TOY-TORCHA

60歳お父ちゃんの「つまらなくって、何の役にも立たない」と大評判の馬鹿まる出しブログ。

ばか親日記 ニセ札で大ピンチ!!

2024-11-06 09:03:02 | ばか親日記
昨夜、みんみが大学合格したっていうんで、
お祝いに外でご飯食べようって事になったん
ですよ。

とうちゃん財布持ってないから、裸銭を
尻のポケットに突っ込んでるんですけど、
ちらっと見たら1000円札と、5000円札が
一枚づつでした。

まあ、バカ田大学みたいなとこなんだから
安いもんでいいだろうって事で、家の前の
道路渡ったとこにあるサイゼリヤへ……。

とはいうものの、父親としては、毎日そば
にいて、夜中までがんばってるとこも見て
ましたからね、バカ学校だなんて言って
からかってても、なんだかやっぱりそりゃ
嬉しかったですよ。

みんみもちょこっと誇らしげです。

しかも、春には正式に離婚して、とうちゃんは
群馬の実家にもどる予定ですから、ママの家で
暮らすことになってるみんみが学校に通う姿は
見ることが出来ません。

そう考えると、一日一日が大切な思い出なん
だなあ、ってね。なんかいろいろ胸にグッと
こみあげるものがありましたね。

問題の多いママとの暮らしは、ひとり暮らしより
よっぽど大変なはずです。

学校が始まったら気をつける事とか、若いうちに
やっておくべき事とか、出来るだけの知恵を
つけておいてあげたいと思って、ご飯食べ
ながらたくさん話して聞かせました。

出来の悪い子ほどかわいいってのはほんとですよ。
親も不出来だから、なおさらかもしれませんけど。

「好きなだけ食べな」って言って、いろいろ
勧めましたけど、もともと小食なみんみと、
一日中せんべい食ってたとうちゃんですから、
大した金額になりません。
二人分で二千何百円。

おつりがいっぱいもらえるから、隣の
本屋さんで為になる本を買ってあげよう……。
なんて考えながらレジに立ったんですけど、
そこで事件は発生しました。

5000円札、新渡戸稲造が行方不明です。
出がけに確認した時は、野口君と新渡戸さんが
二人そろっていたはずなのに……、
これはいったいどうしたことか。

かわりにいたのがニセ新渡戸、
誰も知らない男、北里柴三郎
やべーよ、この人1000円だよ……。


まあ、結局は二人であせりまくりながら
小銭かき集めて、ギリギリセーフで
事なきを得たんですけどね。

すごい衝撃的な思い出になりました。



追記
この記事書いた後、買い物のおつりの中に
5000円札がありました。
気にしてみてみると樋口一葉。
ああそうか、新渡戸さんはひとつ前の人だったん
だなぁ、って思って、大きいお札に縁がないから
勘違いしたまま記事書いちゃいましたね。

……って書いたら、最新版は津田梅子さんて人だ
そうで、新渡戸さん二つ前なんですね。
とうちゃんの頭二周遅れですね。
弱ったもんです。

2024,11,6 21:03追記

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かみ合わない人

2024-11-05 08:56:37 | 日記
昨日のブログ、
書ききれなかったし、その日も感情的
になってしまって、うまくしゃべれ
なかったんですけど、実はとうちゃん
の腹立たしさの原因は友人のバカな
訴えの内容ではなく、「訴え方」に
あるんですね。
自分の考えを整理する為にここに
書いてみます。

「反戦、軍縮」に限らず、
ワク〇チンのコト、ウクライナのコト、
グローバル化のコト、移民のコト……等々。

世の中には様々な意見の対立がありますが、
立場の違う大勢の他人が、それぞれの人生を
背負ってしゃべってるんだから、意見が
違ってくるのは当たり前で、そのこと自体に
文句はないんです。

ひとつの事柄について意見を言う。
たとえばとうちゃんが「それは丸い形だよ」
と言い、あんぽんたんな人が
「いやいや、どう見たって長四角だよ」
と言って意見が分かれたとしますよね。

お互いの話をよく聞いて、すり合わせる
事が出来れば、
「ああ、こっちから見ると丸くて、 そっち
 から見ると四角いって事は、つまり
 お茶っ葉の缶 みたいな形なんだろうね」
っていう風に、半人前同士の二人でも正解に
近づいて行けるわけですよ。

そういうわけでとうちゃんは、友人の言い分
にもじゅうぶん耳を傾けたつもりですが、
結局、「戦争反対」という、普通だったら
誰からも文句の出そうにない
(とうちゃんは言いましたけども)正論
(風の意見)を振りかざして、いい気分に
なりたいだけ。
しかも現実には自衛隊、在日米軍という
軍事力の恩恵にあずかる環境で暮らしながら
「軍縮」を唱えるという「あさましさ」と
「あさはかさ」しか伝わって来ませんでした。

