昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

明宝村(磨墨の里)

2007-09-30 | 旅の風物
信州からの帰途は、松本に出て高山に出る。そこから「せせらぎ街道」とも呼ばれる「郡上街道」を走ることが多い。途中明宝村を通過する。そこには岩魚を焼いてる道の駅がある。

明宝村は、かの宇治川の合戦で先陣争いをした源氏の武将の一人が騎乗した名馬「磨墨(するすみ)」の生まれた村である。
 道の駅の駐車場には、馬上の梶原源太景季(かげすえ)とともに名馬のモニュメントが立っている。生まれた場所はここから3kmほど山中で立派な墓がある。
 ちなみに相手の名馬「生月(いけづき)」は四国の生まれである。(先陣争いにまつわる話は、またの機会にします)

磨墨は先陣争いには勝てなかったのである。


400番台の国道とはいえ、いい道で、しかも信号がないので快適に走る。


もう夕方で閉店をしてもよい時間で、誰も客はいない。店に立ち寄ると、おばあさんがまだ、せっせと岩魚を焼いている。


囲炉裏の四隅のコーナーには、板で火からの仕切りをした影に串刺しが沢山立っている。


さすがに火は落としかけである。この残った岩魚はどうするのかと尋ねると、骨酒用にするのだと言う。あまり喋らない人だった。昔はおじいさんが焼いていたのだが・・。


囲炉裏の屋根裏を見上げると、煤で真っ黒に輝いている。蓑笠までが黒くなったままである。


この炭素で黒くなって光るのを見ていると、ダイヤモンドは炭素で出来ているのが判る気もする。(笑)


元興寺

2007-09-29 | 歴史・文化遺産
 元興寺(がんごうじ)は、○○山という山号を持たない。わが国最古のお寺である。
 現在の飛鳥大仏の寺を皮切りに、遷都の度に宮廷の近くに移動した。平城京に都が移った時に現在地に移ってきた。

 奈良市内の世界遺産指定には、日本で最古の寺としての元興寺の存在が大きかったとお寺の人の声は高い。

 元興寺は猿沢の池の南に位置して、奈良町(ならまち)の東隣りにあるが、広大な境内は今は奈良町形成の家並みが続く。当時の、坊の一つ極楽坊が、元興寺を名乗っている。

萩に囲まれた本堂と長い講堂の景観である。


上の写真の左に見える本堂の屋根瓦が茶色になっているものは、飛鳥時代から使用されてきた瓦であるという。


境内に並ぶ石仏・五輪塔の列には、時代を感じてしまう。青いキキョウが色を添える。


萩と彼岸花が、無機質の石像群の中で、命を感じさせてくれる。


桜の並木が影を落としている。ここの蓮の花も有名である。


この萩は枝が高くなり過ぎて、萩らしくないですね。小さな花なのに、ますます見え難くなる。秋ですね。


柔らかな感触のフヨウですね。花芯が見えないじゃあないか。蕾と盛りの花と、終わった花に世の無常を感じる。


キンミズヒキ(バラ科)が満開です。花の終わったあとの実は、たこの足の吸盤を思い出す。丸くて、細かな鋸の様な歯が円周の周りについている。


何か面白いですよ。首がね。二つがね。一つになってね。


ここは、元興寺極楽坊から200mくらい南にある元興寺塔跡がある寺である。国宝の本尊薬師如来は奈良国立博物館に行っている。また、塔跡の発掘では多くの宝物遺産が出ている。
 典型的な奈良のお寺の境内ですねえ。境内の樹木に人が余り手を入れないで、のびのびと庭の中で育ちます。
 京都と違って洗練されてなくて、素朴そのままという感じです。

花の八方尾根その三

2007-09-28 | 国内旅行
 昨日の朝までは、白馬三山がよく見えたが、九州に台風がくると、さすがにここにも、その余波がやってきている。

雲が多くなってきたが、一瞬その切れ目から、ちらと白馬鑓岳の雪渓が見える。


足下のお花畑はよく咲いている。左:クルマユリ。右:ハッポウウスユキソウ(キク科)


ハクサンシャジン(キキョウ科)教会のベルのようだ。


花火のようなミヤマトウキ(セリの仲間で、ニンジンやシシウドとは仲間である)漢字で当帰と書き、どうも漢方薬の名前らしい。深山(みやま)に生育するのでこの名になったらしい。 蜘蛛がいるよ。


ホツツジ(ツツジの仲間であるが、風変わりな花が咲く。六甲山にも自生する)


