これからの防潮堤問題、閉伊川水門問題
震災復興は ■初心で始める市会議員の着実な一歩一歩から
東京からの「たより」
東京の友人から便りがあり恒例の在京宮古衆の会の様子などを知らせてきた。「4月6日、東京ガーデンパレスで<東京-宮古出身者の会>があった。例年の市長や市議会議長は北リアス線の開通行事で欠席、副市長、市議会副議長等が出席した。企画課長も来ていて震災復興状況の説明があったが、市道整備状況等々で、閉伊川水門、鍬ヶ崎防潮堤の説明はなかった」と。「ただ私が昨年宮古訪問の折赤灯台のあった龍神崎からの防潮堤工事は工事実体は県なのか国なのか、設計は?等々判断は出来ないが浚渫船、ケーソン引き船、クレ-ン台船とも三重県(四日市市)船籍だったから市の企画課長では説明できないであろう」などとも書いてあった。
関心の高さが伺えるばかりか情報の広さ、確かさがある。宮古市民のみなさんは、そして宮古市市議会議員のみなさんはこのことをどう思われますか? 出席者がどうのこうのということではなく、県外の同郷人の集まりで宮古市復興状況の報告に閉伊川水門や田老、鍬ヶ崎等の防潮堤の説明がなかったという指摘についてです。遠くの同郷人の思いについて…
悪しき分業
それは水門や防潮堤の状況を企画課で把握してなかったという不手際のことではない。はなから宮古市はそれらの事案を把握することを避けているからです。管轄が宮古市ではなく岩手県庁だからと。実際私も担当の建設課などに防潮堤について取材したことがあったが、担当は名ばかりで、その計画、設計、進捗、見通しについて何も分かっておらず、県の出先機関(岩手県宮古土木センター)にたらい回しされただけであった。水門も防潮堤も県管轄の事業であるから宮古市としては進捗状況やその他のことについて把握していないばかりか説明する権利も義務も(わずかしか)ないということで、その消極的姿勢だけは一貫していた。
行政、市会議員はもっと市民の中に
本当はその実態把握、その進捗説明には宮古市部局の方が前面に立つべきではないでしょうか? 県庁の管轄だといっても宮古市の、宮古市民のことではないですか! その事業で得をするのも損をするのも宮古市であり、宮古市民でないですか? 県と市が同一歩調で事案の把握や説明にあたるべきものではないでしょうか? 特に市としては、地元として、地元市民の利害や要望に関わるすべてを県につないでいくパイプの役割があるのではないでしょうか? 新生市会議員への期待は高まるだけである。
0(ゼロ)からの再出発
あまりにも、あまりにもである。新生市会議員は、古い議員も、初心に返ってこのような県庁、宮古市の縦割り、悪しき分業の官僚主義を、市民の立場で出直しさせてほしい。まさに、前ぺージまで「宮古の選挙」(1)無投票当選(2)住宅問題(3)津波被害の検証で述べたように、市政も復興も、ゼロベースで一から始める覚悟が必要である。次の防潮堤問題、水門問題にかぎらず、区画整理事業、避難路等避難インフラ、復興に係るハードからソフトまでその進展は遅遅として見えていない。漁業組合の火災事故なども生起している、だれが、宮古市の復興を自信を持って語れるのであろうか? 月並みであるが議員は率先して一歩一歩、最初からのつもりで積み上げていくしかない。
<鍬ヶ崎防潮堤>問題
鍬ヶ崎にかぎらない、宮古市沿岸の全ての防潮堤計画が、始めからおさらいしなければならない状況にある。今防潮堤工事は計画上、設計上、また防災思想上、着手する状態にはない。先の震災で大きく目立った被害は東北沿岸一帯で防潮堤の崩壊であったので防潮堤に対する期待や効果が冷えてしまっているからである。震災以来「つくります」「つくります」のかけ声はずっとあったが鍬ヶ崎では震災前の防潮堤計画が一度消滅していたので地元では防潮堤再建はほとんど誰も信じておらず、鍬ヶ崎の計画防潮堤の場所や設計の具体的な説明も粗末な資料をもって昨年11月29日に初めて一度行われただけであった。市役所に集まった出席者も少なく、説明の内容も不十分で理解困難なものであったし、あやふやなものであった。そもそも宮古湾湾口も湾奥も一律の高さであり、2番目の大きさの津波を対象にするなどの理不尽な決まりへの反対意見が蒸し返され、沿岸地元民には、あまりにも安易なそれらの決まりが納得されていないことが判明した。
