1月2日(月) 晴れ時々曇り
庖丁を研いだ記録を残しておこう。
うちの安物ステンレス包丁3本を研ぎ終わった。
2011年にメリダで走った距離。 3223.7km
メリダでの積算距離は
今年の9月か10月頃には1万kmを越えるだろうか。
ちなみに2011年に走った距離は3112km。
「父さんの小さかったとき」と「母さんの小さかったとき」を読み終えた。
どちらも繊細なタッチの絵が描かれている。
「父さんの小さかったとき」
二人の執筆者は昭和19年と22年生まれの人なので、トンサンより2年から5年歳上だ。
そのせいか描かれている自動車などが少し古い。
トンサンは厚木生まれだが、馬や大八車は通りを通っていなかった。
しかし、自転車のリム(タイヤは外してある)を棒を使って転がしたり、缶詰の空き缶にひもを通して下駄のようにはいて遊んだり(缶ポックリと言ったかな?)、釘さしなどの遊びの絵が載っていたのは懐かしかった。
馬とびは危ないので禁止されたと書いてあるが、トンサン達は挿し絵とは違って頭を前の人のお尻の下に突っ込んでいたので危ないことは無かった。
地方によってやり方が違うのかも。
そういえば虫取り網が古くなって穴があいてしまった時は、さし絵のようにクモの巣を網の輪に絡めて、網代わりにして虫を取ったなぁ。
いなごも取りに行った。佃煮にしてもらったがトンサンは食べられなかった。
ゴム飛行機も作ったし、ゴム鉄砲も作った。糸巻き戦車も作ったし、泥玉を作って割りっこもした。
今の子供たちはこんな遊びをしているのを見たことが無い。
年上の子供が小さい子に教えてやっているのも見たこともない。
いや、今の子供じゃなくて我が家の子供たちもこんな遊びはしていなかった。
いったいいつから廃(すた)れたのだろう。
そう考えると、自動車が普及して、道路から子供達を追い出したのが、こんな遊びや子供たちの上下関係を無くさせてしまった原因のように思える。
「母さんの小さかったとき」
二人の執筆者の女性は昭和19年と27年生まれ。トンサンより5歳年上と3歳年下だ。
こちらもちょっと古い時代の絵のようだ。
でもかまどではなく、ガス台にお釜を乗せてご飯を炊くところは、同じ年代かも。
「母さんの小さかったとき」だが男・女に関係なく、懐かしい絵がいっぱい載っている。
キューピー・だっこちゃん人形・紙風船・蝉の形をしていて、背中を押すとペコンペコンと音が出る板金のおもちゃ・リリアンの道具・ままごと遊びの布でできた人形・フラフープ・ホッピング・・・
そう、空地にはもぐって遊べる大きな土管や丸太が積んであった。
石けりや、ゴム飛び・縄跳び・自転車の三角乗り・シロツメクサで首飾りを作ったり、折り紙やおはじき・あやとり・お手玉・シャボン玉。
おふろではタオルに空気を入れてお湯に沈めてブクブクして遊んだり、樟脳(しょうのう)の船や、ろうそくで走るぽんぽん船もあったな。
そういえばお風呂の水くみはトンサンの仕事だった。
手押しポンプによび水を入れて汲んだけど、お風呂をいっぱいにするのは大変だった。
ろう石で道路に絵を書いたっけ。絵描き歌を歌いながら書いたこともあったな。
紙芝居を見たり、駄菓子屋で当たりくじ付きのお菓子を買ったりもした。
給食の脱脂粉乳がまずくてね、それでもパンがのどに通らないので必要な飲み物だった。
こうやって絵を見ると子供の頃がよみがえってくる。とても懐かしい。
こういう遊びや生活が無くなって、本当に今の子供たちは幸せなのだろうか?
歳をとった時に「子供の頃はゲーム機で遊んだり、携帯でメールしたりしてたよ。ディズニーランドも行ったし楽しかったよ。」と言うのだろうか?
自分で遊びを創造したり、工夫したりすることも無く、与えられた遊びだけで満足できるのだろうか?
それで幸せだったと言えるのだろうか?
トンサンはこの2冊の本を読み終えて、そんなことを思った。