宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

海が見えなくていいのか?!

2012年03月24日 | どうなる避難対策


前へ!震災2年目の課題と展望 避難態勢 
(web 朝日新聞 2012.3.19)



漁業のまちで、海が見えなくていいのか?!

 漁港に面する鍬ケ崎地区には防潮堤がない。角力浜は43戸の大半が津波に流されたが、住民106人のうち、船を見にいった男性1人を除いた全員が無事だった。町内会長の鳥居清蔵さん(73)は「逃げる工夫をしてきましたからね」と避難を徹底することの大切さを話す。
 住民で草刈りをし、県に避難路への階段設置を頼んだ。近くの高台を独自の避難場所に指定し、避難マップや避難ルートの標識を作った。地道な努力が実り、震災時には事前に交渉していたホテルに避難することができた。


電柱に貼り付けた避難経路の標識を眺める鳥居さん。
周りの家は流されたが、住民のほとんどは無事だっ
た=宮古市日立浜町


[特別引用] web 産経ニュース記事「防潮堤なくても
死者1人、宮古市・鍬ヶ崎地区」(2011.4.14)の写真。
独自に制作したハザードマップを手にする角力浜町内
会の鳥居清蔵会長=7日、岩手県宮古市      


 今、鳥居さんの気がかりはハード整備が先行する復興まちづくりの議論だ。地区では県が10・4メートルの防潮堤を作り、大規模な区画整理をする方向だ。
 「漁業の町なのに、海が見えなくなって活気が保てるのか。避難の妨げにならないか。」市の検討会で慎重論をぶったが、抗しきれなかった。
 県内だけで約6千人が犠牲になった震災の後で、避難態勢に不安を感じているのは鳥居さんたちだけではない。(記事はつづく…)




ここで大事な事は「抗しきれなかった」復興まちづくり検討会の議論の意味である。鳥居さんたち地元の意見は理由がないとされ、無視された。国、県、宮古市、コンサルタントに理由があったわけではない。まちづくり会の経過を見る通り、あらかじめ決められていた、息のかかった委員や、防潮堤や、ゾーン区割りや、のシナリオにそって、何回かの検討会で、政治的に地区の意見を誘導しただけである。地元委員には残念ながらその時シナリオも手段もなかったのである。手段をもたないで政治権力に抗した鳥居さんたちの委員をたたえたい。

このままでは鍬ヶ崎地区の経済復興も避難体勢も野ざらしにされる。ハード整備先行の思想は、それが決まればコンサルタントはこの地を去り、委員会も散会して、後の事は土木業者にバトンタッチされて、一層の地域の衰退、港湾の荒廃をまねくだけである。今こそ緊張してゼロから本当の地元が立ち上がらなければならない。




──以下<リメンバー田老3.11(その4)>コメントより「見える」

●どうした宮古市民 (t.hira)
今日、新聞にて宮古のNPOの代表であり、まちづくり検討会に出席されていた方が、「住民の意見を反映することができなかった」と自己批判の記事が載っていました。私も宮古市の復興意見書を見ましたが、酷いものだと思いました。コーケやんがこれまでいっているように「世界から注目されている宮古」である。なぜ防災都市として誇っていた町が、こうも簡単に崩壊したのか誰もが「疑問」に思っているはずだし、この悲劇をバネに「新しい防災都市」を提案できるのでないかと期待していたと思う。なんか「沈黙」しているのか「達観」しているのか解らないが、検討会が終わった後、どこの宮古のプログも閉鎖されたようだ。宮古市の行政など、東北地方の一つの「田舎町」であり、なにも「有能な人材」が揃っているわけでもなく、1年もたって、この「体たらく」を行政のせいにしている「被災住民」のほうが「すこしおかしいのでは」と思ってしまう。どうした宮古市民!と言いたい。もっと「言いたいこと」があるのではないかと思うのは私だけなのだろうか?

●見えないから (ゆう)
コンクリートの造形物ってあったので
お会いした人たちは、「防潮提?を高くしてもだめ! 今回だって、大丈夫といってそこに見に行って…
あと、津波が見えないから避難しなかった。いくら高くしても駄目!」と話されています。
津波がきたら、高台避難場所に行ける手段を徹底した方がよいと思います。

●わたしもそう思う (t.hira)
海が「見えないから 」は大変貴重な意見です。田老の「世界一の防潮堤」は、安全を過信した、自然を甘く見た、ひとつ結果であったと思う。たとえば「海がみえないから悲劇を招いた」としたら、今の「より高い防潮堤」は大変危険な施策だと思う。たとえば田老から、そのような「警告」を世界に発信することが重要だと思うのですが。

●海が見えればね… (コーケやん)
次のようなつぶやきもありました。<やっぱすっ。田老町だべ~なぁ~!>ブログより─
雪の田老で思ったこと.町から海が見えれば避難はもっと迅速に行えたよね,きっと.やはり「海が見えない」ことは危険を認知できなくしてしまうよなあ.たとえチリ地震津波で被害が少なかったとしても,それを越えれば被害は激甚に..現在の防潮堤議論はこのことをちゃんと考えておきたい.やはり.

