「物乞う仏陀」で、ハンセン病と四国遍路に言及した記述に出会ってから、
私の、ノンフィクション作家、石井光太に対する印象は、ずいぶん変わった。
それは、民俗学者宮本常一の「忘れられた日本人」の中の「土佐寺川夜話」というエピソード、
伊予から土佐に抜ける山中で道に迷い、顔の爛れた巡礼の老婆と出会う。
老婆は、人目を避けながら街道筋を外し四国遍路の旅を続けていると云う。
四国遍路には不治の業病を抱えた人や貧困の果てに何もかも失った人たちの、
最後の救済の場という性格があったようだ。
実際、飢饉により逃散した避難民も受け入れていたという記録もある。
石井光太自身も、このエピソードに心打たれ、ずっと温めていたと云う。
そして10年間続けた取材の末、それをノンフィクションではなくフィクションとして書き上げた。
残念ながら戦後60数年が経過しても、
ハンセン病と被差別民に対する壁は、未だ多くの障害や問題を抱え立ちはだかっているようだ。
さて、ミステリーという形式で書かれた国家に棄てられた棄民たちの物語。
「自己責任」という弱者切り捨ての惹句(官制用語)が嬉々として躍る倒錯した現代社会だからこそ、
じっくり読みたい一冊だ。
66番札所、雲辺寺近くの山間の集落で起きた老人失踪事件が、物語の発端となる。
物語は、ほとんどこの雲岡村という集落周辺を舞台としている。
私自身は、ハンセン病を患った巡礼者のロードムービーのような展開を期待していたので、
早々に期待感がトーンダウンしてしまう(笑)
石井光太にとっても初めてのフィクション(小説)、それもミステリー。
正直言って、ミステリーとしての完成度は期待しない方がいい。
会話や設定、話の展開にも不自然な部分が多々目につく。
そして目を背けたくなる凄惨な暴力や凌辱が続く。
それらを差し引いても、この長い物語は最後のページをおくとき、
赦しのような慈愛の光に包まれた祝福の余韻が待っている。
とても宗教的な結末だ。
この本を読む前に高野和明の「ジェノサイド」を読んでいる。
人間は虐殺する生物種である。
多くの他の生物種を、そして近似種であるネアンデルタール人や原人種を。
そして何より同種である人を虐殺する唯一の生物種である。
ホモサピエンスの歴史は、虐殺の歴史といっていい。
日本人だけは虐殺しないと強弁する人もいるが、そんなわけがない。
アジアの最底辺の貧困の現場を歩き続けた石井光太の描写は容赦ない。
差別や暴力は、最も弱いところに集中する。
子供や女性、障害のある人…呵責もない凄惨な暴力だ。
ルワンダの虐殺を引くまでもなく、
私たちは、ちょっとした切っ掛けでタガを外し、常軌を逸した暴力に走る。
空気に流されやすい日本人は、特に危険だ。
同調圧力というキナ臭い空気が、今の日本を覆っている。
どうか皆さん、周囲を冷静に眺めて自覚的であってほしい。
蛍の森 | |
石井 光太 | |
新潮社 |
「くる吉」は残念ながら火事で消失して、今は営業していません。
美術館の学芸員の解説では、洲之内徹が亡くなった時、一番傍にいて最期も看取ったのは木下晋でした。
葬儀も木下が仕切りそしてセレモニーが終わった後の
言葉が「洲之内さんの葬儀が終わりホットした」と言う
解説がありました。が・が・
しかし真実は、「おじさん散歩する」のブログに書かれている記事が正しいようです。http://blogs.yahoo.co.jp/hiroc2000jp/42982307.html
そして、洲之内徹と生前交流があり「無言館」を作りあげた窪島誠一郎と野見山暁冶。
野見山暁冶は洲之内徹と現代画廊にたむろする人々を冷徹な視線であぶり出します。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2430
阿ることなく正直な言葉を吐露する野見山も良いし。
そして、勿論そんな洲之内徹も好いです。
久しぶりに美術館へ。
学芸員さんのレクチャーにも好感を抱きました。
訥々と閊(つか)えながらも、洲之内徹(気まぐれ美術館)に対する長年育んできたファン心理が滲み出るような(ホッホさん同様)
素敵なお話でしたよ。
あの長谷川りん二郎の片髭だけの猫も展示されているので、どうぞ。
木下晋は、残念ながら期待した作品ではありませんでした。
「露口」は帰郷した際、よくOくんに連れて行かれた好い感じのスタンダードなBarでしたね。
まだあるのかなぁ?
