第一章 (終)
第一章から第二章へ
1、発想の転換
防災から避難へ
プレート型最大クラス地震・津波の時代に、「防災対策」などの大時代的な古い言葉は死語と言ってよいのではないか。時代はもっと切迫して、積極的「避難」「避難対策」に移行して国民的コンセンサスが急がれることは重々先に述べた。防災対策の大転換、発想の転換といってもよい。その通りで、災害発生の直前直後、また事前に、いまさら対策するものはない。否(いや)少ない。効果的なものがありやなしやが厳しく問われている。もともと最大クラス地震・津波がどのようなものであるかの多少でも正確な把握はわずかの仮説としてしか実現されていない。
正しいのは、大地震の後に津波が押し寄せるということだけである。避難以外にこれと言って取るべき対策というものはない。大事なことは自分自身の避難である。即時に避難行動することが一番大事なことだ。総括して「避難」とする。住民の避難とそのためのファシリティ(準備)だ
では自治体、住民は何をなすべきなのか?
避難対策の主人公は、避難の主体、つまり地区・地域住民であることも先に述べた。地区・地域の自治体がその取りまとめ、災害発生時の司令塔(headquarter)になるべきことも先に書いた。──このプロセス、詳細、自治体の責任、住民の義務等については、実は、むしろこれからである。一部研究機関、市民団体、知識人、災害体験者がすでに概要、内容、手引きなど手掛け構築しているが、国民への問題提起と言えるほどに、まだ陽の目を見ているとは言えない。ここでは、その解答(次ページ)第二章に渡るための、いろいろな誤解、間違いについての指摘、正常化、矯正になる橋渡し的【前提】について書いておく。メモ
現状はまだ官僚の職分としての官僚主義、官僚の思いつき、官僚の思い込みがあまりに多いからだ。その裏側に棲息する中央依存する地方自治体の伝統的大間違い、結果として、地区、地域住民の指示待ち意識の蔓延(実際は併存的な官公庁の指示警告の無視)が伝統的に根強いからだ。詳細は後述。…住民の経験則第一主義。外情報への距離感、不信
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2、【前提】的な事柄
❶ 政府は一般論以上に地区、地域住民に避難指示など出すべきではない。出そうと思うな!
マスコミは政府の避難指示、自治体の避難指示、地区・地域の(自主的)避難。何もかも一緒と考え、そのように訳が分からず報道する。政府といいマスコミといい、発信内容は全て一般情報なのだ。指示でも、命令でもない、一般的な注意喚起、また避難命令(喚起)なのだ。錯綜し、混乱し、慌て、停滞して、必ずしもよいことだけではない
※政府の役割、気象庁の決定的役割は別にある。調査、データ分析、予知、情報発信、横断的諸学による地震・津波の解析等の第一の負託を追え
❷ 地区・地域住民&自治体は、避難アクション契機として政府(気象庁)を向くのをやめるべきだ
避難に関しては自治体と住民で完結するべきだということ。将来はそのようになるが、今現在はその準備段階、その前提的諸条件をこうして前に進めている
❸ 発想、対策の大転換とは、中央政府・省庁の「上から目線(指示)」ではなく底辺一般住民の「ボトムアップ(自主性)」の発見である。 ※ ここのページでは主に政府・国民にそのことを提言するかぎりである。第二章に期待…
政府は、一般住民の「ボトムアップ」ないし自立的避難計画の作成・実行に対して、その可能性・実現に対して、何ができるか? 何をなすべきか? を直ちに回答する責め(責任、負託)を負うべきだ
※ 避難アクションの系譜(例); 政府→内閣府←気象庁→気象台→マスコミ←都道府県庁←市町村⇄地区・地域住民
※ 地区・地域への指導方針の策定(例): 地方への人材派遣、マネジメント。その中央での人的育成。地方中央の橋渡し公人
※ 予算処置(例): プッシュ型備蓄、復旧復興、諸避難施設のハードより、ソフトへのより迅速な、より多額な優先予算処置
※ マネジメントの統合的条例化・法律化(例): 立法処置
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3、【参考】
「論外」の「論外」
東日本大震災の真の大反省がない。死者数への弔い考察、国から民へのバトンタッチ、自然災害への超大局観、など…
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日本経済新聞(2025.1.12)部分
第一章 終わり
☆
次ページ予告
【あるべき巨大地震・津波対策(4)「第二章」】とは?
・政府、官僚、地方自治体の予想死亡者数の無条件容認 は ❌
政府はM9クラス巨大地震・津波の人的被害を、千島海溝、日本海溝地震で東北北海道で最大死者19.9万人そして南海トラフ地震では最大32.3万人と推定している。建物被害、経済被害についても…
そうしてこの前提を液状化させておいて、無条件、無批判的に国民に流布する。おどかして緊張感を誘導するつもりなのか? もはやその数字に対しては諦めて欲しいというメッセージなのか? 根拠のない目安ながらその数字を下回ることの決意なのか? 目安としての数字は政府の予めのエクスキューズなのか? ── 少なくとも政府は「地球よりも重い人の命、一人も死なせない」とは声明していない!! 声明なしに数字だけが一人歩きしている
そのことの問題点はこうだ。数字の根拠が示されていないということ。土木学会の発表を政府がう吞みにして御用機関のマスコミが宣伝しているだけである。その心は政治家、官僚、業界の上記のような曖昧に隠された確信のない心である。亡国の政・官・業のいつもの癒着実態である。少なくともこの数字の背後には科学者、学者、識者がいてその算出エビデンスを把握、実証、認証しているはずである。その調査機関、その学者、その数字根拠たる「算出プロセス」をしっかり公表するべきだ。それはそのまま、避難対策、はたまた防災対策の最有力な具体的明示になるのである。具体的手触りのある議論のテーマ明示となる。国民的な議論へのそれ以上ないと思われる問題提起になるのだ。国民的議論の出発といっても過言ではない。マスコミは直ちに現行数字の解説、詳細記事、ニュースを発表するべきだ
わたしのような初学者でさえ、ここまで来て、根拠のない数字を根拠にしてこれ以上の議論をするわけにはいかないのだ。南海トラフ周辺住民はもちろん、地区・地域の防災担当者、自治体首長にとっても同じことであろう。待ったなしの命(いのち)の問題だからだ
・被災住民のエゴ、自分勝手
東日本大震災という大惨事を経験してもなお被災地の避難意識には変わらない根強い地域エゴイズムが存在する。
・地域のボトムアップ自立的避難議論
地域の情報伝達、避難場所、避難訓練、避難所生活
地域の人事、集会所、文書、伝承、サステナビリティ
・そのためのマネジメント指導、予算処置
・地域の生きがい、安心・安全
第二章に続く
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