昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

この一年3(H23)

2011-12-31 | 呟き
 
9/5-7、富山県八尾町で行われる「風の盆」の踊りは胡弓の音が印象に残るお祭りです。朝まで踊ることでも知られています。


早朝、夜の明けぬうちに、白川郷に着きました。



10/13-22、パタゴニアの旅の前半のアップです。前方はマゼラン海峡。


マゼランペンギンの営巣地。




10/29-11/1、万葉で歌われる吉野宮の遺跡を訪ねます。

飛鳥も都でなかった頃、万葉集に出てくる都「吉野宮」があった所です。

万葉に出てくる「象(きさ)の小川」の右岸にある桜木神社。




11/17-24、東海地方にドライブです。伊良湖岬で一泊。遠くに見える伊勢神宮への参詣の道でもある。

東へ向かったが、富士山は見えなかった。伊豆半島の熱川(あたがわ)にあるワニ・バナナ園。

レッサーパンダが多数。これもササを食べる。





11/25-29、関西の紅葉を訪ねる。
滋賀県永源寺。


京都左京区、赤山禅院。





12/20-28、パタゴニア紀行の後半です。
世界遺産第一号パイネの山とペオエ湖。


ペリトモレノ氷河。


高さ6-70mの氷河の先端が5分に一回は崩れてくるのは壮観である。。氷河の中程では、割れていく音が絶えず聞こえる。



 今年も終わりですね。新しい年を迎えます。未来志向の幸せが見えにくいのですが、気を取り直して、しぶとく粘り強く生きていきたいものです。
 この一年間、当「昆布が美味い」blogにお越しいただき、有難うございました。昆布の美味さもかなり見直されてきたように思います。健康に良いと、自分で勝手に信じています。
 辰年もよろしく。
 
 DATA
  2011年 アップ日数 
          344日
  2011年 写真アップ枚数 
          19,746枚ー15,859枚(2010までの枚数)=3,887枚

  ※ 沖縄とか北海道とかインドとか、PCの機種変更などで、21日分のアップがお休みでした。

この一年2(H23)

2011-12-30 | 呟き
 
4/24-26、和歌山県の紀ノ川沿いに、村自らが桃源郷と呼ぶ里がある。町の山も川沿いの田畑も大部分が桃畑で、シーズンには手入れが大変なようです。



4/27、二月堂の修二会の時に大松明が、駆け上がる階段の回廊です。今日は花が満開の中で、「大般若経転読法要」がありました。





5/17-6/13、沖縄本島をレンタカーで走り回りました。首里城の城壁です。太平洋戦争で完全に破壊されたけれども、今は完全に復元されています。

沖縄舞踊です。

古宇利島に向かう大橋が出来ました。海を越す橋は見るだけで雄大でそのバランスが美しい。





敦賀から出て苫小牧に着くフェリーでした。マイカーで走り回るのも夢の一つでした。感動の旅でした。

7/5-8/2、苫小牧の朝の風景です。

赤の線が今回走ったコースでした。○印が宿泊したところです。コースは決めていたが、気ままに走った道南でした。




日高本線の列車と並んで走った瞬間です。



函館に着くのに、恵山岬を回っていきます。



松前城です。




江差追分が聞きたくて、ここまで来た旅でもあります。




積丹岬は、ガスがあって遠景が利かない。白い点は鳥です。



そして羊蹄山を見ながらニセコ泊でした。更に小樽で泊った後、再びフェリーで帰途に就いた。よく眠りました。





8/17-9/4、9/8-9/16、インドのダージリンを訪ねました。紅茶とトイトレンと、茶畑でした。手前の稜線に見える街並みがダージリンの街です。

朝早くから日の出を見るために、海抜2500mまで登り、そこに広がるヒマラヤ山系の景色に叫ぶ人もいました。
やがて、雲が消え初め、世界第3位の標高を持つカンチェンジュンガが現れました。左方には数百㎞先にエベレストが見えました。




ダージリンを走るSLはトイトレンと呼ばれる。何て可愛い奴だ。給水中だが鉄パイプが破損して、水がこぼれている。



ここには機関車が2輌いる。昔はインド洋から1週間かけてここまで来たという。


この一年1(H23)

2011-12-29 | 呟き
 年の瀬も近づき、日頃の生活を振り返る機会が設けられた気がします。
当「昆布が美味い」blogも、この一年で、印象が深かった画像をまとめてみました。

1/20-27、雪の三千院の画像のアップでした。



2/1-5、雪の長浜をたずねて、盆梅のアップでした。




2/7-11、淡路島で例年開催される「奇跡の星の博物館」があり、見事なランの数々が見られました。





3/4-12、昨年アップ(2010.10/26-11/4)しながら、途切れていたネパールの画像でした。

ヒマラヤ山脈が感動を呼びました。マチャプチャレと言う山はまるで槍ヶ岳の巨大なものですね。


敬虔な仏教国の人々は人も最後は自然界に戻ることを願い、流れるガンジス川のほとりで火葬をしていました。





3/13-18、東大寺の二月堂での修二会(しゅにえ)の行事を拝観しました。




3/22-27、福井市の前身「北の庄城址」を訪ねます。今年の大河ドラマ「江」に関連して充実してきました。




4/5-11、サクラに浮かれた数日間でした。「根来寺」と「醍醐寺」です。

醍醐寺





4/12-20、九州の島原半島の南でイルカが住みついているという話を聞いて見に行ってきました。背後の陸地は天草島です。



その帰途、、ハウステンボスに近い「バイオパーク」で珍しい動植物たちを見てきました。


ブエノスアイレスの休日(パタゴニア紀行18end)