身体が、ままならないと、
気持ちと身体の、不均衡さに焦燥感ばかりが募ります。
一度、すべてを リセット(初期化)して、
人が言葉を失ったとき、どうやって再生してゆくか?
ホロコーストの極限状態から生還した哲学者の記録とか。
もう一度、余計なものを捨てて、ベーシックな先人たちが残してくれた知性に還りたいと思います。
また暫く本の海に耽溺します。
ー昭和を生きた目と精神ー展を観にいきました。
{洲之内コレクション}今回はじめて観る作品もあり学芸員のローカルな解説もありで気がつくと3時間近く至福の時を過してました。
2階では、洲之内が松山時代青年美術家家集団の会員として活躍していた展覧会も同時開催をしていました。
青年美術家集団とは県展の反勢力として公募展開催し権威にとらわれない自由で活気に溢れた団体でした。
その青年美術家集団の中心メンバーには松山美術研究所の開設者(故)渡部徹先生もいました。
渡部先生の表現主義時代の作品「奔馬」「闘牛」が展示されており感慨深い思いになりました。
そして、2階の奥では松山ビジネスカレッジクリエティブ校の卒業進級制作展が・・・何気なく覗くと元愛媛県立美術館時代の増田学芸課長さんが、あれ?あれ?久しぶりの再開に話しが弾み・・・東高校を最後に定年そして昨年から松山ビジネスカレッジに再就職との事。
そして話題は洲之内の話になり昔「露口」で彫刻家の森さんとハイボール(サントリーのハイボール辛口は露口さん監修)を飲み流れで「くる吉」へ、そこには洲之内徹が先客で、3人で楽しい時間をすごしたそうです。
洲之内は洲之内陶器店の長男として誕生。
すぐ近くにmariさんお勤めのM陶器店があります。
何か面白い話はないかとメールしてみると、案の定このようなメールの返信が・・・。
M陶器店と洲之内陶器店この辺りを「魚の棚」と呼ばれて、中ノ川経由で舟で三津から運ばれた魚を捌いていた頃からのお仲間だったそうです。
魚等の食料販売→日用品販売→食器販売という変遷だとか。
んん~??????。
ランスケさんごめんなさい。
私は、何を書き込んでいるのでしょう??
この記事は、相次ぐ父母の死と3・11の震災がもたらした夥しい個々の死の情報に、強く囚われていた時期に書かれたものです。
今でも、この「ひとの痛み」に感応してしまうところは、抜け切れないようです(汗)
父母の死を看取る以前の私が、どうだったのか?
と想像すると、う~ん。
もっと、どうしようもない自己チューな奴だったような気がします。
10年ほど続けたHPを閉鎖してブログに切り替えた時期辺りから、
父母の老いが急速に進行して、毎日、人が衰え死に至る過程を見続けて来ました。
この一年くらいの濃密な時間は、確かに内面から私という自我を揺さぶり続けたのだと思います。
最近、脳科学者、池谷祐二氏のミラーニューロンに関する記述を目にしました。
御存知のように他者の行動に反応する脳内の神経細胞による鏡像現象が注目を集めています。
まだまだ解明しきれない未知の分野なのですが、
色んな興味深い症例も報告されています。
有名なのは、他者の行動を、そのまま模倣してしまう鏡に映したような鏡像現象です。
人は自分の姿を見ることが叶わないので、他者の姿に自分を重ねてしまう自己同一化ではないか?
痛みや怒りそれに喜びといった感情への共感反応は、この神経細胞では顕著なようです。
私は、優れた芸術家や宗教家は、このミラーニューロンの活動が顕著な人ではないか?
と想像します。
私たちの思いつかないような、人の痛みや悦びを感知し、
それを掬い上げ、生々しく再現してみせる。
また、それを寛容という慈悲で包み込み、私たちを救ってくれる。
マタイ伝の「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という
自己同一化に重なりませんか?
