アメリカでは機体メーカーとエンジンメーカーが完全に分かれていましたが、日本では最大手の三菱と中島では機体の開発、製造とエンジンの開発、製造を行っていました。
どちらの会社も自社で設計した機体には自社のエンジンを搭載することが基本だったと思います。その方が儲かりますし、トラブルが出た時にも対処しやすいと思います。しかし中には軍の要請で他社のエンジンを搭載することもありました。軍の命令に従うのは嫌だったことと思いますが、その成功例が零式艦上戦闘機です。三菱の機体に中島の栄エンジンを搭載したことで、バランスの良い戦闘機となり大活躍しました。
で、今読んでいるのは、その中島飛行機のエンジン史です。まだ読んでいる途中ですが、これまでに興味深かったのは、中島でも液冷のエンジンを開発していたのを初めて知ったこと。うまくいかずに空冷一本となりましたが、開発していた液冷エンジンかうまくいったら日本の航空史も変わっていたかもしれません。
それと誉エンジンの開発でしょうか。読んでいて思い出したのは、NHKの番組で凄わざという番組があるのですが、その中で真球、つまりまん丸な玉を造り、それが一定の幅の上をどこまで転がっていけるか対決したものです。
対戦者はドイツのベアリングメーカーで高度な機械加工で造った真球を持ち込みました。日本側は職人が手作りで造った真球で勝負。結果は日本の職人の勝利でした。日本の職人技が際立った番組となりましたが、同じことが誉エンジンにもいえます。
開発段階で熟練の職人が組み上げた誉エンジンは小型にかかわらず、2000馬力を発揮しました。しかし、戦局が悪化してからは熟練の職人が召集されていなくなり、学徒動員などの非熟練工で対応せざるを得なくなり、さらに工作機械の精度に劣り、金属材料の欠乏ということもあり、誉エンジンのカタログスペックを満たすことはできなくなってしまいました。
平時に職人の手作りで組み上げだエンジンの数だけですんでいたら問題もなかったかもしれませんが、戦時に大量生産しなければならないとなると問題発生となったわけです。
本にはここいら辺の開発後の生産の問題には触れられていませんが、日本の職人というのはすごいのだなあと感心したものです。
どちらの会社も自社で設計した機体には自社のエンジンを搭載することが基本だったと思います。その方が儲かりますし、トラブルが出た時にも対処しやすいと思います。しかし中には軍の要請で他社のエンジンを搭載することもありました。軍の命令に従うのは嫌だったことと思いますが、その成功例が零式艦上戦闘機です。三菱の機体に中島の栄エンジンを搭載したことで、バランスの良い戦闘機となり大活躍しました。
で、今読んでいるのは、その中島飛行機のエンジン史です。まだ読んでいる途中ですが、これまでに興味深かったのは、中島でも液冷のエンジンを開発していたのを初めて知ったこと。うまくいかずに空冷一本となりましたが、開発していた液冷エンジンかうまくいったら日本の航空史も変わっていたかもしれません。
それと誉エンジンの開発でしょうか。読んでいて思い出したのは、NHKの番組で凄わざという番組があるのですが、その中で真球、つまりまん丸な玉を造り、それが一定の幅の上をどこまで転がっていけるか対決したものです。
対戦者はドイツのベアリングメーカーで高度な機械加工で造った真球を持ち込みました。日本側は職人が手作りで造った真球で勝負。結果は日本の職人の勝利でした。日本の職人技が際立った番組となりましたが、同じことが誉エンジンにもいえます。
開発段階で熟練の職人が組み上げた誉エンジンは小型にかかわらず、2000馬力を発揮しました。しかし、戦局が悪化してからは熟練の職人が召集されていなくなり、学徒動員などの非熟練工で対応せざるを得なくなり、さらに工作機械の精度に劣り、金属材料の欠乏ということもあり、誉エンジンのカタログスペックを満たすことはできなくなってしまいました。
平時に職人の手作りで組み上げだエンジンの数だけですんでいたら問題もなかったかもしれませんが、戦時に大量生産しなければならないとなると問題発生となったわけです。
本にはここいら辺の開発後の生産の問題には触れられていませんが、日本の職人というのはすごいのだなあと感心したものです。