今次津波の基本的な反省点は多重防災という事で、ハード面と、もう一本の柱として避難訓練などのソフト面の活用に力を入れようとなっているわけです。防潮堤や土地のかさ上げのハードでは津波から地区の人々の命を守ることは出来ません。その意味では避難訓練やそのノウハウが一層重要なことになっているのです。先きの地区復興まちづくり検討会やまちづくり会では、ソフト面の検討もするべきであったのです。否、ハードより先きに重点的にソフト面の議論こそするべきだったのです。その方が大事だからです。
議論は、避難訓練は3.11以前はどうだったのか? 以後においてはどうあるべきなのか? というあたりから始まると思います。高所移転で避難の用事はなくなったのか? 避難訓練の期日はいつがいいのか? 年1回か年2回か? 地区地区、集落集落での避難場所、先立ちの人、情報網はどうなるのか? それに幼児児童に対する教育や訓練をどうするのか?──このあたり、まちづくり会でどんなことが話合われたのでしょうか? コンサルタントの持ち込んだ粗雑なハードの避難経路だけではなかったですか? ルートを矢印で書いただけだったです。(まあそこを通って避難してみれば分かること…)。避難経路も本来はいろいろな単位で白地図を持ち込みその何十倍もイメージを書き込まなければならなかったのです。徒歩かクルマかの議論だってやってないのではないですか。そんな状態でいま避難訓練が出来ますか? 鍬ヶ崎の場合は佐原や中里との上下の連携の問題もあるのです。
ソフト面の検討とはそんな避難経路の問題だけでなく、そもそも避難とは?ソフトとは?というあたりから住民一人一人の精神的成長にも及ぶべきものなのです。避難訓練といってもしっかり覚悟を決めて、期日や場所を定め、初めから納得して自覚的に始めなければなりません。(この点が3.11以前の避難訓練とは大きく異なるというべきです。角力浜など以前から自覚的にやっていて今次効果をあげたところもありますが…)。そうでなければ訓練の効果も望めないと思います。また長期的な展望をもって始めなければなりません。宮古市の復興基本計画には長々とこの事が書いてあるではありませんか!英知の成果を市長たるもの読んで勉強するべきでしょう。自覚的に始めるという事と今回のように中途半端に始める事とは雲泥の差があります。分かりますか? 今は、訓練を呼びかける前に議論を呼びかける時期なのです。
犬の訓練ではあるまいし、いきなりサイレンを鳴らして市民を走らせるようなことをしてはいけません。しかも3.11という東日本被災地が一斉に喪に服する静謐たるべき日にするべきではない、としか言いようがないのです。どこの議論でその日が決まったのでしょうか? ソフトの意味を考えて、足なみをそろえなければなりません。
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私は、恒例3月3日の避難訓練をみなさんが忘れた事が問題だと思います。市長も役所も市民も忘れておりました。遠い将来の姿をみる思いです。下の [関連記事] を心にとめてほしいです。
2010.3.3 訓練中止
2011.3.3 赤前が重点地区
2012.3.3 中止? 3.11に変更?