10月16日(火) 曇り
何気なく、Eテレを見ていた。
太宰治についてのトーク番組。
「女生徒」は女性読者の日記をもとに書いたもの・・・
えーっ、あれは太宰治の私小説と思っていたのに。
トンサンが高校生の時に「女生徒」を読んで、あの女生徒の感じ方がトンサンもそっくりだったので、怖くなったのだった。
特にこの部分。
女生徒
ほかのところの感じ方もトンサンの感じ方とよく似ている。
太宰治は自殺した。高校生のトンサンは自分も自殺したら嫌だなと思って、太宰治の本は読まなくなった。
あれは太宰治の感覚ではないのか。
じゃあ自分の性格を心配することはなかった。
なんだったんだ。
女生徒Wikipedia
1938年(昭和13年)9月に女性読者有明淑(当時19歳)から太宰のもとに送付された日記を題材に、
この有明 淑(ありあけ しず)と言う人がどんな人だったのか調べよう。
さらに太宰治は有明淑の日記をどんなふうに解釈して、どのように手を加えたのか調べると・・・
[PDF]太宰治「女生徒」論 : 消された有明淑の語り 関根順子 著
ということで、時代背景もあり、太宰の女性徒への嗜好(しこう)も加えてまとめたものらしい。
有明淑の日記はもっととんがった19歳の女性らしいものだった。
「女生徒」の最後の部分。
『かっこいいな。でも今までの部分と書き方が違うな。』と思っていたら、太宰治の文章だった。
なるほど、それで納得。
関根順子 著の[PDF]太宰治「女生徒」論 : 消された有明淑の語りを読んで、「女生徒」が書かれた時代背景が浮かび上がってきて、おもしろかった。