海を見たくなった。
雨上がりの空は、どんより重い雲が垂れ込め冬の鈍空。
午後遅く雲が切れて、陽が射し始めた。
一番近い海は河口に開けた海。
河口まで繋がる川沿いの道をペダルを漕いで急ぐ。
西からの季節風が、ぴゅーぴゅー耳朶を震わせ押し返す。
短く息を吐きながら踏み出す駆動力を全開。
有酸素運動の燃焼値最大だ(笑)
落日と競争するように、ひたすらペダルを漕いだ。
いつもは眠ったように穏やかな内海が、波頭を高く立て様相を一変。
まるで冬の日本海を見るようで嬉しくなる。
河口に突き出た砂州を、どんどん先端まで進む。
千鳥の群れが白羽を翻し、幾度も白波の上を群れ飛ぶ。
水平線に薄い雲が層をなしているので、冬の気象現象、達磨夕陽にはならないだろう。
どーん波が打ち寄せ、さぁーっ曳いてゆく。
ファインダー越しにじっと観察していると、その波の軌跡が目を見張るほど美しい。
落日前の低い斜光線が波間に揺れる光跡を変幻に煌めかせる。
ゴールドからオレンジ、ピンクへ夕映えのグラデーション。
瞳の奥に映された残像の万華鏡…あまりの美しさに、くらくら眩暈される。
東の空には、満ちてきた白い月が昇る。
潮の満ち干は、昇って来た月の引力との綱引き。
目の前に広がる自然の美しさを在るがままに受け入れ、表現できる柔軟性を忘れないでいたい。
冬の海というと「達磨夕陽」とか、流通するイメージにしか反応できない貧困な想像力では、あまりにも哀しいでしょう?
あぁー、めいっぱい空のひらけた海の解放感は、やっぱりいいなぁ…
時間が経つに従がって、この薔薇色に染まる夕映えの海の風景が特別の輝きを放ち始めた…
ひょっとすると、私が撮り続けた長い写真人生の中でも、最も美しい瞬間だったかもしれない?
風景写真を撮るようになってから、アルプスの山岳地帯から深い森の中の神秘の湖水まで、
数限りない特別な場所を巡り特別な瞬間を目撃してきました。
でも、この写真は、そんな特別な場所でもなく、
繰り返される日常生活の延長線上にある、ありふれた風景の一コマでしかない。
それなのに、どうしてこんなに美しく輝いているのだろう?
よくよく考えてみれば、それは特別なことではないのかもしれない?
気象現象や光と影の濃淡や色彩の配色は無数の可能性を秘めているのだから。
毎日眺める風景の中にも奇跡のような瞬間は在って、唯、それを見過ごしているだけなのかもしれない?
ありふれた日常の中にも、世界一美しい瞬間は潜んでいるかもしれない…
って想像することは、とても豊かだ(笑)
それを発見する悦びも…
あの大ヒットしている映画「君の名は」の新海誠監督の映し出す画像を見れば分かるでしょう。
ありふれた日常の風景が、奇跡のような輝きを放つ瞬間があることを、この人は知っているのだと思う。
このことに想いが至ったのもNHKクロ現で取り上げられた「この世界の片隅に」を観ている最中でした(笑)
設定、瞬間、色合いなどなどすばらしい景色の展開です。
珍しい自然現象を追っかける写真もおもしろいんですが・・・
しかし、このように日常から非日常を切り取ることもすばらしいですね。映画、アニメ、建築物とうとう、見方が変わります。さすが芸術家でないと表現できない感性です。
ブログを拝見すると風邪を患われていた様子。
春の企画展に向けてお忙しいでしょうが、お身体お大事にしてください。
多くの皆さんが鬼城さんの宇和島歳時記を楽しみにしていますよ。
情報化社会は、物の見方が偏る傾向があります。
スマホで簡単に欲しい情報に対する人気や傾向も分かりますからね。
便利ですが、皆が同じ方向ばかり見ているのも怖い(汗)
もっと自分の感受性を信頼して目の前の自然や風景と向き合うと、
いつもとは違う新鮮な何かが見えて来ると思うのですが。
それは自分の足で巡ったお遍路旅や身体感覚の延長で巡った東北自転車旅で、
有名観光地でもない、ありふれた日常の風景の中に心を震わせる美しい瞬間を
何度も目撃した体験によるところが大きいと思っています。
「この世界の片隅に」は、繰り返される日常の中に戦争が忍び寄って来ること…それは特別のことでもなく、ごく普通に。
凄い奇跡的な時間を体験したとしても、また翌日からは普段と変わらない日常が繰り返されることも含めて。
この時間を大事にしてゆきたいですね。
マインドフルネスって最近よく聞きます。
http://www.lifehacker.jp/2014/01/140124mindfulness.html