災害時に「死ぬわけがない」と考えてしまう正常性バイアスとは 危機意識が強い人も陥る危険性
Yahooニュース(アエラ 2024.1.10)
P.1 異常な事態が起きているのに「大したことはない」と思い込んでしまう「正常性バイアス」と呼ばれる心理。災害時の逃げ遅れの要因としてたびたび焦点が当たるが、なぜ人はその状態に陥ってしまうのか。専門家や、家族が正常性バイアスに陥った被災者は「情報だけでは人は動かない」と、人間が抱える複雑な特性を指摘する。
避難を拒む丸岡さんの父
息子「もうはよう(早く)逃げよう。死んだら終わるで!」 父「死ぬわけねえがな」 息子「(川が氾濫した)水、まだ来るんで!」 父「来る言うても、(川の)土手を超えるわけなかろうが。(中略)アホじゃねえか」 息子「もうここ全員逃げとんじゃけん! みんなと違う行動するのが一番危ない!」 2018年夏の「西日本豪雨」で川の堤防が決壊し、51人が死亡した岡山県倉敷市真備町。7月7日の朝、丸畑裕介さん(41)は、自宅に浸水の危機が迫るなか、何事もないかのように家に残ろうとする父を必死に説得していた。 前日の6日。ゲリラ豪雨のような雨が続き、川が急速に増水していった。「経験したことがない事態が起きるかもしれない」と、恐怖を感じた丸畑さん。 ■ 川が決壊しても普通に寝ていた家族 その日の午後、同居する両親と弟に、家具を2階に移動させようと提案したが、「考えすぎや、と相手にされませんでした。しまいには、しつこい!と怒られてしまうほど、家族に危機感はありませんでした」と振り返る。 夜になり、真備町の一部に避難勧告が出され、午後10時には勧告の範囲は全域に広がった。そのすぐあと、倉敷市などに大雨特別警報が発令された。 危機感を募らせた丸畑さんは深夜、車に息子を乗せ高台に避難した。 日付が変わったころ、川が決壊した。SNSを見ると、家屋が浸水し救助を求める切迫した投稿の数々が目に飛び込んできた。 状況を伝え、急いで避難させようと自宅に電話をしたが、誰も出ない。 「みんな、普通に寝ていたそうです。家族にとっては、ただの日常が続いていました」(丸畑さん) 夜が明け、自宅に戻ろうと車を走らせたところ、真備町の中心部はすでに浸水していた。丸畑さんはその光景をスマホで撮影した。
P.2 幸いにも自宅は町の端にあり、まだ水は来ていなかった。家族は普段通りの朝を過ごしており、母はお化粧の最中だったという。 「何メートルもの高さに水が来てるで!」 スマホの写真を見せて避難を促したが、家族は相変わらず「ここには来んよ」の一点張り。 丸畑さんは一度、自宅を出て近くを車で走り、さらに浸水地域が広がっていることを確認して写真に収め、再び自宅に戻った。 「ホンマや……」。母と弟は、その写真を見て水が近づいてきていることを悟り、ようやく避難を決断。丸畑さんが車で送った。 午前10時ごろ、自宅に戻ると、すでに水が周囲に流れ込んできていた。丸畑さんは水の中をじゃぶじゃぶと歩き、家に入った。 だが……。 父はまったく動かない。その場面が冒頭のやり取りである。 ■ 水が床下に達してようやく 切迫した口調で、必死に逃げようと諭す息子に対し、父は耳を貸そうともしない。うんざりした表情で、自宅は標高何メートルに位置しているから安全だとか、独自の「知見」を盾に抵抗を続け、堂々巡りが続いた。 「水が勢いよく流れ込むといった状況ではなく、じわじわと水かさが増していったんです。変化がゆっくりだったことも、父が危機感を抱けなかった一因だと思います」(丸畑さん) そんな父がやっと観念したのは、水が床下に達した時だった。 丸畑さんの父は当時、50代後半。頑固な性格だが、災害への危機意識が低い人ではなかったという。 「この地域は台風被害がめったにありませんが、父は、ちょっとした風でも物が飛んだら危ないからと、家の周りに置いているものを全部、屋内に移動させるような人でした。面倒くさい人だと思ったこともあるほどです」と丸畑さんは語る。 なぜ、そんな丸畑さんの父が、正常性バイアスに陥ってしまったのか。 災害心理に詳しい関西大学社会安全学部の元吉忠寛教授によると、人間はそもそも、自分の考えと事実が違うときに不快感を覚える「認知的不協和」の状態を嫌う性質があるという。 災害時での「認知的不協和」を分かりやすく言えば、普段は「危険な目にあうのは嫌だ」と考えているのに、現実には危険が迫ってしまっている状況である。