●アイデアを出し合う (t.hira)
たとえば「海が見えない」ので
防潮堤の上に「監視カメラ」を設置し、地震警報と同時に、この津波監視映像を地域の人の携帯電話に送信するシステムを開発する。たぶん「地域災害通信警報システム」として実現可能だと思う。
すこしでも「人の命」を守るシステムを構築することが必要です。

●「見える」という事 (コーケやん)
t.hiraさん、田老や鍬ヶ崎の、宮古のうちでも、海寄りの人が海が見えるの見えないのというのはそういう事とは違うのです。
職業だけの事ではありません。防潮堤があってもなくてもです、そこに生まれ、そこに住む人たちにとって海の景観は自分自身と同じものなのです。海は自分のアイデンティティ。海が見えれば安心し、潮風が変われば季節を感じ、食卓に文句をつぶやけばそれは魚やわかめの事なのです。海が荒れようと津波が来ようと、海に恐怖し海を恨むことがあっても海から離れられない。私が子どものころは終日砂浜で遊び岸壁で船を見て育ちました。
最近は家も建ち、ビルも建ち、交通や情報社会で、それほどでないと思いますが、それでも若い人が「海が見える」という意味はそのようなことなのです。
物理的な「見える」、生理的な「見える」とは違います。物理的にカメラで海を写してもただの景色です。目があるから生理的に海は見えますが、それが正しい観察につながるわけではありません。監視カメラで(ただならぬ)気配は写せません。いつもと違う奇妙な波の流れや速さは写らないのです。もちろん海鳥の動きや鳴き声も写りません。私はこのブログで書いた事を再度読んでほしいと思います。「世界一の名の下に(田老の防潮堤は)長い時間をかけて住民の海の自然に対する五感を退化させてきたのではないか…」と書きました<「防潮堤」は効果がなかったこと。これからも期待できないこと>。また、今次海辺で助かった人はみなテレビやラジオで言っているではありませんか「経験した事のない揺れ、音、海」と。
防潮堤の上の津波監視警報システムば、防潮堤と同じで、人の命は救えないと思います。遅すぎます。監視システムは震源地に近いほど有効だと思います。

●防潮堤はバベルの塔だ (徘徊老人)
コンクリートの防潮堤で人間の命が守られることはないし、今後もないのだよ。
ゼネコンと政治家と官僚がつるんでの、口当たりのいい話には耳を貸せないのです。
コンクリートの防潮堤など無い方がいいのです。

●いろいろな「アイデア」を出し合う (t.hira)
コーケやんさんへ
報道でしか分からないのですが、「田老の津波被害の歴史を踏まえて、今回国交省と岩手県が設定した再建防潮堤高さは、「X字」の海側の「逆への字」を高さ14.7mとし、陸側「への字」は10.5mのままの「二線防御」にするという。」
すでに「崩壊した防潮堤」を14.7mにして「高い頻度の津波」には対応できるとして復旧するみたいですね。
それは、どうしてきまったのでしょうか。そこになにか「こうしたほうがよいというアイデア」なり、試行錯誤が十分にあったのでしょうか。
私は「津波監視警報システム」があった方が良いと思いますが、可能かどうかは難しですが、コーケやんさんのいう「住民の海の自然に対する五感」を、すこしでもデータ化することは可能だと思うし、いろいろな試行錯誤のなかで技術の進化があると思います。
そのように「アイデアを出し合う」ことが必要であり、「防潮堤の上の津波監視警報システムは、防潮堤と同じで、人の命は救えないと思います。」といっても「新しく開発された人間の五感を可視化することのできる津波監視警報システム」というように、思考を深化していくことのなかで、新しい「視点」が生まれてくるのです。それができず地域住民、行政、被災者含めて「思考停止」していることが問題だと思うのです。そのような「人のアイデア」をもっと大事にする社会が日本にないのは残念です。
だから「思考停止」した人たちが集まって「原子力村」や「復興検討会」と評する「談合村」、「金欲しさの原発推進村」ができてしまうのです。

コメント (4)
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