最高裁決定の意味が分かっていない ──
石巻市、宮城県
反省の痕跡を何も残さないつもりである
大川小学校の避難対策は「懈怠(けたい)」であったと、異例の仏教用語まで引用して学校を含めた自治体の防災対策の怠慢を非難した仙台高裁の判決を支持した最高裁判所の決定は、行政の一般の津波防災のあり方の基本にまで司法的な疑問を呈したのであった。真に画期的と言わざるを得ない。
画期的決定を受けて行政は早急に手を打たなければならない。これまでの防災対策に対する根本的な反省的修正である。 本当のところ誰もが予想すら出来なかった深刻な事態に直面しているといっていい。
● 大川小訴訟の最高裁決定をうけて、すなわち過った防災対策の反省的考え方を広く市民、県民と共有するための市庁、県庁、あるいは市議会、県議会に恒常的な官民共同の対策協議機関を創設するべきある。首長の辞任問題も含めて、もはや通常議会では間にあわない。
● 協議機関の議論の内容は、学校の津波防災のほか、「最大クラス地震津波」の防災対策、とりわけ現行建設中の防潮堤や水門の防災効果の無効性と限界性の議論である。そのほか、大震災からの復興対策も当然見直しが迫られる。土地のかさ上げ、住宅の高台移転など…
● 避難道、避難場所、避難所、大小避難訓練等、根本的かつ微細に亘る避難対策の「見える化」等の全面見直しである。とうぜん東北沿岸各市町村の災害危険地域条令見直しも。
── 賠償金の支払い問題は早急に進めるべき問題であるが、それにまぎれるようにして、学校生徒を初めとする市民、県民の「命(いのち)の問題」を「早急に解決しては」「ならないはず」である。遺族の心は癒されたのか? 教訓は生かされたのか? 命に向き合う行政の責任問題は残ったままだ。解決した賠償問題より残されたこちらの問題の方がはるかに大きい。ある意味、問題が初めて明るみに出て、初めの一歩を踏み出したに過ぎない。
市長、知事、職員、学校関係者、市議会議員、県会議員の責任のとり方の問題はなにか軽く空しい、議会の議論の低調さを市民は黙って傍聴していると思ったら大間違いである。敗訴に対する単なる謝罪の問題、納税者に対するわずかの金銭負担の問題として幕引きしてはならないだろう、市長=市議会、知事=県議会、一致して控訴、控訴を繰り返したのであった。その責任問題はどこに行ったのか? 被災市民、被災県民へのもっともっと深い贖罪の問題だと思う。
一方で、大震災の罪科を一身に引き受けたような宮城県の問題となっているが、その事をバネに将来の津波対策は 全国の範になるよう、徹底するよう祈るばかりである。
全てはこれからの問題である。
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<参考記事>
大川小訴訟の賠償金関連議案を可決 石巻市議会
河北新報 オンライン ニュース(2019.10.21)
東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁が市と県の上告を退ける決定をしたことを受け、市議会は20日、臨時会を開いた。村井嘉浩知事が立て替え方針を示した賠償金と遅延損害金計20億5687万円の返還に関する議案を賛成25、反対4で可決した。
市は2019年度一般会計補正予算に債務負担行為を設定。29年度まで10年をかけて県に返済する。近く県に報告し、覚書締結のスケジュールを固める方針。
臨時会では4人が緊急質問に立ったほか、市の説明に対する質疑が行われた。
亀山市長は政治責任を問う質問に辞任を否定する一方、「ある程度(責任の取り方が)形になるものが必要だ」と答弁した。別の議員が提案した職員や議員の給与削減について「一つの手段」との認識を示した。
遺族への思いに関して「遺族の心を傷つけ、不信感を生んでしまった。子どもを失った苦しみが長く続いてしまったことに心からおわびしたい」と陳謝した。
質疑は、賠償金などを全額市の負担とすることにした県と市の合意に集中。その根拠として県が示した最高裁判例の解釈に疑義を示す議員に対し、市は「市町村教委の経費は原則、学校の設置者が負担するなどの法の規定がある」と理解を求めた。
議会終了後、亀山市長は取材に「県の支払い義務はないことに多くの議員から異論があった。その面を含め、県と話し合うことが必要になる」と話した。
2019年10月21日月曜日
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