先週放送された英雄たちの選択は、昭和の選択と題して「中島知久平」を取り上げていました。中島知久平とはどんな人物かというと、海軍機関学校を卒業して海軍将校となった方で、欧米でもようやく飛び始めた飛行機に対して非常に興味をもち、海外で飛行機の操縦を習ったり、海軍内で飛行機の設計開発をした方です。
ただ、海軍の中では自由に飛行機の開発を行うことができないことから、海軍を辞めて中島飛行機を設立しました。太平洋戦争時には日本有数の航空機メーカーとなっていました。スバルの富士重工は中島飛行機の流れをくむ会社で、実際にヘリとか航空機関連の事業も行っています。
中島飛行機の代表的な機体としては、陸軍では九七式戦闘機、一式戦隼、二式単戦鍾馗、四式戦疾風、百式重爆呑龍など。海軍では九七式艦上攻撃機、天山艦上攻撃機、夜間戦闘機月光などを開発しました。また三菱の開発したゼロ戦も中島飛行機でマスプロ生産されました。
番組では中島知久平の選択として、太平洋戦争の戦局を打開するために、超大型の爆撃機をつくりアメリカ本土を爆撃する。もうひとつが戦闘機を大量に生産してアメリカが開発して配備しているB-29に対抗するという選択で、結果超大型の爆撃機を作るが選択されました。
じっさい、エンジンを6発積んだ富嶽という爆撃機の開発を進めました。しかし、5000馬力ものエンジンを開発すること。高空を飛行するために研究開発しなければならないこと。もし機体を造るとしても多くの資材を必要とすることなどから実現には至りませんでした。
では逆に戦闘機を大量生産してB-29に備えるという選択をしたとしても、B-29が飛ぶ1万メートル以上の高度をまともに飛行できる戦闘機を開発することができませんでした。高空を飛行するにはエンジンにターボチャージャーを装備しなければなりませんが、その開発が日本ではできませんでした。工業基盤の貧弱さと資源の不足が原因と思います。
ということで、どちらの選択をしたとしても戦局にたいして影響を与えることはできなかったのが現実でした。
中島知久平について書かれた本として豊田穣氏の書かれた伝記が光人社NF文庫から出ていますので、興味のある方はどうぞ。
ただ、海軍の中では自由に飛行機の開発を行うことができないことから、海軍を辞めて中島飛行機を設立しました。太平洋戦争時には日本有数の航空機メーカーとなっていました。スバルの富士重工は中島飛行機の流れをくむ会社で、実際にヘリとか航空機関連の事業も行っています。
中島飛行機の代表的な機体としては、陸軍では九七式戦闘機、一式戦隼、二式単戦鍾馗、四式戦疾風、百式重爆呑龍など。海軍では九七式艦上攻撃機、天山艦上攻撃機、夜間戦闘機月光などを開発しました。また三菱の開発したゼロ戦も中島飛行機でマスプロ生産されました。
番組では中島知久平の選択として、太平洋戦争の戦局を打開するために、超大型の爆撃機をつくりアメリカ本土を爆撃する。もうひとつが戦闘機を大量に生産してアメリカが開発して配備しているB-29に対抗するという選択で、結果超大型の爆撃機を作るが選択されました。
じっさい、エンジンを6発積んだ富嶽という爆撃機の開発を進めました。しかし、5000馬力ものエンジンを開発すること。高空を飛行するために研究開発しなければならないこと。もし機体を造るとしても多くの資材を必要とすることなどから実現には至りませんでした。
では逆に戦闘機を大量生産してB-29に備えるという選択をしたとしても、B-29が飛ぶ1万メートル以上の高度をまともに飛行できる戦闘機を開発することができませんでした。高空を飛行するにはエンジンにターボチャージャーを装備しなければなりませんが、その開発が日本ではできませんでした。工業基盤の貧弱さと資源の不足が原因と思います。
ということで、どちらの選択をしたとしても戦局にたいして影響を与えることはできなかったのが現実でした。
中島知久平について書かれた本として豊田穣氏の書かれた伝記が光人社NF文庫から出ていますので、興味のある方はどうぞ。