左:オニアザミ(キク科)頭を垂れている。
右:同じくキク科でクロトウヒレンという。初見である。


おなじみヤマホタルブクロ(キク科)、白いのはシロバナヤマホタルブクロというそうだ。


雪を作る機械がある。1998年冬季オリンピックのスタートハウスは、今でもここに影を落としている。アルペンとかスラロームとかの言葉が踊った。

花の八方尾根その二

2007-09-27 | 国内旅行
八方尾根の花たちをもう少しアップします。

 ゴンドラや、リフトに乗って最高地点から少し歩いた地点、振り返ると眼下に白馬の盆地が見える。正面の山にもゲレンデが見えるが、その斜面の麓に、3連泊中のホテルがある。左方でシシウドが満開。


上高地でも見かけたクガイソウの群落である。別名トラノオ。紫色の尻尾のトラがいると面白いかなあ。甲子園球場に行くとメガホン持った紫のトラがいる。


エゾシオガマ、(ゴマノハグサ科=桐とかイヌノフグリの仲間)


左:カライトソウ(バラの仲間)。
右:名が不明。よく見るのだがちょっと出てきません。ランに似ているかなあ。


キンコウカはユリの仲間で、金光花と書くらしい。


高原のお花畑。


ウルップソウ(ゴマノハグサ科)、白馬岳・礼文島・八が岳などでよく見られるという。千島のウルップ島で最初に採集されたという。


ハッポウタカネセンブリ(リンドウ科)、苦いですね。薬草になりますね。


シシウドが天に向かって手を拡げているようだ。(セリ科)

花の八方尾根その一

2007-09-26 | 国内旅行
八方尾根は花一杯だった。それが写真にするとまた一段と美しく見えるから不思議である。立体のものを画像の平面に持ってくるからかも知れない。

高山植物の派手な花では指折りのシモツケソウは目も眩むほどの赤である。(バラ科)


トリアシショウマ(ユキノシタ科)アジサイと同じ仲間とは思えない。


ハクサンタイゲキ(トウダイグサ科)赤い葉をつけるポインンセチアと同じ仲間である。


マツムシソウ(マツムシソウ科)色が濃いければタカネマツムシソウであるが、濃いか薄いか、並べて見ないと分からない。


シシウド(セリ科)シシはイノシシのことで、ウドよりも硬く、イノシシにでも食われるか、と言うので名が付いた。


リフト、ゴンドラなどを3つ乗り継いで登る。天気予報は台風を告げるが、九州方面に上陸した模様。


足の下はお花畑が広がる。


ここを訪れると、人間も花になる。

ラージヒルとノーマルヒル

2007-09-25 | 国内旅行
白馬の山並みをバックにして、八方尾根の全景が見渡せる。

1998年長野冬季オリンピックで、日本中がジャンプの金メタルで、TVに釘付けになった。八方尾根の左下にジャンプ台が見えている。


45000人が収容できる観客席に囲まれて、スロープの全容が見える。リフトに乗る人たちが並んでいる。


中央の塔の最上段からスロープの上に出ることが出来る。


リフトで上がる途中には、スロープの飛翔距離の記録の銘板がある。
左:ノーマルヒル、右:ラージヒル


ノーマルヒルの最高所から下を見る。ここから飛び降りるって?「ヒャアー」足が震えるではないか。


誰かが飛んだって。こんな危険な競技はどうして生まれたのであろうか。


ラージでも、ノーマルでも、高度が100mを超えている。どちらにしても同じテクニックのように思うが・・。


白馬の街が一望のもとに見渡せる。選手は眺める余裕もなかったかも知れない。


ラージヒルの頂上に立つ。足元の金網から下が見える。足が震えている。太ももがゾクゾクしていて止まらない。


練習をする彼らは必ずやオリンピックでお目にかかることだろう。

梓川散策

2007-09-24 | 国内旅行
花の盛りを過ぎている8月であるが、時々ほっとする花も路傍に見られる。

格子戸のはまった笹の葉である。穴は12個、ひとつは笹の茎が刺さっている。新芽の時に虫に食われた名残だろう。


寄り添って絡み付いて、ひしと抱き合う仲良し樹木が2本。
原生林の中の古い木は、生きて来たその侭の姿を見せてくれる。


木に足元を食いつかれた木があった。右の木は、根の足で抑えて左の木の根っこを、飲み込もうとしているように見えますが、どうでしょうか。


ノリウツギが満開であった。カミキリムシの仲間か?仲良くしている。


左:緑に染まった昆虫。
左:ツリフネソウも最盛期が終わっている。


サワヒヨドリ?はまだ開いていない。


黄色のホトトギスが流れの岸辺に群生していた。


豹がらのホトトギスである。逞しく生きていけそうな色ですね、これは。


クガイソウ(=トラノオ)が一本単独で咲いていた。虫はハナアブだろう。



上高地と梓川

2007-09-23 | 国内旅行
上高地を5-6年ぶりに訪れた。九州地方に台風が上陸した8月の初旬のことである。

自家用車での進入が禁止になってから久しいが、今回はシャトルバスの最前列の席に座った。
あの地獄の釜の中に入るような「釜トンネル」が見事に改修されていた。これではトンネルに何のロマンも感じない。

