とうちゃんが良くおじゃまする小平次さんのブログに
先日、死刑廃止論についての記事がありました。
とうちゃんも小平次さんの意見に賛同して、
コメントを書かせていただいたんですが、
そこに小平次さんが返事を書いてくださったので、
もういっぺん書き足りなかったことを書いてみたんですけど、
やけに下品な内容になっちゃったんですよ。
で、捨てちゃうのももったいないので、
コピーして、自分のブログの記事にしました。
>>他所の国は他所の国、日本は日本でぶれずにいて欲しいと願います
ホントそのとおり。
死刑廃止に限らず、移民政策とかもそーなんですけど、
ホントそのとおり。
死刑廃止に限らず、移民政策とかもそーなんですけど、
よその国で失敗してる政策をなんでわざわざ真似したがる
のかわけわかりません。
後出しじゃんけんで負けるみたいな事はやめていただきたいですよね。
後出しじゃんけんで負けるみたいな事はやめていただきたいですよね。
とうちゃんは、理想を言えば死刑なんてない方がいいんですよ。
例えば個人的に原爆作って町をひとつ壊しちゃうような悪人が、
今後、出てこないとも限りませんけど、そういう人にだって
今後、出てこないとも限りませんけど、そういう人にだって
言い分があるんだろうし、よく聞いてみて、なるほどなあ、
と思える内容だったら、死刑にしたからメデタシメデタシ。
ってわけにはいかないかもしれない。
ってわけにはいかないかもしれない。
逆に、ひとつも同情の余地のない話しだったら、
そいつが死んだくらいで済ませられるわけもない。
だから、ナニがなんでも死刑賛成ってわけじゃないんですけど、
それ以外のあらゆる法整備が完ぺきとは言えない
(むしろ穴だらけという)現状で、
死刑執行に関してだけは理想を求めたがるという、左側の人達の
バランス感覚の無さが苦手なんですよ。
左側だけ集まって、村とか作って暮らしてみたら
死刑執行に関してだけは理想を求めたがるという、左側の人達の
バランス感覚の無さが苦手なんですよ。
左側だけ集まって、村とか作って暮らしてみたら
どうかと思うんですよね。
わがまま言い放題の村民が毎日クレームを言い合って、
その結果殺傷沙汰が起こったとしても犯人のお気持ちに
配慮して、あわてずさわがず水に流して、
隣村の人が集団で攻め込んで来たとしても男達は
武器を取ったりせずにひたすら憲法九条の有用性を
唱え、女装して女便所にこもる。
そんな理想社会ならもう死刑なんかあってもなくても
そんな理想社会ならもう死刑なんかあってもなくても
どっちでもよさそう
……ってトコまで書いたんですけど、
こりゃ人様のブログに送り付けるような内容じゃないな、
って思って、こっちに持って来たというわけです。
とうちゃんは、偏差値の低い工業高校をやっと卒業した
だけの無学な人間なので、むずかしい話しはなんも
わかんないんですけど、最近の、リベラルを標榜する
人たちのとんちんかんな言い分が気持ち悪くて仕方ない
んですよ。
幼稚園児とか、イヤイヤ期の赤ちゃんが、むずかしい
言葉でゴネてるみたいにしか見えない。
バカだから論理的にどこがどうまちがってるとかいう
難しい話しは出来ないんだけど、
生理的にまったく受け付けられない。
時代が変われば、生活様式も変わりますから、
やむを得ない変化を受け入れなければならないという
部分はあるでしょう。
とうちゃん自身も若い頃は、ずいぶん身勝手な言い分で
まわりの大人達と揉めた覚えがありますが、
まわりの人の言い分も聞いたうえでの妥協案の提示くらいに
とどめてたつもりです。
最近の左巻きみたいに際限なく我がままを押し通そうと
してたわけじゃありません。
何が違うのかなって考えてみたときに思いつくのが、
人と人との距離の差ですよね。
地域社会の面倒くさい人間関係の中に身を置くと、
それだけで多種多様な価値観にさらされ、世の中の
平均的な考えとしての「常識」を叩きこまれること
になるわけです。
それを全部受け入れなきゃならないとは思いませんけど、
少なくとも自分の考え、行動が常識と照らし合わせて
どのくらいズレてるのかは認識できるようになります。
ところが一人で部屋にこもって、ネットの向こうの
同じ意見の人だけを相手にしてるうちに、どんどん
実社会との溝が深まって行っちゃうんじゃないでしょうか。
妙に自信満々にアホな発言する人を見ると、
友達がいねーんだろうなぁ、って思っちゃいますね。
長い愚痴みたいな、面白くもない文章になっちゃってすみません。
つきあっていただいてありがとうございました。
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