都内に住んでた頃は、
牛丼屋さんにもよく行きました。
父ちゃんの身体は、牛丼で
出来ていると言っても過言では
ないほどです。
で、行くたびに気になって
しょうがなかったのが、作る人に
よって異なるつゆの量です。
どんなマニュアルが用意されてるのか
知りませんが、
「つゆの量は、各自自由にのびのびと、
心のおもむくままに決めましょう」
ってな感じではないでしょうか。
なので、厨房にいるのはアーティストだと
思わなければなりません。
ヘタに「つゆだくで」なんて注文して、
作ってるのがつゆだく派のアーティスト
だった場合には、そこにさらにつゆが
加えられちゃうわけですから、
飲み物みたいな作品が出て来る
おそれもあるわけです。
べつにドキドキしたくて
通ってたわけじゃありませんからね。
商品価値が疑わしくなるほどの価格競争
とか、珍奇な新メニュー開発とかよりも、
つゆの量を一定にする為の企業努力を
してほしかったですね。
今でも牛丼屋に通っている者です。ウチの町の牛丼屋さんは汁気どころか肉の量も店員さんによってマチマチですよ(笑)。この間はあまりの肉の少なさに「コレが今流行のステルス値上げか・・」と思ってしまった程でした。
さて、今回のお題の牛丼のお汁についてですが、某吉野家さんでは、お汁の量にもちゃんと規定があるそうです。
学生の頃の話しですので、もう何十年も前になりますが、大学4年間ずっと某吉野家さんでバイトしていた友人によりますと、お肉を盛る前にお玉を一度鍋に入れ、その下側にうっすらと着いたお汁でご飯の表面をトントンと軽く叩き、薄く色が付く程度に湿らせた上で、そこに汁気を切った牛肉を盛るのがコツなのだそうです。
そして、その汁気の切り具合にも基準があるのだそうですが、そここそが個人によって差が出るところだそうで、その友人は「俺の技は最高だ」と自負していました。
今はもしかしたらそんな二度手間は教えていないのかもしれませんね。
今の若い人たちは、先輩から何か言われると直ぐに「上から目線」とか「パワハラ」だとか言い出すので、教える側も遠慮するような時代になってしまった感じがします。牛丼屋さんに限りませんが、昔はどんな身分でも、与えられた仕事にプライドを持って取り掛かる職人気質の人がいたもんですが、今は時代が変わってしまいましたからねぇ。
父ちゃんのうっすらした記憶では、
確かに吉野家さんはつゆやや少なめ
なせいか、比較的安定感があったね。
あとの二軒はどっちもどっちで、
さらに、味が濃かったような気がします。
ここに「つゆだく派」が働いてると悲劇
なんだよね。
生たまごをからめて薄味にして食べてたな。
近頃の若いもんがどんななのかはよく
知らないけど、
世の中の変化が激しすぎて、
上の世代の知恵が役に立たないところに
もどかしさを感じますね。
戦後の貧しさを生き抜いた親の世代の知恵は、
人口爆発の地球から逃げ出して、
銀色のロケットで宇宙探検する日に
備えてた、高度成長期の子供達には
響かなかったし、
そんなんだった俺たちは、少子化のせいで
「その他大勢」に紛れ込めない娘たちが
直面する、現実的な問題との
対応について何も語れない。
こういう世代間の意思疎通の難しさが、
いろんな面倒を生み出してるんだろうなと
思います。
そんな時代だからこその「良さ」も
あるんだろうけどね。