実はお遍路ロードムーヴィとして忘れられない想い出の映画、「旅の重さ」を、
先日、近所のレンタルビデオ屋で発見した(2005年再発)ことから始まる。
さて、想い入れの強かった「旅の重さ」は正直、がっかりした。
導入部の和製クロード・ルルーシュといわれた斉藤耕一監督の映像は鳥肌が立つほど凄かった。
こんなに魅力的なロードムーヴィのイントロダクションを持ちながら、
(前半30分ばかりは、こんなに凄い映画だったのかと感動に震えていた)
なぜ、後半に下らないリアリズムに堕してしまうのだろう?
70年代当時のATG映画に多かった、クソみたいな男女の情念(情痴)へ流れてしまう(溜息)
なぜ、純粋に旅の心象に徹しなかったのか?
あの当時の斉藤耕一の映像センスを持ってすれば、とてつもない傑作ロードムーヴィになりえたのに。(悔しい)
そして観終わった悔しさを晴らすようにネット検索をかけると、
忘れていた映画と出会った。
岸恵子、萩原健一主演。斉藤耕一監督。
フィルム・ノワールを思わせる洗練されたラブストーリー。
ほとんど忘れていた1972年公開当時の感動が蘇る。
こんな映画が、あの当時存在したのだ。
日本映画史上、屈指のラブストーリーだと確信している。
中国語圏でも賛美されているようにラスト13分は伝説的な精彩を放つ。
重さはなく迎合作品ですね。監督の思い入れがもっと強く出る方が良いと思います。
約束は見ていません。
最後の13分を見ました。
凡人には岸惠子の美しさが光っていました。(笑い)荻原健一の演技力は買えますね。
もっと精進していれば大御所的な俳優になっていたのですが・・・
別の意味で有名になりすぎましたね。
オープンニング、残してきた母へ語りかけるモノローグが終わり、蝋燭の炎を吹き消すと暗転。
真っ暗な闇からガタッと扉を開けると、
光り輝く夏の青田が広がるイントロダクションには鳥肌が立ちました。
本当にお遍路の旅の日々を重ねる前半は、どきどきするぐらい素晴らしい。
そして県境を越えて高知へ。
あの砂浜は、あきらかに大岐の浜です。
それにしても1970年当時の四国の風景は溜息が出るほど美しい。
また、そのように撮った斉藤耕一監督の映像センスは驚異的です。
どうして旅の映画として潔く撮りきらなかったのでしょうか?
強迫観念のような生臭いリアリズムへと変調した後半は、
前半の煌めくような輝きを途端に失い歯ぎしりしたいくらい悔しいです。
公募で主人公を選んだらしく、主演の高橋洋子の他にオーディションで次点だった
秋吉久美子が出ていますね(デヴュー作)
そして「約束」の萩原健一も本作がデヴュー作らしいです。
約束は極端にセリフの少ない映画です。
特に寡黙な岸恵子のクールな美しさが際立っています。
岸恵子の存在なくして、この映画はあり得ません。
残念ながら、この映画はVHSしかなくてDVDの発売を切望します。
そうですよね。
ショーケンこと萩原健一は、松田優作と共に日本を代表する役者になりえた人です。
残念です。
いや、まだ存命なのですから、これから大化けするかも?
昨日の、飲み会お疲れさまでした。
ランスケさんと中也さんと私の与太話。気がつくと3時間超。
ランスケさん明日am8時から石鎚山に出かけると言う事でお開きに。4日は山頂で宿泊とのこと。
ランスケさん曰く、山に登る一番の目的は写真を撮る事。1シーズン通ってもなかなかこれと、いった写真は撮れないとの事。
だからこそ、まだ誰も撮ったことのない写真が撮りたい。
色々な奇跡が起こって凄いショットが撮れれば最高。只、それだけが本当の願いとの事。
あらためてランスケさんは、十代の頃となんら変わっていないアーティストだと再認識した。
中也さんも山や写真が好きなので3人が一緒に出かけられたら、また楽しい時間を共有できそうですね。
お約束で、また話が飛びますがお付き合いを。
NHKのEテレでアランの幸福論という番組を見ました。内容は素晴しいものでした。
アランは、幸福だから笑うのではない、笑うから幸福だと言います。
雨がふっている。濡れて面度くさい、というネガティブ思考から視点を変え。いいお湿りだ草木も潤いお気に入りの傘を差し出かけようとポジティブに思考を変える事が大事。
そして幸福になるという意志が最も大事であると述べてます。
その時のゲストが、医師で作家の鎌田実さんでした。
鎌田医師は、東日本大震災後、福島第一原発の30キロ圏内で医療支援をしていました。
