トーネードの無職生活

無職生活で日常どのように過ごしいてるのか?
ウォーシミュレイションゲーム
日ごろ思ったことを書いていきます。

U-2

2016-02-22 09:00:29 | 日記
 私が思っていたたU-2は、かなり昔に開発されたにもかかわらず今でも現役で、ゲーリー・パワーズがソビエト上空でSAMに撃墜された航空機というものでした。

 ところが先月末に発売された世界の傑作機でとりあげられたU-2の写真を見てビックリ。私の知っているU-2とは違う。そうなんです、私は今飛んでいるU-2の写真しか見たことがなかったので、この機体が最初から開発されたものと思いこんでいたのでした。さすがロッキードだと。

 考えてみれば、今と開発された時点ではエンジンも違いますし、電子機器も違います。ですから今と同じような機体がその昔に開発できるわけがなかったのでした。最初に開発された機体は、その当時での最先端の技術をもって造られたのでしょうが、現在の技術は進歩しているわけです。同じU-2という名称ですが、同じなのは名称だけで、機体のコンセプトは同じだとしても、ほとんど改設計された別の機体といってよいのでした。

 それからU-2について説明されたものを読んだことがなかったのですが、今回の世界の傑作機での解説で納得しました。簡単に言うと他国の上空に無断で侵入して写真を撮ってくるわけなので、他国の戦闘機が上昇できないほどの高空を飛べる機体であるということです。そのためあの特徴的な機体の形状になったということです。まるでグライターにジェットエンジンをつけたような格好です。

 ということで、U-2についてほとんどこれまで知識がなかったもので、今回の世界の傑作機は非常に勉強になったのでした。


雷電について語ろう

2016-02-21 09:47:05 | 日記
 こがしゅうと氏の著作に雷電がとりあげられていると書きましたが、実は私も好きな戦闘機のひとつです。

 日本では海軍と陸軍が似たような戦闘機をそれぞれ別個につくっていました。基本となるエンジンが海軍と陸軍とでは仕様が若干異なりますが、同じエンジンを使うので似たような機体ができるというわけです。

 海軍でいう栄系のエンジンを使った海軍の零式艦上戦闘機と陸軍の一式戦隼。海軍でいうところの誉系エンジンを使った海軍の紫電、紫電改と陸軍の四式戦疾風。そしてエンジンは異なったと思いますが、同じく爆撃機用のエンジンを使って局地防空用の戦闘機としてつくられた海軍の雷電と陸軍の二式単戦鍾馗。というぐあいに似たよな戦闘機をつくっています。

 雷電は局地防空用につくられた戦闘機で、上昇力とスピードを重視しまして、ゼロ戦のように敵の戦闘機と巴戦でクルリと旋回して戦うという目的ではつくられていません。強力な上昇力とスピートで敵の爆撃機を迎撃しようという戦闘機です。

 当時、戦闘機用のエンジンとしてはゼロ戦につかわれた栄の1000馬力級のエンジンしかありませんでした。もっと馬力のあるエンジンとしては爆撃機用の大型のエンジンしかありませんでした。そこで爆撃機用の大型のエンジンを搭載し、空気抵抗を減らすためにエンジンの前を絞るような形にして、プロペラまでをちょっと伸ばして搭載して、全体が砲弾型になるようにして空気抵抗を減らそうとしました。

 ところがこのエンジンとプロペラの間をはなすということによってトラブルが出て、その解決に時間がかかりました。そのうえできあがってみると、ゼロ戦になれたパイロットたちは、視界が悪い、小回りが利かない、着陸速度が早すぎるなどなどと、目的が違う戦闘機にもかかわらず文句をつけて雷電を嫌いました。そんなわけで量産が送れることとなったのですが、B-29がやってくるとなったら迎撃できる戦闘機には雷電しかないという事態になり、海軍は焦ったのでした。

 パイロットから忌み嫌われた雷電ですが、乗りこなしたベテランパイロットには評価されたようですし、一説によるとゼロ戦にほとんど載っていない若手のパイロットだと気にせずに雷電に乗っていたともいわれています。

 戦後、米軍が持ち帰ってテストしたところ、エンジンが大きいために座席回りもゆったりしていて大きいうえ、日本のパイロットからは嫌われた点も米軍のパイロットはほとんど気にせず、なかなか良い機体だと評価されたようです。