P.3 この時、人間は危険を回避する行動を取ることもあれば、「大丈夫だ」「たいしたことはない」と認識して行動を起こさないこともある。後者が正常性バイアスの状態で、「認知的不協和の不快感を低減させるために、こうした心理になると考えられています」と元吉教授は解説する。 丸畑さんの家族は、6日の丸畑さんの呼び掛けを相手にせず、避難勧告が出ても大雨特別警報が発令されても、行動に移さなかった。父にいたっては床下浸水するまで、頑として動かなかった。 元吉教授が強く指摘するのは、「情報だけでは人間は動かない」という現実だ。 ヒトは太古から、火が近づいてきたり水が押し寄せたりといった、「目の前にある危険」に対しては、逃げる行動を取ってきたと考えられる。だが、目の前にない危険を情報で伝えるようになったのは、ここ数百年ほどのこと。 ■ 厳しいルールでもつくらないとダメ 「私なりの解釈ですが、人間は進化の歴史のなかで、情報に対する慣れがまだまだ進んでいないと考えられます。つまり、情報だけの『見えない危険』に対し、逃げようと判断する心の仕組みを持っていないのです。災害避難においては、情報では逃げないということを大前提に置く必要があると考えています」(元吉教授) 感情に働きかける要素が大きいと人間は行動し、小さいと行動に移さないことを示した実験もあるという。目に見える危険であれば感情が引き起こされるが、情報だけではそうはいかないということだ。 では、どうすれば行動に移せるのか。元吉教授は、「ルール作り」が重要ではないかと指摘する。 家庭や地域で、災害時に、どの状況になったら必ず避難するというルールを厳しめに設定しておく。頭で考えて場当たり的に判断するのではなく、ルールにのっとって機械的に行動すれば、正常性バイアスに陥るリスクを排除できる可能性がある。 その時に備え、訓練しておくことも重要だ。 「非日常の状況ではうまく行動できませんから、体を使って訓練しておくことはとても大切です。(2日に発生した)JAL機と海保の航空機の衝突事故でも、キャビンアテンダントの的確な避難誘導が称賛されましたが、まさに日ごろの訓練のたまものだったと言えます」
P.4 丸畑さんの自宅は2階までは浸水しなかった。だが、それはただの結果論で、避難は明らかに必要だった。 丸畑さんは当時の経験から、「情報を示して、逃げてくれといくら説得しても意味がない」ときっぱりと話す。元吉教授と同様に、ルールで人を動かす必要性を口にする。 「極端な話ですが、逃げなければいけない、逃げないと罰せられるルールを作る。そのくらいのことをしないと、人は動いてくれないのだと痛感しました」(丸畑さん) 丸畑さんは、当時の様子を頭上につけたカメラで撮影しており、編集してユーチューブに公開した。■ 大きな反響を呼んだ動画2本 「平成30年7月豪雨 岡山県倉敷市真備町 被災映像(1)」 「平成30年7月豪雨 岡山県倉敷市真備町 被災映像(2) 小田川決壊の記録」の2本で、現在も閲覧できる。 災害時の正常性バイアスを如実にとらえた動画として、豪雨災害の後は大きな反響を呼んだ。だが、あれから5年が経過し、反響は少なくなった。 丸畑さんは、 「父とのやり取りをそのまま公開しているので、正直、恥ずかしいと思う部分はあります」と話しつつ、こう続けた。 「でも、あれが災害時のリアルなんですよね。動画を見て実態を知っていただけたら。誰もが災害に遭う可能性がありますから、万一の時に備えて、一人でも多くの人の役に立てたらと感じています」 必死で説得する息子と、危機感ゼロで息子を突き放す父の、埋めがたい温度差。だが、非日常の中で、誰もが父のような心理状態になる可能性があるということ。それが現実なのだ。(了)
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