そして沢山の亡くなられた方々が眠る安置所にご冥福をお祈り行き。
そこで遺族の方から、私は両親を亡くしましたが、津波で倒壊した自宅の瓦礫の下で両親は、見つかりました。
行方不明、一人で死んで行った人達よりもまだ幸福だと言われた時のことを話され幸福の在り方について語っていました。
福島の医療活動など、なぜ鎌田実さんはわが身を顧みずそこまでのことができるのかと感銘をうけました。
そう言えば、この前に愛媛新聞に鎌田さんの記事があった事を思い出し調べてみると聴流という寄稿文を見つけました。
タイトルは、憎しみ越える「許し」です。暴力の連鎖の止まらない中東の大地で見いだした希望の言葉は「にもかかわらず」だった。
きっかけは、6年前に新聞で見た小さな記事。
イスラエル兵に誤射されたパレスチナの少年が脳死状態になり、父親は悩み抜いた末、息子の臓器を敵国の病気の子供たちに提供することを決めたという内容だった。
「僕だったら絶対許せない。一体どんな思いで決断したのか、会って聞きたかった」亡くなった少年の父親は「臓器提供は、平和の実現を望む私たちパレスチナ人のシグナル」と語る父親の言葉が心に沁みた。
「人間て、憎しみや怒りがあるにもかかわらず、横に置くことができるんだと思った」
ふと脳裡をよぎったのは、太平洋戦争後、実の親に捨てられ鎌田さんを拾ってくれた父岩次郎さんのことだ。「心臓病の妻を抱え、凄く貧乏だった・・・にもかかわらず、岩次郎さんは僕を育ててくれた。37歳でパスポートをとるまで本当の子供でないとは知らなかった」。
こうした「にもかかわらず」のおもいは、誤射された少年の父親とも共通していると感じたという。
そしてその思いは、「アハメドくんのいのちのリレー」という絵本になりました。
「この本には絶望を希望に変えるメッセージがある。東北やイスラエルの子供たちをはじめ多くの人達に読んでほしと」締めくくってあります。
ふと感じたことは、鎌田さんはまだ自分を捨てた親を許せずにいる自分が「許し」の巡礼のなかで、無償の愛情で育ててくれたのは父岩次郎さん。幸福に一番近くて遠い自分だから、ここまで素晴しい生き方ができるのかと感銘しました。ある意味選ばれて生を受けた人だと思う。
どんな人生でも幸福を望まない人はいないアランの幸福論が身に沁みた時でした。
misa world vol.3を観て
赫々と真っ赤に燃えた京都
19歳の時、母と行った京都
その時、心の栞に刻まれた母との言の葉
そして、今回の子供達と廻った京都
今と過去が交差し母、私、姉、妹一人一人のかけがえのない思いが心の奥深く刻まれ。
至福に包まれたmisaさんの写心への賛美が、
ニューシネマパラダイスのエンディングシーンと重なり幸福の時を過ごせました。(ありがとう)
どんな人生でも幸福を望まない人は居ない・・
そうですよね?
人はどんなに些細なことでも心が和み幸福感に包まれる
母子三人の珍道中、ほんとに楽しかった!
再就職への活力・区切りとなり今はすっかりお家モードです
昨夜訃報が入りまた心が壊れそうになってましたが少し楽になりました
何?「アランの幸福論」
う~ん、ああいったアフォリズム的なものは、どうも苦手です。
マテリアリストを自認するほっほさんにしては意外な展開(笑)
おじさんたちの酔談は、なかなか固有名詞が出てこないので「あれ、あれ」という
意味不明の会話が多いようです(苦笑)
なんだ、やっぱりあの髭の鎌田實さんだったのですね。
福島の放射能汚染は、これからが正念場です。
国は内部被曝を認めていないので、これから多発すると予想される
身体の異変を放射能の影響と証明することは不可能なのです。
広島や長崎の実態が、それを示唆しています。
misaさんへの賛辞をニューシネマパラダイスのエンディングと
重ねる表現はお見事。
あの数々の名画を飾ったキスシーンは、本当に幸せな時間でした。
misaさん、皆さん、今回の山行は久々の大ヒットです。
朝焼けが撮れなかったのでホームランとまでは行かないけど、
三塁打をかっ飛ばしたくらい気持ち。
こうご期待を。
今までの経験から☂(土曜日)の翌日はまだ上空に厚い雲が掛かることが多く、その翌日狙いでの行動が殆どでした
それでも東方面は恐らく雲の中だったと思われます
久々の「やっほー!」ですね
私は昨年で足を無くしてますのでもう冬山には縁がありません
楽しみですね、どんな鼓動が聞こえてくるんだろう・・・
今日お通夜でした