 ということで、運の悪かった戦闘機ではありますが、そのスタイルは日本離れしていて魅力的でもあります。そんなわけで私の好きな戦闘機の一つでした。

秘録 宇垣一成を読む

2016-02-20 08:30:15 | 日記
 宇垣一成といってもほとんどの人は聞いたことがないことと思います。日本の近現代史や陸軍について書かれた本には重要人物として登場しますが、歴史の教科書にはでてこないと思います。

 宇垣は大正から昭和にかけて陸軍大臣を長期にわたりつとめ、宇垣時代ともいえるほど権勢を誇った人物です。その後、首相に推挙されますが、出身母体の陸軍から陸軍大臣を出してもらえず、首相となることができませんでした。

 当日の陸軍を握っていた中堅将校にとって必要な首相は、自分たちの思いどうりになるロボットな首相で、宇垣ではロボットにはならないため陸軍大臣を出さないことにより首相になることを阻止したのだと思います。

 宇垣の行ったことで一番重要なことと思われるのが、宇垣軍縮といわれる四個師団を廃止したことです。しかしただ廃止して軍事費を削減したのではなく、四個師団を廃止したことにより浮いたお金を、戦車、重砲、航空など軍の近代化に向けたことです。後に太平洋戦争で米軍と戦うわけですが、米軍と比べると全く近代化できていなかった帝国陸軍ですが、宇垣がこの近代化を行っていなかったら、もっとひどいことになっていたことでしょう。

 それと四個師団も廃止すると将校があまってしまうわけで、軍を去ることとなった者もいたことと思いますが、その余った将校を活用するために、中学や高校、大学に配属将校として送りこみ軍事教練を必修化したことです。これによって多くの国民が陸軍の基礎を教えられたこととなり、後の太平洋戦争での徴兵に役立ったことと思います。

 しかし、この軍縮を行ったことが宇垣が首相に推挙されたにもかかわらず、陸軍大臣を得られなかった要因ともなったと言われています。それから、これは本には書かれていませんが、師団の本部や連隊があった地域では、多くの軍人がいなくなるわけで地域の経済に与えた影響は大きかったと思われます。

 もうひとつが三月事件で、陸軍の中堅将校がクーデターを計画し、クーデターの成功に伴って首相に宇垣を担ぎ出すという計画でした。クーデターの実行の前に計画が漏れて首謀者はつかまることとなりますが、一説によると宇垣がクーデターなど起こさずとも首相に推挙されそうと判断して、クーデター計画を中止させたとも言われています。

 宇垣がこの事件に本当にかかわっていたのかどうかは怪しいところではあるのですが、この事件にかかわったことが軍縮と同様、陸軍大臣を得られなかった要因のひとつとも言われています。

 ところで、現在の首相は衆議院で過半数を得た人が首相になりますが、当時は元老や重臣が首相にふさわしい人として選考し、その人に対して天皇が内閣をつくるようにと指示することによって内閣を組織しました。ですから、首相や閣僚は議員である必要はありませんでした。

 また内閣を組織するためには、陸海大臣を陸軍、海軍から得なければならなかったのですが、軍にとって気に入らない人物が首相に推挙されると大臣を出さないことによって内閣を組織させない。また、大臣を辞任させて後任を出さないことにより内閣をつぶすということを行いました。旧憲法の欠陥です。これによって陸軍が政治をぎゅうじって太平洋戦争に突き進むこととなります。


 ということで、宇垣一成は今では過去の人物となっていますが、当時の実力者であって、もし宇垣が首相になっていたら実行力を持った人物でしたし、永年陸軍大臣をつとめたことで政党や官僚にも顔がきいたはずで、その後の日本の歴史が変わっていたかもしれません。


末期の其他兵器集を読む

2016-02-19 09:45:16 | 日記
 末期の其他兵器集と書いて「まつごのそのたへいきしゅう」と読みます。著者はこがしゅうと氏で著者のこだわりの兵器をコミックとイラスト、そして独特の語り口での解説で構成された本です。この本が4冊目です。

 こがしゅうと氏がピツクアップするこだわりの兵器は実にマニアックでして、有名な兵器は出てきません。兵器のたぐいに詳しくないと聞いたこともない兵器が出てきます。

 今回は零式艦上戦闘機つまりゼロ戦が取り上げられているのですが、大戦初期の侵攻作戦中やラバウル航空隊で活躍した話やその時の型式ではなくて、大戦も末期で熟練搭乗員は少なくなって訓練時間も少ないパイロットが増え、アメリカ海軍がヘルキャットやコルセアといったゼロ戦の二倍もの馬力のある戦闘機を大量に繰り出した時期に苦闘した五十二型丙を取り上げているというこだわりです。そしてコミックのところがまた笑えますし、イラストと解説は詳細です。

