もう古くなったギャグをタイトルにしちゃいました。
それは、置いといて・・
昨日くらいからピアニストの辻井伸行さんが、国際的なコンクールで優勝したという話題をテレビのニュース番組やワイドショーなどで放送されていますが、番組出演者が、「泣けてきた!」とか「神業だ!」とコメントしています。そうですよね、私達目が見える者から見たらまさに「神業」です。楽譜が見えないのに、鍵盤が見えないのに弾けるんですからね~。驚きですよね。
それは、辻井さんが「ピアニスト」というよりも「全盲の」ピアニストだから「泣けてくる」のかな?と思いました。
目が見えるひとの常識からすれば「神業」です。
ちょっとひねくれた見方をしちゃいまして、そんなことに「ん?」と考させられるものがありました。
もともと「楽譜」は、「音を記号化して紙に書いたもの」だし、目が見える人が見るために考えられたものだと思います。
実際に音を聴いて、それを直接楽器で表現できれば楽譜なんか必要ないですよね。逆に考えれば、目が見える人は音楽と楽器演奏との間に楽譜を挟むからこそ難しくなるのかなぁと、考えてしまいました。
普通、私達が音楽を学ぶうえで「楽譜を読めなくては話にならない」と思いがちで、ピアノを習いたいと思っても、楽譜を見ただけで拒否反応ってこともありますよね。
点字の楽譜もあるようですが、生まれつき目が見えない方は楽譜を挟むよりも日常、一番とぎすまされた「聴覚」で直接聞いた方が早いと思いました。
こんなイメージ?
私たち = 音楽を聴く 楽譜を見る
鍵盤で弾く
辻井さん = 音楽を聴く
鍵盤で弾く
もしかすると・・・勝手な想像ですが「音聞く」ということだけに関して言えば、私達にとって目が見えるということは邪魔なこと?なのかも・・・
もしもですよ、もしも世界のほとんどの人が「全盲」だったら、目が見えるひとは、
「神業」を見に付けているということ・・・
ということで、「全盲」なんて辻井ピアニストには、
「そんなのカンケーね~」(さっく)
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