してました。長谷川りん二郎の人となりがよくわかります。http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/050226/picture.html
ランスケさんの素晴らしい文章でよく再読されている
ーリアルな死の手触りーでコメントした
神田日勝の「馬(絶筆・未完)」と自画像「室内風景」
http://kandanissho.com/gallery/
同じく、山口薫の「おぼろ月に輪舞する子供達」です。
http://www.kahitsukan.or.jp/kao.html
あの大雪の後、一緒に行くはずだった瓶ヶ森でした。
残念ながら私は、交通事故ため断念。
バイクと車の衝突事故で、私は5mくらい衝撃でふっ飛ばされたとか。
幸い、私の怪我は軽傷で済みましたがバイクは全損大破です。
私の代わりに、長年共に山道を駆け上り、日常の足になってくれた愛車を失いました。
とても哀しいです。
ループさんの瓶ヶ森レポートは以下に。
http://www.yamareco.com/modules/jqm/detail.php?did=406170
お怪我の具合はいかがですか?
白猪谷からの瓶ヶ森は東ノ川からに比べ楽で安全でした。もうあの苦しいラッセルをしなくて良いと思うと気が楽になりました(^^)
回復お待ちしています!
世界は、今の日本をどう見ているのか?
今一度、目を覚ましてほしい。
【パリ共同】国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)が12日発表した、
世界各国の報道の自由度を順位付けした報告書で日本は昨年の53位から59位に後退した。
東京電力福島第1原発事故の影響を取材しようとするとさまざまな圧力を受けるとされたほか、
特定秘密保護法の成立が響いた。
日本は、各国を5段階に分けた分類で上から2番目の「満足できる状況」から、
主要先進国で唯一、3番目の「顕著な問題」のある国に転落。
東アジアでは台湾や韓国を下回る自由度とされた。
日本は昨年も福島の事故について情報の透明性が欠けるとして大きく順位を落としていた。
(共同通信)
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」は聖書マタイ伝の有名な一節でしたね。
この「あなたの隣人」とは「あなた自身」のことだと云われています。
私たちは、かつて無力な幼児であったし、いずれ病に倒れたり年老いて社会的弱者となって行きます。
これは望むと望まざるに係わらず、私たちの必然です。
自己責任で切り棄てられる格差や差別を助長する社会は、この前提を否定します。
自助努力が足りないと。
近代化とは、こういったセイフティネット、共生のシステム(地域の共同体や家族制度)をことごとく分断化していった過程だと云われています。
お金を流動させ消費を煽るには、こういう狭いコミュニティで自足してしまう相互扶助のシステムは邪魔だったからです。
では、このマタイ伝の一節は、何が云いたいのか?
とても端的に云うと、
それは、この世の中が、自分のような人間ばかりであっても愉快に暮らしてゆけるような人間になることに尽くされる。
それが自分に祝福を贈ることである。
その逆の、世の中が自分のような人間ばかりであったら、
たいへん住み難くなると考えるタイプの人間は、自分自身に呪いをかけているのである。
そういう風にレヴィナスの研究者である内田樹は説いています。
とても耳の痛い話です(汗)
私は、明日の「ゆめ」を流し去る様な巷の「かぜ」には弱く、「末法の世」が到来したかの様に想えてなりません。
ランスケさんのブログにより、木下 晋の鉛筆画を初めて見ました。私にはキツスギマス。傷めつけられた人の心の深層で燃える「魂の炎」を感じることが出来ません。すみません。
庶民文化の問題点を取り上げた「破壊」から今日まで、どの様な進歩が存在するのでしょうか?