 それと今回もう一機掲載されていますが、ゼロ戦とは真反対の局地戦闘機雷電を取り上げています。この機体はゼロ戦になれたパイロツトからは嫌われた機体で、乗りこなしたパイロットからは評価されたようですが、多くのパイロットからは殺人機呼ばわりされた戦闘機です。しかも登場する機体は開発した三菱の工場で生産された機体ではなくて、厚木基地近くに作られた高座海軍工廠というトンネル工場で台湾から来た少年たちによって造られた機体が主役です。

 雷電という機体について知っていて、さらに高座海軍工廠というものを知っている者にとっては、ついニヤニヤしながら読めるのですが、それらを全く知らないで読んだらたぶん全然面白くないといった、読み手を選ぶ作品が並んでいるのがこがしゅうと氏の本の特徴です。

 ですから万人にはお勧めできないのですが、ある程度日本軍の兵器についての知識をお持ちの方にとっては、とても面白いお勧めの本なのです。私はこがしようと氏の本がでるたびについつい買ってしまい、ニヤニヤしながら楽しく読んでいますが、心配なのがこんな一部の人にしかうけない本を出していて、こがしゅうと氏は食べていけるのだろうかということです。ぜひこの姿勢を貫いてほしいところなのですが。


 ところで、久しぶりに夜熟睡することができました。昼夜逆転から解放されそうです。

 

ライブに行くことにする

2016-02-18 03:28:17 | 日記
 私が音楽を聴くようになったのは、80年代の大学生時代にアルバイトをしてオーディオセット一式を手に入れてからです。ちょうどその頃貸しレコード屋というのができまして、レコードを借りてきてカセットテープにダビングして音楽を聴いてました。好きだったのはイギリスのエレクトロニクスポップとかニューウエイブといわれるシンセサイザーをいれたバンドで、当時イギリスのその手のバンドが全米ナンバーワンになったりして世界を席巻していました。

 会社に入社た頃ぐらいにはCDが出始めてCDデッキも買いましたが、仕事が忙しくなったのとパソコンをやるようになって90年代はほとんど音楽を聴いていませんでした。その後、私が音楽をまた聴き始めるきっかけになったのはアマゾンでした。ネットでCDが買える。しかも海外版もふくめて膨大CDが登録されていて、学生時代に聴いていたバンドのCDを取り揃えていくことができました。昔聴いていたバンドが今でも結構活動しているのですよ。

 そしてMDにダビングして聴くようになりました。ただ、MDがそろそろ役目を終えようかという最後の時期だったので、MDのついたCDラジオが壊れたら新品はもう売っていなくて中古を買ったりして、いまだにCDをMDにダビングしています。その頃まではCDもミリオンヒットがいくつもあった時代でした。そして時代はCDからネットへと移っていったわけですが、私の場合音楽をネットでというのになじめなくて、いまだにCDとMDを利用しています。

 最近はCDでミリオンなんてCDを買ってるのか、握手券を買ってるのかわからないAKBぐらいになってしまって、アーテイストもCDはもちろん出していますが、活動という意味ではライブとかフェスに重点を置くようになっているのかなと音楽専門チャンネルを見ていると感じます。

 そんなわけで、私もライブに行くことにしました。今、一番お気に入りの片平里菜です。ネットでチケットの購入手続きをしましたので、今日セブンイレブンに受け取りに行きます。ただ、年齢的に浮いた存在になりそうな感じがするのですわな。

 実のところライブというものに行くのはこれが二回目です。初めて行ったライブは、昔聴いていたニューウエイブの元祖で私にとって神の存在のJohn Foxxが来日した時のライブでした。私にとっては神のアーテイストなんですが会場は小さくて観客も少ないですし、昔を知っている人はほとんどいなくなってるのだろうなあと感じました。

 ということで、ライブに行くことにしましたが、一番心配なのは腰の調子が良くないので、腰が耐えられるかというのが問題という、いかにもじじ臭い話しなのでありました。


 ところで、ここのところ睡眠が昼夜逆転していまして、ヨーッパユニバーサリス2は進んでいない状態です。どさくさにまぎれて隣の商業都市を落としたんですけど続きができていないんですよね。ちと困ってます。