 舗装のない、水漏れのトンネルで、岩盤を削ったままの、岩がごろごろ見えるトンネルだった。一方通行のトンネルの中は暗いので、前の車だけを見ながら進んだ。勾配は30%以上だったし、しかもトンネルの中でカーブをしていた。
 そしてトンネルを抜けると、深い渓谷の対岸には焼岳が目の前にあり、そこは緑の別世界だった。


車窓から見た大正池と穂高。台風の為か雲が結構出ている。西穂の峰は見えているが、奥穂も前穂も同じ高さになっている。岳沢の雪渓はまだ残っているようだ。


梓川の岸辺から、奥穂が見え始めた。岳沢ははっきりと見えている。


河童橋からの穂高岳。左の西穂、ジャンダルは見える。


梓川の右岸沿いの道を進んでいると、標高3000mの峰々がちらりと見え始めた。確か昔は、ここから正面に見える岳沢の、釜尾根から出る、つづれ折れの登山道が見えていたものだが。


梓川の支流で、岳沢を下る小川の流れである。


逍遥路は再び梓川沿いに戻り、ふと振り返ると焼岳が見える。手前の梓川は暴れ川の様相を示している。森の中の木道を行く。


岩魚を戴いた明神池付近で、梓川に架かる吊り橋がある。これも5-6年前にはロープの橋で、一度に2人以上は渡るなと書いてあった気がする。


橋まで出てきて振り返ると、そこには明神岳が見える。木材をふんだんに遣った立派な橋である。

明神池

2007-09-22 | 国内旅行
 明神池までは気軽に散策ができる。深山幽谷というよりも、神の住んでいそうな野性味あふれる神秘の池です。池の景観を楽しんでください。

明神岳の頂上付近まで見えるほど切り立った崖の下に、龍でも住んでいそうな池がある。


周囲の木々を写す池の水面には、鴨がいる。


鴨の周辺には、大きな岩魚がいる。


池の対岸には、緑に染まる日陰の奥がある。手前の木々にはサルオガセが枝から垂れ下がっている。


箱庭のような緑の佇まいが見られる。


人影を見ると、鴨がそばに寄ってくる。誰かが餌を与えているのかも。


鏡のように緑に染まる水面である。


すぐそばに一の池がある。水面はやや広く、船着場がある。


この池もやがては、周囲から草が侵入し、ついには草木のある沼になり、草原から森林へと、進化していくことだろう。

上高地の味覚

2007-09-21 | 国内旅行
上高地・河童橋から、梓川に沿って遡る逍遥路がある。やがて明神池に出る。

そこに嘉門次小屋があって、岩魚が戴ける。清流の上に建つ野外のテーブルはいつも満員である。


その奥で、囲炉裏で岩魚の塩焼きを作っている小屋がある。そこで囲炉裏端の板の間に上がりこむ。作務衣を着た若者が急がしそうである。


気温が25℃といっても今は夏である。囲炉裏の熱で汗だくになりながら、ボトルの水を補給しながら、岩魚を焼いている姿は、中腰である。

串を一本ずつ取り出して塩を振りかけている。この手間隙をかけるので、いっそう岩魚は美味くなる。


焼き加減を調べる。手に塩をつけて、背びれなどに塩を塗っている。


左:焼けた岩魚を串からはずし、四角の皿に落としていく。
右:放射熱で顔が焼けそうである。思わず腕で熱を遮る。


時には、薪の火力を調節する。この暑さは、かえって暑気払いにいいかも。


巨大な鉄瓶の下は焦熱地獄である。すべてを焼き尽くした火がピュアーな世界を創生するとか。


 上高地を開いた英国人ウオルター・ウエストンが日本アルプスを踏破したとき、その道案内をしたのが上条嘉門次であった。ウエストンが去るときに、嘉門次に愛用の猟銃とピッケルを贈った。

岩魚を焼く小屋の壁には、このときの猟銃とピッケルが架かっている。すすで真っ黒になりながら、カモシカの壁掛けと並んでいる。


そばで見ていると、こんなに焼いて余るのではないかと心配するほど、炉辺で焼けている。焼きたてのホクホクは美味かった。