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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

パブリックコメント 異論、反論、解説 (1)

2012年08月22日 | どうなる鍬ヶ崎
「災害危険区域に関する条例」パブリックコメント
異論、反論、解説


鍬ヶ崎の場合

鍬ヶ崎地区は条例の災害危険区域からはじかれている。条例施行によって高台移転の可能性が完全に無くなる事が懸念されます。つまり鍬ヶ崎は防潮堤によって浸水深はなく建物は自由に建てることが出来る地域になって高台移転の必要性がないという懸念です。ちょっと待っていただきたい。浸水深0(ゼロ)という事と高台移転の必要性という事は全く意味が違うのです。──前者は岩手県土整備部の未だ検証されていないシミュレーション、後者は鍬ヶ崎がこれから長く生きていくための生活基盤になるものです。二者は一緒に出来ないばかりか、以下の理由によって、鍬ヶ崎の場合いささかも関連させてはならないと思います。
どんな事があろうとも(たとえ被災を忘れることがあっても…)「鍬ヶ崎には津波がこない」などと考えてはいけない。

公が鍬ヶ崎住民に高台移転の断念を迫る背景
鍬ヶ崎の高台移転が見えない理由


県土整備部のシミュレーション : 浸水深によって建築のいろいろな規制がかかること自体は当然の事ですから反対もしないし自分でもいろいろ考えていますが、上記のような鍬ヶ崎の浸水深0(ゼロ)という事は、防潮堤設置の是非、防潮堤の崩壊問題、防潮堤・閉伊川水門・津軽石川水門設置後の津波の流れ、蛸の浜からの津波越流の検証や議論がなにひとつ行われておらず、地区の合意、科学的結論が出ていないのに…早計である。この事が高所移転の断念を迫る原因になりかねない事を心配する。県土整備部のシミュレーションはきっぱり別に議論するべきである。

参考図<宮古湾防災コンセプト>より「密閉された宮古湾の津波」


(3図)湾奥からの戻り波

(5図)月山からの反射波○○○○○○○○○○○○

3.11津波での被災のキズはまだ少しも癒されていない。防潮堤計画があっても同じような被害の怖れにつきまとわれている。全湾を防潮堤・水門で囲んだ場合でも鍬ヶ崎の浸水の可能性は小さくはならない。津波の直接的襲撃だけでなく、湾奥からの戻り波、そして月山からの反射波。蛸の浜からの越流。…閉伊川への波の逃げ場も閉鎖されたら、3.11を越える浸水は否定できない。参考図(3図)(5図)にある戻り波、反射波が同時に鍬ヶ崎を襲う可能性もある。防潮堤が破壊され、また漏れた場合でも、鍬ヶ崎の浸水は想定されていなければならない。


市役所など指導者の消極性 : 実際はどういうつもりだったのだろうか? 昨年来の鍬ヶ崎地区まちづくり検討会の期間を通じて,コンサルタント、市長、副市長、市会議員、市職員など市政の指導者が鍬ヶ崎の高台移転に消極的であった。まともに議題に取り上げられた事はなく、真剣に討議された記憶もなく、鍬ヶ崎人自身が真綿で首を絞められたようにその問題からいつも遠ざけられて今日に至っている。今回の条例施行によってその傾向が固まるようなことがあってはならない。
国の最大の復興事業は被災地区の高台移転であったはずである。たとえ国がそれを忘れても被災自治体政治家の中心課題は「高台移転」であるはずである。最初からの煮え切らない姿勢はなんだったのか? 





コメント
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