昨日参加した講座で、おもしろい体験(実験?)をしました。
具体的な話の内容はここでは書けませんが、
普段毎日何気なく過ごしているなかで、
家族や知人や仲間たちとの会話のやりとりで、
自分はどんな聴き方ができているのか、
どんなふうに話を聴いてもらいたいと思っていたのか、
気づかされました。
自分の話したいことを相手の方に伝えるわけですが、
自分がこれを相手に伝えたい、と思っているときって、
ものすごく気合いが入っていて、
その内容が、「自分の関心のあること=相手も関心があること」
とは限らないですよね。
だから、自分は一生懸命話をしているけれど、
もし相手が興味も関心も示さず、また何か他の用事や仕事をしながら
聴いていたとすると、ほとんどの場合、話の半分も聞き取れていない。
それどころか、話の内容よりも、いまやらなければならない
仕事や用事のことで頭の中はいっぱい。
「うん、うん、」と相づちはうつけれど、ほとんど聞き流し状態。
誰にでも身に覚えのある話だと思います。
よくある話じゃないですか。
自分が一生懸命話を聴いてもらいたいと思っているときに、
この反応されると、つらくなるし、なんだか落ち込むんですよ。
なんでちゃんと話を聴いてくれないの?っていう気持ちになる。
不思議ですよね、
でもこれって、相手が子どもだったら?我が子だったらどうでしょう。
親の私が聞き手。話し手は我が子。
子どもが、「お母さん、聞いて聞いて、きょうね・・・」って。
忙しい夕方の時間、一生懸命「聞いて」って言ってる我が子を前に、
用事をしながら聞いているつもりの私。
「うん、うん、」って言ってるけど、
そのときの話ってほとんどちゃんと聞けてない。
そのときのショックは、相手が子どもであろうと同じ気持ちなんだろうな、と。
いまさらですが、頭ではわかっていたはずなのに。
そうだよね、ホントそうなんだよね、って感じです。
あ~ この歳にして、お恥ずかしいかぎりですが、
改めて考えさせられました。
大事なのは、「いま」「そのとき」なんですよね。
相手が話したい「そのとき」のタイミングって、
聞き手にはわからない。
大事な話なのか、どうでもいい話なのか、
それを聞き手が勝手に決めつけてはいけないんでしょうね。
反省しきりです。
具体的な話の内容はここでは書けませんが、
普段毎日何気なく過ごしているなかで、
家族や知人や仲間たちとの会話のやりとりで、
自分はどんな聴き方ができているのか、
どんなふうに話を聴いてもらいたいと思っていたのか、
気づかされました。
自分の話したいことを相手の方に伝えるわけですが、
自分がこれを相手に伝えたい、と思っているときって、
ものすごく気合いが入っていて、
その内容が、「自分の関心のあること=相手も関心があること」
とは限らないですよね。
だから、自分は一生懸命話をしているけれど、
もし相手が興味も関心も示さず、また何か他の用事や仕事をしながら
聴いていたとすると、ほとんどの場合、話の半分も聞き取れていない。
それどころか、話の内容よりも、いまやらなければならない
仕事や用事のことで頭の中はいっぱい。
「うん、うん、」と相づちはうつけれど、ほとんど聞き流し状態。
誰にでも身に覚えのある話だと思います。
よくある話じゃないですか。
自分が一生懸命話を聴いてもらいたいと思っているときに、
この反応されると、つらくなるし、なんだか落ち込むんですよ。
なんでちゃんと話を聴いてくれないの?っていう気持ちになる。
不思議ですよね、
でもこれって、相手が子どもだったら?我が子だったらどうでしょう。
親の私が聞き手。話し手は我が子。
子どもが、「お母さん、聞いて聞いて、きょうね・・・」って。
忙しい夕方の時間、一生懸命「聞いて」って言ってる我が子を前に、
用事をしながら聞いているつもりの私。
「うん、うん、」って言ってるけど、
そのときの話ってほとんどちゃんと聞けてない。
そのときのショックは、相手が子どもであろうと同じ気持ちなんだろうな、と。
いまさらですが、頭ではわかっていたはずなのに。
そうだよね、ホントそうなんだよね、って感じです。
あ~ この歳にして、お恥ずかしいかぎりですが、
改めて考えさせられました。
大事なのは、「いま」「そのとき」なんですよね。
相手が話したい「そのとき」のタイミングって、
聞き手にはわからない。
大事な話なのか、どうでもいい話なのか、
それを聞き手が勝手に決めつけてはいけないんでしょうね。
反省しきりです。