大きな風景に目が行かなくなった。
たぶん今は、そういう時期なんだろうと思う。
蛍の儚い命の飛翔を目撃した後、どんどん目線は小さな幽けき命たちへ向けられてゆく。
緑滴るこの初夏の風景も、小さな命たちの連鎖に支えられている…
そう思うと、すべてが愛おしい…
モノサシトンボもミツバチもカゲロウも水に落ちて力尽きた小さな蛾も、
アザミの種子も森の林床に芽生えた小さな命も…
最近とみに気になる存在なのが、
体長50mm以下のイトトンボ科の昆虫たち。
その精緻な美しさには目を見張ります。
空飛ぶ生き物たちは、全体に美しい構造をしているのですが、
トンボの仲間、特にミニチュア・サイズの飛翔生物における究極の機能美ではないかと思う。
蜉蝣(かげろう)の飛翔も美しい。
蜉蝣の群舞も黄昏の光の中で撮りたいものだ…
という記事を見たときに、
宇宙空間に存在する放射線を長期間浴び続けることによる人体の影響を考えると不可能ではないかという内容でした。
それでは地球という惑星は、何によって生物が生存できないという宇宙からの放射線を遮断しているのか?
http://yaplog.jp/cosmos/archive/51
この記事を読むと、如何にこの惑星が奇跡的な存在かが理解できます。
人は、この星の環境を壊すと、何処にも逃げ場はないのです。
この惑星だけが唯一無二の存在。
そして地球を放射線から守っているのは、植物とそれを支える夥しい生き物たちの存在です。
人という生物種は、それに依存し消費するだけの存在だとしたら、
私たちは、なぜもっと謙虚になれないのでしょうか?
http://blog.goo.ne.jp/toshiaki1982/e/d66c12bfc3ded9d8782d432aeb412a83
地球は、今6度目の大絶滅へ向かっているということを書いた。
震災以降の日本の動向を見ていると、
このレミングの集団自殺のような動きが、どんどん加速されているように思える。
もう一度「6度目の大絶滅」をキーワードに検索してみた。
そうすると「持続可能な社会に想うこと」というサイトに出会った。
http://demosbc300812.blog61.fc2.com/blog-entry-53.html
このサイトは素晴らしい。
私自身が、ずっと抱えていた疑問や焦燥感に一つの回答や道筋を与えてくれている。
未来は宇宙開発をして他の惑星に移り住み・・・。
な~んだ、放射線の前では打つ手なしですか。
ほんと、人間も、生き物も、地球の一部(水泡)ですね。
このままいくと地球(神)の意思(天災)で人間も
自然淘汰されそうです。
実際、繁栄したのは農耕以降だから、およそ一万年か…
そんな生物種は地球の歴史からいうと泡沫種だよ。
仇花のような存在だよね。
そして、もし70億の内、1%が生き残ったとしても、
その勝ち残った奴らって、
とびっきり強欲な奴らだよ。
そんな奴らが共存するとも思えない(笑)
医療や介護や教育まで、すべてを市場の原理に委ねるというシステムの行き着く先を、
本当に日本人は想像しているのだろうか?
既得権益を叩き潰せという勇ましい掛け声に乗せられて威勢のいい神輿に乗っかっていると、
70数年前のような暗黒の時代が待っているような気がしてならない…
ランスケさんが、活動を始められたようなので一安心です。
生きるということ、大事なテーマですね。
NHKみんなのうたの「僕らはみんな生きている」の作詞者やなせ隆さんは、御病気のおり、自殺を考えられたとか。その時、太陽に手をかざし、血の流れを見て作詞されたとか。
れが最後のフレーズ「みんな みんな 生きているんだ 友達なんだ」
生命の写真、素晴らしいですね。
高野山の弘法大師生誕祭は如何でしたか?
ブログへの記事掲載を楽しみしています。
今日は雨上がりの高原へ。
ホッホさんやRIEさんMARIさん、そして遠い昔、私たち美大受験生の先生だったZINさんも交えた
のんびり高原散策でした。
会話が、あちらこちらに飛びながら屈託のない緩やかな時間を過ごせました。
ちょっと近頃、テンパってたので好い息抜きでした(笑)
ありがとう。
ホッホさん、ZINさん、RIEさん、MARIさん。