友人は、とうちゃんの話をさえぎり、
「じゃあ、おまえは戦争がしたいのか」
「ロシアに味方するのか」
「そういう人がいるから戦争が終わらない」
とか、
そもそもは、ガンダムかなんかの話し
がきっかけで始まった戦争論だったので、
とうちゃんの幼稚な趣味までをあげつらい、
支離滅裂なクレーマー状態でしたから、
彼にとってもやはり得るもののない無駄な
時間だったはずです。

反ワクの記事書いてた頃にこのブログから
離脱した人達や、この友人みたいなのが
集まると、「丸だ」「四角だ」ですぐ喧嘩に
なっちゃう。

まあ、本人たちが読んでくれてないとこで
言ってもなんの役にも立たないんですけどね。


とうちゃんが人から嫌われる原因の
ひとつでもあるし、嫌な性格だという
自覚もあるんですけど、とうちゃんは、
そういう人たちの頭の中を想像するのが
好きなんですよ。

だいたい、まず最初になんかしらの
思い込みがあるようですね。
で、その思い込みに忠実に暴走するバカも
いれば、暴走後に諭され、理性的になる
ものの、今度はそこで手に入れた新しい
知識が新しい思い込みになっちゃうという、
念の入ったバカもいる。

で、そういう人達を鼻で笑い、あれこれと
資料をひっくり返してはみるものの、
「精査」という発想がないもんだから
大量の糞情報をつかまされ、それを
身にまとって理論武装した努力家のバカ
というのもいますね。

件の友人はこれに近いタイプです。

宇宙のコトも、深海のコトも、自分が立ってる
地面のほんの1メートル下のコトでさえ、
実際に自分の目では確認したコトないまま、
あやふやなイメージでしかない世界で暮らし
てるんですよね、誰でも。

そのあやふやな場所で、不安を感じず暮らせる
安定した足場を作る為に、まわりの人と
つながってるんだと思うんですよ。

そうすることでできあがっている
「世の中の仕組みと思える物」、それは、
民主主義だったり、クールジャパンだったり、
いろいろあるでしょうけども、そういう
みんなで大事にしてる「価値あるもの」を、
(もしかしたら間違ってるかもしれない事も
織り込み済みで)共有する幻想によって
一つの国家なり文化圏が出来上がってる。

家族とか、仲良しグループが成り立ってん
のもそういう仕組みでしょ。

その文化集団の中にいて、価値あるとされる
常識を覆すような意見を語るなら
(それが悪い事だなんて言ってませんよ、
 なんならとうちゃん自身、わりとそっちがわに
 身を置きがちな体質ですから)
語り方ってのがあると思うんですよ。
控えめに、ちいさい声で言えとかってわけ
じゃなくて、
対立意見に耳を傾けるという
覚悟の下に語れ。 ってコトです。

会った事もない政治家の話を、素性のわからない
YouTuberから教えてもらい、それを自分と似た
ような傾向の脳障害を抱えた人どうしで共有して、
相互補完的に作り上げた世界観ていうのは、
つまり妄想という事ですよ。

気分よく妄想を語って悦に入りたいのなら
宗教家になりゃいいんですよ。

自分の頭でもの考えるのが嫌な信者をかき集めて
寝言の世界に住んでてください。
ばか国作ってばかの大統領になってください。
「わたしらには皆さんの考えを理解する
 能力がありませんので、思想の保育園
 であるところのおかしな宗教世界に
 閉じ籠って暮らします」
みたいな宣言をして、まともな政治経済を
語る人の暮らしからは距離を置いてひっそり
暮らせばいいんです。

大事な事なのでもう一度言う!

「とうちゃんがたのんだポテトに
 勝手にケチャップかけるな!!」



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「反戦」「軍縮」という寝言

2024-11-04 12:18:40 | 日記
最近みんみがママのところへ泊まりに
行く事が増え、とうちゃんは退屈です。

たまたま連絡の取れた友人が遊びに
来てくれるというので、十何年か
ぶりに待ち合わせして、ファミレス
とファストフードをはしごして
しゃべったんですけど、
その人の話があまりに腹立たし
かったんで、愚痴らせてください。

