一年半前に、主人の父が亡くなってから、色々と有りました。 長兄は義父の連れ子。姉は義母の連れ子でした。
義父は自分の子供を親戚に預け、血の繋がらない義姉を我が子同然に育てました。
しかし亡くなる頃には、手放した息子に詫びたい心が大きくなっていました。其処で義父は遺言書で、長兄に可なりの金額を残しました。 それが義姉の家族には、腹立たしかったようです。
まだ、仮通夜も済まぬ間に義父の遺言書を探し出し、義姉の家族だけで開けてしまったのです。
そして「こんな分け方はおかしい!」と言いだしました。 主人は病院で父親からこう言われていました。
「お前にはすまないが、お兄ちゃんに沢山やってくれ。 俺はあいつにすまんことをした。 あいつには一番苦労を掛けた。」
「親父の金やないか。 親父の気の済むようにしたらええねん。」
と主人は答えたそうです。ですから、不満を唱える義姉の夫にも
「親父の金を親父のしたいようにさせてやってくれ。」
とそう答えました。
主人の前に、既に封の開けられた遺言書が投げ出されました。 私達の中に、義姉の家族に対する不信感が産まれたのはその瞬間だったと思います。
長兄は、死を前にしての義父の心を聞いても心を開きませんでした。お葬式も49日も出席を拒みました。
ただ一枚、遺産に対する領収書だけが返送されて来ました。
「金額以外、一言の礼も書いて無い!」
と義姉の夫は吐き捨てるように言いました。 長兄が誰に対して礼を言えば気が済んだのでしょう。。。。。。
以来、交流が途絶えました。 去年の初盆も、私は何時義姉や義姉の家族がお参りされても良いようにと毎日待っていました。
しかし、デパートからお菓子が届いたきり、誰一人お参りは有りませんでした。
今年も昨日、お菓子が届きました。 義父と義母は仲の良い夫婦でした。 二人の遺影が私を見下ろしています。
主人の母が亡くなってからは、主人を要に兄姉弟だったんです。 主人を抜けば血では繋がらない方の集まりでした。
一年半前に、主人の父が亡くなってから、色々と有りました。 長兄は義父の連れ子。姉は義母の連れ子でした。
義父は自分の子供を親戚に預け、血の繋がらない義姉を我が子同然に育てました。
しかし亡くなる頃には、手放した息子に詫びたい心が大きくなっていました。其処で義父は遺言書で、長兄に可なりの金額を残しました。 それが義姉の家族には、腹立たしかったようです。
まだ、仮通夜も済まぬ間に義父の遺言書を探し出し、義姉の家族だけで開けてしまったのです。
そして「こんな分け方はおかしい!」と言いだしました。 主人は病院で父親からこう言われていました。
「お前にはすまないが、お兄ちゃんに沢山やってくれ。 俺はあいつにすまんことをした。 あいつには一番苦労を掛けた。」
「親父の金やないか。 親父の気の済むようにしたらええねん。」
と主人は答えたそうです。ですから、不満を唱える義姉の夫にも
「親父の金を親父のしたいようにさせてやってくれ。」
とそう答えました。
主人の前に、既に封の開けられた遺言書が投げ出されました。 私達の中に、義姉の家族に対する不信感が産まれたのはその瞬間だったと思います。
長兄は、死を前にしての義父の心を聞いても心を開きませんでした。お葬式も49日も出席を拒みました。
ただ一枚、遺産に対する領収書だけが返送されて来ました。
「金額以外、一言の礼も書いて無い!」
と義姉の夫は吐き捨てるように言いました。 長兄が誰に対して礼を言えば気が済んだのでしょう。。。。。。
以来、交流が途絶えました。 去年の初盆も、私は何時義姉や義姉の家族がお参りされても良いようにと毎日待っていました。
しかし、デパートからお菓子が届いたきり、誰一人お参りは有りませんでした。
今年も昨日、お菓子が届きました。 義父と義母は仲の良い夫婦でした。 二人の遺影が私を見下ろしています。