第二章
第 2 節 避難場所
地震有事で大事なことは人の命を守るということである。自分自身と周りの人の避難以外にこれと言って他に取るべき対策というものはない。即刻に避難行動することだ。総称して<「避難」>とする。「避難場所」は避難のための必須ファシリティ(施設、経路、手段)。地震から逃れ、津波を避けるためにはここを目指すことが絶対効果。ここにたどり着くことが命を保全することになる。──ある意味簡単なことだ
第二の避難場所とも言える「避難所」からははるかに前の段階だ。注)似て非なる「避難場所」「避難所」の違いはしっかり覚えておこう。混同を避ける工夫も今後必要になる
1、「避難場所」が命を救う。
人は避難目標がなければ動けない。一人一人が、家族が、地区民が、地域民が、それぞれ同じ場所に向かうとは限らない。地区、地域では1か所に避難場所を決定することは事実上不可能で、一見バラバラに避難する。
<避難場所は一人一場所>
「一人一場所」。あたり前だが大事なこと。それぞれ異なる避難場所であっても地域住民一人残らずそれぞれの避難場所がある。そのことは地元住民全員が知っていて、お互いがその場所までも知っている。終始オープン。一人残らず一人一人の避難場所がそれまでに議論され尽くしているから、そのことは可能なのである。場所の変更を含めて「一人一場所」の確認・再確認、このことがいちばん大事なことだ。「一場所」は絶対固定されたものではなくその時の居場所で2番目の「一場所」避難ということになる。
そして「一人二場所」。以上のことは地元住民以外の流入人員、仕事の都合、催事への参加、観光旅行等で、その時地元に居合わせた人々の避難に大いに関係することである。ともすれは「一人二場所」で迷う流入人員に、自信をもって手を差し伸べ声をかけることは地元住民の仕事だ。単に自分一人の避難ではなく、それまで培ってきた地元住民のやり方はそのまま周りの他人に伝わっていく。
<避難場所の例>
岩手県宮古市鍬ヶ崎地区
※ 図で「避難道」とあるのは「避難場所」(「鍬ヶ崎の防潮堤を考える会」ニュースレターNo.17より)
岩手県普代村(集落神社)
<避難場所の諸形態>
高知県黒潮町「避難タワー」
静岡県袋井市「命山」
ここに上げた「避難場所」の代表的な意味、諸例は、ほんの一例で、何十、何百の実際例、計画例、イメージが後に続く。避難場所の住民による場所の選択、そして形態、またその数など、まさに地元住民に地元外人数をプラスして一人残らず収容できる場所の準備が第一番目の地元の発案でなければならない。複数場所、その収容人数
一人一人、家族、地区、地域の地元住民が地元地理と経験を持ち寄り、調べ、選択して、自ら設計、決定していかなければならない。(結論的なことだけ言っておきたい)自治体や、識者の提言はあくまで自治体の助言であり識者の知識であると思わなければならない。避難場所の決定とそこに至るプロセスは典型的なボトムアップ事業であり、完成後の変更、修復等を含めて、住民自らのいわばサステナブル<「避難」>のハードの一番目の骨格をなすものだ。生きる意欲と知恵の常設集大成と言っていい
2、避難道(避難場所への道)の設計、決定。
岩手県宮古市田老「避難道」
岩手県山田町「避難階段」
避難場所に至る登り口部、山地などなら道順、道路面、諸施設などの「避難道」のハードの設計・施工は、上記項目 1、の「避難場所」の指定、設計・施工に沿うことは分かると思う。また次の項目 3、「移動手段」の多様な採用に大きく左右され異なってくる。そのため詳細はここでは省くことにするが、そもそも設計等すべてが地域住民の総意で決定することが常に念頭にある
3、「避難場所」への移動手段。
基本は徒歩。
車椅子、リアカー、担架、キャスターなど、自家用車、他
岩手県宮古市日立浜角力浜町内会「避難訓練」
岩手県釜石市鵜住居高台への移動「鵜住居小学校、釜石東中学校生徒」
「避難場所」(第一次避難場所)が人命を救う。
避難するということの(ハードの)目標地点であり、集合場所、安否確認、次の行動への準備などの地域社会の大きな財産、地域住民の心の大きな寄り所である。地域の巨大災害からの<「避難」>とはまず初めに「避難場所」の確定とその場所の絶え間のない改善、改良、補修なのである。
その「避難場所」とはあくまでも地域の自主的な地理、風俗、経験の地政に基づいて確定され運営される。地元に詳しい自治体と地元住民の自発的な参加がこの運営の主体であり、国はこの巨大災害からの<「避難」>体制を全面的に支援する。人材、予算、助言
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