ごく簡単にまとめると、彼の主張は
「反戦」と「軍縮」です。

「厭戦」とか言うならわかりますよ。
戦争は嫌だな、避けたいなって事だから。
とうちゃんだって戦争なんか嫌ですよ。
誰だってみんなそう。

ところがそいつは、自分だけが世の為
人の為に日本国の現状を憂い、憤って
いるのだ!みたいな口調でフライドポテト
に勝手にケチャップかけたりしながら
「反戦」をガなるんですよ。

「だったら、軍事力に頼らず国家間の問題を
解決できる有効な方法を提案してみてよ」
って言いたくなるじゃないですか。

「普段から、まわりの国と仲良く
しておけば、そもそも問題は起きない」
とか言ってたけど、そんなわけねーし。

仲良くしとくのには賛成だけど、
それで相手が戦争仕掛けて来るのを
100%防げるわけではないから
抑止力としての軍事力保持にこだわるん
ですよね、普通に頭が働いてる人は。

ところが、脳みそが大型連休に突入した
この馬鹿は「軍縮」だともいう。


相手が勝手に宣戦布告したら
始まっちゃうのが戦争ですよ。
自分ちめがけてミサイルが飛んで
来てる時、軍事力以外のナニで
対応する気ですか? 拝むのか?

万が一に備える必要を、
なぜ感じないのでしょうか。

今の日本は、実質「戦ない国」ですよ、
どうどうと「反戦」の旗を掲げたいなら、
どこからも喧嘩売られる心配のないほどの
強さと、どこからも慕われる優しさを持った
うえで、「戦わない国」である事を宣言
すべきでしょ。

それと、ケチャップ勝手にかけたんだから
自分で金払え!!
と、とうちゃんは主張したかった。
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靴下履いてて心配になったこと

2024-11-03 12:04:50 | 日記
とうちゃんは、かなり昔から、
靴下を脱いだり履いたりするとき、
座ってはならない。という試練を
自らに課しています。

そんな事より、仕事に行くとか
朝早く起きるとかを課せば?
という声もありましょうが、
耳が遠くなってきたので聞こえません。

で、当然の事、身体をかがめ、片足
立ちでえんやこらえんやこら靴下と
闘うわけですが、この時、よろけて
壁に身体を触れさせるとそこから
病原菌が体内に侵入し、
身体が腐ってしまいます。

ホントはたぶん腐りませんけど、そう
いう覚悟を持って挑んでいます。

仕事に行く覚悟とかは、持てません。

拳法の修行で、庭に植えた小さな木を
毎日跳び越すの知ってますか?

木の成長に合わせて自分の跳躍力が
鍛えられ続け、大人になった頃には、
電信柱を跳び越せるくらいになってる
という修行法を、映画で観たんだったか、
夢で見たんだったか忘れましたけど、
そういうふうなイメージで、毎日
やり続けてたらそのうち空中で靴下が
履けるようになるんじゃなかろうか、
くらいなこと妄想してたんですけど、
どーも最近よたよたする頻度が
上がって来てるんですよ。

一日二回は風呂に入り、その度
靴下履きかえてるんで、修業が
足りないとは考えにくい……。

これが「老い」というものなのか。

老後の不安を紛らわすように片足で
ぴょんぴょんしていると、
「んー、よいじゃねえなあ」
と思わず田舎の言葉が口をつきますが、
それが、死んだ父親の言い方そっくり
なんですよ。

自分の歳の頃の父親がどんなだったか
なぁ、って考えると今の自分の不甲斐
なさに愕然とします。

俺、一生バカっ小僧のままなんかなー。
と、そっちも心配しなくちゃなりません。

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「ゴジラ-1.0」

2024-11-02 11:55:44 | 日記
みなさん観ましたかね?「ゴジラ-1.0」

とうちゃんは、テレビがなくて観られ
なかったんで、浦澤直樹の「あさドラ!」
っていう怪獣まんが読んでました。

まだ6巻までしか読めてないんですけど、
すっごくおもしろいんですよ、今のトコ。
丁寧な段取りと、複線回収。
むやみに大勢出て来るサブキャラが
ストリー上の重要な場所に納まって行く
ところ。
連載漫画ならではの職人技に泣かされます。

映画館では、二度観て二度号泣した
「ゴジラ-1.0」ですが、尺の都合上、伏線の
張り方がやや強引で、「脱出装置で泣かせる為」
の仕掛けがあざとく、主人公がちょっと
ナニ考えてんのかわかりにくい人物になって
しまってるように感じました。

「震電」ていうマニアックな飛行機が登場して
喜ぶとうちゃんみたいなヒトたちは、あの
機体が脱出できるように設計されてた事を
よく知ってるんですよ。
だから死ななくていい状況で、無理に死に
たがる主人公の思いつめた表情を「?」て
思いたくなるのを必死でこらえなくちゃ
ならないというヘンな試練があったんですよね。