丸岡 忠雄の詩・・・吾子よ お前には 胸張ってふるさとを名のらせたい 瞳をあげ何のためらいもなく
「これが私のふるさとです」 と名のらせたい・・・
劇作家「つかこうへい」は、「いつかこうへい」な世界になることを想っていたようです。かれは死後、朝鮮半島と日本の中間海域に「散骨」するようにと、家族に言い残しています。・・・かれの出世作「蒲田行進曲」の中で、階段から落ちる場面の役は、生きるためには、どの様な危険な仕事でも、しなければならない「立場の人」を描いているようにも思います。
ローカル新聞に中国からの帰国者の記事が連載されました。私とほぼ同じ齢の女性が・・・「お母さん、日本に帰ったかな、まだ瀋陽市にいるかな、生きているかな」・・・大陸で一人ぼっちになった少女時代の「心の内」が書かれていました。
このような大きな犠牲を生んだ「戦争の原因や責任」についても不問です。
さらに、隣国との国境問題を煽る「政府や巨大報道機関」。
われわれ市民の「幸せ」は、我々が差別をしない社会・つくられる戦争を防止する社会・きちんと原因や責任をみつめる社会等にすることが唯一の道であるように思います。
交通事故は、入院するほどでもないので御安心を。
どうも、この時期になると魔がさすというのか?
アクシデントに見舞われます。
misaさんも御注意を。
佐村河内さんのゴーストライター氏の記者会見を、さっきまでニュースで観ていました。
なんとも複雑な感慨です。
何を信じて良いのやら?
交通事故?
大丈夫ですか?今日一日で3件の事故に遭遇しました
昨年は骨折2回で流石にうんざり、年々身体の油切れを感じながら行動範囲が狭くなっています
ゴーストライター、何故この時期に?
ゴーストライターがいたという経緯が判ってくるにつれ、
とても哀しくて残念な想いが募って来ます。
確かに、震災後のあの当時、私自身は、あの全聾の作曲家の鎮魂の物語に、
強く心を揺さぶられ、その奏でられる音楽に琴線を震わせました。
その気持ちは、今も変わらないと思っています。
だから、手のひらを反したような態度や発言は、私にはできません。
今は静かに経緯を見守りたいと思います。
昨日、夕方、交通事故に。
幸い、大事には至りませんでした。
せっかく寒波が戻って来て、ループさんからもお誘いがあったのに。
重ねて残念です。
また今年も雪山は途中で挫折です。
どうもツキに見放されたランスケです(汗)
あなたの大好きな須之内徹のお話だけに熱がこもっていますね。
それとは別に、今日の「この記事を見た人は…」を見ていて驚きました。
昨夜の日曜美術館のアートシーンで紹介していた、活き人形師、平田郷陽の「抱擁」に関するブログが登場している。
http://blog.goo.ne.jp/nippondentougeinou/e/a6d0134fc5645b6c8490d5452b45041f?fm=entry_related
この画像では判らないかもしれないけれど、この「抱擁」という母子人形には、一見して強く心を奪われました。
テレビでは多方面から、この母子像をカメラが捉え、その母子のあまりの情感の細やかさに目が点でした。
「蛍の森」も、重く息苦しい差別と偏見の重圧に耐えながら、最終章で母子のそして家族の赦しと慈愛に包まれた祝福が待っていました。
どんな苛酷な差別や暴力に晒されても、結局、私たちは、赦してしまう…そういう寛容な生物種であると信じたい…
もちろん、それは日本人が得意な事実から目を逸らす「なかったことにする」とは、まったく違います。
愛媛県美術館と二ヵ所で同時開催です。
昭和を生きたという副題は少し疑問で村山槐多や関根正二、萬鉄五郎、等々あの短い大正という時代にキラ星の如く表れ夭折していった画家や作家が須之内の出発点になっているからである。
木下晋を見出したのは須之内徹です。
長い付き合いでしたが、須之内が亡くなった時、木下晋が残した言葉が、「須之内さんが死んでホッとした」
でした。それほど木下は須之内を恐れていました。
詳しいことは、次の機会にチャンスがあれば・・。
芸術新潮に須之内が連載していた「きまぐれ美術館」
私が絵を描くことから気持ちが離れていた時再び引き戻してくれたのが、「絵の中の散歩」「帰りたい風景」「セザンヌの塗り残し」「人魚をみた人」「さらば気まぐれ美術館」の気まぐれ美術館シリーズでした。
例えば、長谷川りん二郎<猫>片髭しかない猫の秘密