クルージングボート目線による鍬ヶ崎港の防潮堤(想像)
※ ページ末尾に本物の景色
世論の風当たりも強くなるばかりであるが一番の問題は、そのように、県庁や宮古市の行う説明が回数にせよ、内容にせよ、ほとんど地元民に届いていないことである。たった一度の住民説明で計画を進めるべきではない。これは鍬ヶ崎にかぎらず、どこの地区の防潮堤でも問題になっているはずである。いや、どこの地区でも問題にするべきものである。県、市の役所からは強権的に「つくらなければならない」の意志だけが前面にでている。地元地区民の、また宮古市民の合意形成というものは無視され、目的も、効果も、疑問だらけである。このままの状態では、賛成するにせよ、反対するにせよ、結論はこれから数年かかると見なければならないだろう。まさに新宮古市議会議員に課せられた課題である。
[関連記事] 鍬ヶ崎「防潮堤」(15)あるべき鍬ヶ崎防潮堤 2013.12.23
<閉伊川水門>問題
防潮堤と同じことがいえる。2012年の初めに水門問題で宮古市議会が燃え、直接市民集会ももたれた。議会の意見も市民の大多数からの疑問の声も聞き入れられず、最後に市長の専横で水門建設が決定された。その後水門問題はぴたっと音沙汰なしで2年が経過、昨年暮れに内密の駆け込みのようにして工事祈願祭が行われた。見積り間違い、工期遅れ、設計間違いの未解決を抱えたままの予算期限のためだけの準備不足のアリバイ的着工であった。ここでも市民との合意形成が無視されていた。役所と業者だけの安全祈願祭と言わざるを得ない。この2~3年間、市民に対する説明というものはただの一度も行われていないのである。複段可動式、船舶航路付きの前例ない実験的防災水門だというのに、足もとの藤原地区、光岸地地区、鍬ヶ崎地区などに対してさえも一度の説明もなく、官と業者の談合で秘密裏に宮古市の中心を流れ、宮古市のランドスケープ(景色)を印象づけている閉伊川において、河口設計、河口デザイン、大きな景観の変更が行われているのである。醜悪なイメージしか浮かんでこない。具体的にあれやこれら問題を抱えたままの工事はどこかで見直しが必至であり、このまま市民を無視した工事の進行は遠からず破綻するすることは必然である。禍根を将来に残す前に問題を元に戻すべきである。
閉伊川水門(想像)
<閉伊川水門事業・漁師の徒然なるブログ>(2012.6.6)より
※※ 現在の河口写真はページ末に
市民向けの説明は一度もなかったが、閉伊川を利用する漁船や船舶の関係者には県庁は今年2月6日にこっそり第2回目の説明会を開いている。これはやはりこっそり開かれた第1回目から二年たっての開催であった。工事期間の船の安全航行に関する説明に限定したが、それすら説明が行き届かず、納得が得られないで、不十分な説明会に終わっている(その後どうなっているかは分からない)。その時の説明会資料を検討してみたが、この水門計画は、不十分どころか、危険きわまりなく、それ自体が災害リスクの大きい計画であるように思われた。改めて宮古市民の賛成、反対の合意形成プロセスが着手されなければならないと思われる。宮古市当局、岩手県当局、そしてそこに取り込まれて、市民に対する指導性のない宮古市漁協等の見識を疑う。新議員にお願いするが、無投票でも何でも、あなた達にがんばってもらわなければ宮古の沿岸はコンクリートのおもりで沈没してしまうのです。子孫にはせめて誇るべき海の景観を残しましょう。
[関連記事] 目を覚ませ宮古人!!しっかり「閉伊川」を見よ(2)一部市民に説明会 2014.2.8
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※ クルージングボートから見た震災前の鍬ヶ崎港