そいで、最初に機雷で吹き飛ばした顔が、あっと
いう間に治っちゃったのに、最後にまた吹き
飛ばすことに命懸けになってるのはなんで
なんだ、あんた痴呆症か?
ってところがマイナス1点。かな。

で、この山崎さんていう監督さんの映画は、
時間の流れの表現に関して、ちょっと
無頓着だな、っていう印象があるんですよ。
今回は気にならなかったんですけど、
欲を言えば戦時中の主人公は、丸刈りで、
戦後、長髪に戻る、くらいのことをして
ほしかった。
売れっ子の役者さん使うとそうもいかないん
でしょうけど、とうちゃんあの役者さん、
あんまり合ってなかったような気がするし。
そこもマイナス1点か。

あと最後の敬礼。
昔、戦闘機乗りだったおじさんに聞いたん
ですけど、海軍式の敬礼は、もっとこう手を
縦に構えるらしいですよね。甲板が狭いから。

まあ、あそこに集まった人たちは、海軍の
やり方に反発してた人達っていう設定だから、
あえて違うカタチにしたってコトかもしれま
せんけど。
ちょっとひっかかります。

でもそんな重箱の隅つつくような事しか
言えないくらいの圧倒的な面白さが
ありましたね。

ああ、そうそう、肝心のゴジラが、
頭がちょいとちいさすぎなんじゃないの、
ってのもあったんだ。
っていうか、肩があったりするあの
スタイルは、いかにも今風で、とうちゃんの
好みじゃなかったな。
これはマイナス3くらい。

って、おすすめしといて文句ばっかり書い
ちゃって、おめーが勧めるから観たんだぞ!
って人からは怒られちゃいそうですけどね。
ゴジラ映画ってのは、観た後みんなで
文句言うのが楽しいんですよね。

コメント欄で続きがあるって教えてもらえました。
今から楽しみ!!

今度は三回見て三回号泣の予定。

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「ゴジラ」

2024-11-01 09:27:42 | 日記
今日の夜、テレビで「ゴジラ-1.0」
放送するそうですね。
とうちゃんテレビ持ってないので
観られませんけど、劇場では2回
観ました。

すっごいお勧め映画ですよ。
そりゃね、残念なトコもあります
けども、54年のオリジナルは別として、
だらだらと作り続けたゴジラ映画の
中では最高の出来だと思います。

「別として」っていうのは、ゴジラ
というアイディアをまるごと借りて
作る以上、比較するのはいかがなものか、
っていう程度の意味で、単純な
「おもしろさ」で言えば、圧倒的に
一等賞ですよ。

オリジナルのゴジラっていうのは、
なんか妖怪の親戚みたいに感じますね。
観てて感じるのは人の怨念です。

正体不明の「怪しい獣」。10年ほど後に
「ウルトラQ」、「ウルトラマン」で
キャラクター化した「怪獣」達とは
まとってるものが違う気がするんですね。

水爆実験によって姿を変えられ、放射能
火炎をまき散らして暴れまわり、また
最新の科学力によって葬り去られる生き物
がオリジナルのゴジラなわけですが、
ウルトラ怪獣が、「自然の怒り」の象徴と
して描かれることが多いのに対して、
ゴジラは「人の愚かさ」そのものなんですね。

ゴジラ自体のでろでろでろーっとした形、
体表はケロイド風、背びれは爆炎を
模した様、二本足でうろつく姿、
何よりもその目、眼球の白いトコが
あんなに大きいのは人間の目でしょ。

核の被害者でもあり、核の加害者でも
あるのがゴジラであり、我々人間て事
ですよ。

映画のラストで、ゴジラを倒した新兵器の
開発者は、兵器の再利用を防ぐ為、自ら
命を絶ちます。

そんなせいもあって、映画自体に
怪獣VS科学という単純な構造が感じられず、
「-1.0」のスカッとする面白さとは全く別の
後味の悪さが残るんですが、その分、後を引く
魅力があるんですね。

原爆の被害に合われた方、その御家族、
御遺族の方々は複雑な思いでしょうが、
多くの日本人は、それを投下した国に
対して殊更に恨みを感じてはいないよう
に見受けられます。

占領政策のせいもあるんでしょうが、
とうちゃん個人について言えば、
福島の原発事故以前に、自身が
被害者でもあり加害者でもある人類の
一員という視座を得られたのは、
「ゴジラ」によるところも大きかった
と感じています。

いっぺん映画館の大きな画面で観て
みたいですね。
東京に住んでるうちに「-1.0」と並べて
リバイバル上映してくれないかな。



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