石井光太の著作が、こんなに文庫化されていることを知らなかった。
退院後も行動がままならないので、本漁り(ほんあさり)にジュンク堂店内を徘徊していると、それらが目に留まった。
そのすべて(4冊)を購入した。
まず最初に選んだのはイスラム圏の性を取材した「神の棄てた裸体」(新潮文庫)
イスラム世界に対して私たちは、ブルカの着用に象徴されるように女性が抑圧された非常に閉じられた世界をイメージしてしまう。
確かに、そういう一面があることは否めないが、
近代化以前の日本が抑圧された閉じられた世界かというと、渡辺京二の「逝きし世の面影」に描かれたように、
また別の一面も見えてくるのだ。
自分たちの物差しを捨てて、その風土の地べたで這いつくように暮らす人々の目線に立てば。
一読した印象は、「これは作者自身がすべて体験したことなのか?」という疑問。
それほど、どの話も物語としての濃密さに満ちているのだ。
それについては石井光太自身が情熱大陸というドキュメント番組の取材の中で答えている。
「話を面白くするのもノンフィクションの表現手段である」と。
私も、それについては異論がない。
ノンフィクションが事実に基づいた中立な立場に立った記述であるという認識は、
現在においては、ほとんど意味をなさない。
あのブルース・チャトウィンの名作「パタゴニア」も、かなりの部分が創作であると云われている。
それでも「遺体」や「津波の墓標」で私たちの目を釘づけにした
人の痛みに寄り添うような取材方法は、この作品のなかでも健在だ。
売春や路上生活の営みのなかでのナマの声を聴くために、彼は現地の暮らしのなかに降りていって一緒に生活する。
(ただし若さゆえなのか(この作品の頃は20代)かなり、のっぴきならない立場にまで子供たちと関わり合い自己撞着してしまっている)
ストリートチルドレンやヒジュラと呼ばれる両性具有のイコンのような人々の打算やしたたかさをも呑み込んで。
私が、特に印象深かったのは、「問わず語り」と題されたミャンマーの国境付近に住む椰子酒売りの話。
ヒンズー教徒が大半を占めるインドではイスラム教徒はマイノリティーとなる。
それでも一億人を越えるというからイスラム教世界の一割。
(イスラム圏は中近東というイメージが強いが実はインドネシアを筆頭にアジアがイスラム教徒の過半数を占める)
そのインドでは、ほとんど虫けら以下の扱いを受けるイスラム教徒は国外に暮らすことが多い。
椰子酒売りの暮らす村もミャンマーのインド国境付近にある。
第二次世界大戦当時、この村付近は日本軍によって占領されていた。
旧日本軍が行なった蛮行について、とかく否定したがる風潮が勢いを増しているが、
戦争という極限状態では、どんな民族でもタガが外れてしまう。日本人だけが例外であるわけがない。
この村でも家の中に隠しておいた女性を日本兵が探し出して暴行する事態が頻発したようだ。
椰子酒売りの新婚の妻も、その犠牲者となった。
産まれてきた子供は、明らかに肌色の違う上に手足や脳に障害を持った不具の子だった。
イスラムでは異教徒の子供を産むことは教義で許されていない。
出産した後、まだ幼い妻は、その事実に向かい会えず失踪した。
残され椰子酒売りは、途方にくれながらも、その子を育ててゆく。
こういう望まれない子供は処分されるのだが椰子酒売りは呆けたように不具の子を育てた。
そして何時の間にか、この子にたくさんの兄弟ができる。
同じように日本兵による暴行で生まれた望まれない子供たちが、この家の軒先に棄てられてゆく。
それを、この椰子酒売りは同じにように育てたらしい。
障害を持つ子供は、ある種の聖性を帯びることが多々あるようだ。
言葉を喋れない寝たきりの子は、兄弟たちの存在を喜び無垢の笑みで応えた。
そして兄弟たちも、この子を皆で助け愛した。
無垢の子ドヌーは25歳で、突然体調を崩し逝ってしまう。
ドヌーの死後、兄弟たちは役目を終えたように、それぞれ結婚したりして家を離れていった。
椰子酒売りは、今は一人椰子酒を売りながら気侭に暮らしている。
その話を老人から聞きながら著者は「今晩泊まってゆけ」と勧められる。
子供たちは幼い頃から日本人は鬼畜だと云われて育ってきた。
日本人の血が流れていることに拭い難い心の傷を抱いてきた子供たちに、
そんな日本人ばかりでないことを教えてやりたい。
「間もなく森から子供たちが帰ってくる」
寓話的な余韻を残して、この物語は終る。
石井光太は、この話の語り口を、民俗学者、宮本常一の土佐源氏の伝承を、自らの女遍歴から語る老人の話法からヒントを得たと云う。
それをも含めて、色んな意味で寓意に溢れた面白い話だった。
最後に石井光太のブログ「旅の物語、物語の旅」を貼っていきます。
神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫) | |
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