「猫」の絵だけは、六年前にもう完成していた。
完成していると思ったので、私は譲ってくださいと頼んだ。すると、長谷川さんは、まだ髭がかけてないからお渡しできませんと言った。
言われて見ると、なるほど髭がない。「では、ちょっと髭をかいてください」と、私は重ねて頼んだ。
すると長谷川さんはまたかぶりを横に振って、猫がおとなしく座ってくれないと描けない、それに、猫は冬は球のように丸くなるし、夏はだらりと長く伸びてしまって、こういう格好で寝るのは年に二回、春と秋だけで、だからそれまで待ってくれと、言うのであった。
長谷川さんの絵のかき方を十分承知しているつもりの私も、これには驚いた。
なにも髭だけかくのに猫全体がそっくりこれと同じ形になるのを待つこともあるまい、そうは思ったが、穏やかなようでも言い出したら聞かない長谷川さんである。
それに猫は猫でもただの猫とはちがう。長谷川さんが家族同様の待遇をしている猫なのだ。
たかが髭くらいなどと軽々しいことを言ってはならない。私は言われるとおり待つことにした。
それからしばらくして、絵の中の猫は、何年目かに初めて髭を生やしてもらった。
「髭をかきました」長谷川さんの差し出すキャンパスを受け
とって見ると、どうゆわけか左半分の髭しか描いていない。 しかし私は、どうして右に髭がないのかは訊かなかった。 下手なことを言って、また何年も待つことになっては大変だ。
「タロー君死なれてみると、この絵を戴いてわるいみたいですね、だいじな記念でしょう」
「いいんですよ、お約束したんですから」
「じゃあ頂戴します、その代わりどこにも売りません、いつまでも僕が持っていることにします」
「そうしてくださるとうれしいです」
展覧会では最初から赤札をつけておいた。言うまでもなく、買い手は私自身である。
(芸術新潮:1994年12月号より)
この作品は愛媛県美術館に展示してますのでご確認ください。開催日1月25日から3月16日(日)まで
このようなエピソードが毎回、毎回枚挙にいとまがないのである。
一度須之内の文章にはまると抜け出せなくなる
あなたに初めて見せてもらった木下晋の鉛筆画は、あまりにも強烈だった。
決して写真では現わせない、差別に晒され続けた人の抱える深い闇と
突き刺さるような痛みを感じました。
桜井哲夫さんと小林ハルさんをモデルにした鉛筆画は、以下のURLで。
http://www.shomeido.jp/gallery/contents/exhibitions/exh2010/201007_kinositasusumu/201007_kinositasusumu.html
格差や差別が、益々助長される今だからこそ、目を背けないで考えたい。
私たちは、被害者であることには熱心だが、加害者であることに、とても臆病です。
加害者であることを攻め続けられると、とたん逆切れしてしまう。
差別を受け続ける人たちは、理不尽で呵責もない暴力に晒され続けてきました。
目を背けないで、その現実を直視することから始めないと。
知らないと無関心でいること事態が差別を助長する加害者であることを理解しないと。
ハンセン病で亡くなれた方の魂が乱舞しているようで。
木下晋がハンセン病患者で盲目の詩人桜井哲夫さん
との出会いを画文集「祈り心」のなかで書いていました。
このような内容でした。
療養所を訪れたのは夕方になってからである。
薄暗くなった部屋の片隅でひざを抱えた小男が背中
を向けて座っていた。
その瞬間強力な孤独を感じた。
その孤独は、小林ハルさんと自分の母親と同じ孤独
だと思った。
絵を描かせてほしいと頼んだが即座に断られた。
しかし諦めずに何度もお願いをしてモデルになって
もらった。
あなたを描くのではなくあなたをもっと知りたいから
描きたい。
盲目の桜井哲夫さんにも小林ハルさんにも何度も何度も絵を見てもらったそうです。
描いているとお二人とも内から発する魂の光がまぶし
いくらい発していたそうです。
そうですよね、命は美しい。
2012年5月27日のNHK日曜美術館放送のURLは
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2012/0527/
たしか、不治の病の方は「お遍路さん」と「へんど」と
わけて呼んでましたね。
子供の時来てました。
塔和子さんについてももっと知りたいですね。