2011-12-28 | 海外旅行
 夕刻に文明社会のブエノスアイレスに着いた。シェラトンホテルの前が公園になっているので、散歩に出かけた。治安が良くないと聞いていたので、何かあると走って逃げる覚悟で前方に歩いて行った。

 公園にはホークランド紛争での戦死者の慰霊碑があった。名前が刻印され、消えることのない松明が燃えていた。地元の人だろうか、記念撮影をする人も見られる。

 それから、何やら鉄筋の立派な建物があったので、そちらに向かう。暗くてよく見えない。何の建物かもわからずに奥に入って行った。サッと走って逃げる体制のままである。

 トンネルのようなところを通り抜けると、どうも駅のビルだったらしい。

コンコースから電車が見え、静かに出発していった。 4番の出入り口は柵があって入れない。ブエノの電車を見たかったのに残念。






この暗くて人気のない広いコンコースを好奇心半分、怖さ半分。小さなキオスクがあり、飲料水はホテルの1/3くらいの値段である。




 人が少し多い所に出て来ると、うす暗い中を警察官がうろうろ10人以上は徘徊している。ここは治安が悪いところなんだと実感する。
地下に潜るエスカレーターがあった。

角を曲がると、石作りの立派な切符売り場があった。ここで初めて駅であることを確認した。切符を買う人もまばらである。




 ブエノスアイレスはアルゼンチンの人口の半分以上が住んでいる。巨大な都市である。

 市域の部分の地図であるが、右下隅のHのマークがシェラトンホテルである。地下鉄や郊外電車の始発駅でもあるようだ。
 市内観光で廻ったが、どう廻ったか判らない。訪れた場所の名前は少しは思い出します。




ボカ地区を訪ねている。家々の壁を原色で塗ることを奨励したので、玩具のような街並みである。人が多い。




カラフルだけで、観光地になり、結構楽しい町が開けていました。




公園の「がらくた市」に向かう途中、商店街の道路でアルゼンチンタンゴを踊っていた。しっかり生演奏付きである。




何でも売っている「がらくた市」でした。ボルト・ナット一本でも売っている。日本人の使った絵ハガキまであった。


石膏像になりきった人がいた。




14年前のパタゴニアツアーはこのへんでお仕舞にします。楽しかった思い出やエピソードなどが、恰好の生きている証しとなりました。
ここまでお付き合い有難うございました。

散逸した資料が出てきたときには、突然アップするかもしれません。

 追記:翌日出発のアルゼンチン航空は、低気圧のため欠航した。24時間後の同じ便に乗ることになる。おかげで、ブエノスアイレスにもう1泊した。自由散策で、市内観光になり、楽しい一日になった。
 そして、ニューヨークのケープケネデイ空港は霧のために混雑して、着陸できないで、ボルチモア空港で一時待機する。その間にJAL便にも遅れ、再び丸一日の滞在になった。13日のツアーが15日のツアーになった。

パタゴニアを出る17

2011-12-27 | 海外旅行
 街中観光で、ここにも「地の果て博物館」があり、ここの受付でパスポートに印鑑を押すという。ウシュアイアの文字の入ったスタンプだった。最後にビーバーの巣を見に行きました。

 (プンタアレナスの「地の果て博物館」は南米大陸の最南端の町であり、ウシュアイアはフェゴ島ですから、地球最南端の街ですね。)

びーばーの巣はこの沼沢の中にあるという。



枯れた木の枝が高く盛り上がっている。木の幹の切り口などは歯形が残っている。



こちらも木の枝がうずたかく盛り上がっている。




ウシュアイアの空港から見る街並みはかろうじて現代文明が届いているという感じである。この山々に火を燃やしている人類がいたのだった。人呼んで「テイエラ・デル・フェゴ」(火の国)。
   


 ところで、ここの人たちは、以前に紹介した原住民のパタゴンではありません。パタゴンで書き忘れたことが一つあります。南米最南端の町プンタアレナスで博物館を訪ねたとき聞いたものです。ジオラマもありました。
 
 パタゴンも布を知らなかった。年中裸で暮らし毛皮を使うくらいであった。そしてスペインやイギリスが入ってきて、森林を伐採し、牧草を植えて、羊を飼い、ウールの生産を始めたとき、原住民のパタゴンは、獲物もなくなってきた。

 食物がなくなってきた。彼らは侵入者の畑などを荒らしました。すると、侵入者は、パタゴンを、獣の害獣の様に見つけ次第に殺していきました。武器を知らない彼らはどんどん数は減りました。

 それを見かねた牧師がヨーロッパからやって来ました。彼らに布の織り方を教え、人としての助け合いとか、火の使い方を教えました。彼らは救われたのでした。

 遠くアフリカ中央部で発祥した人類は、アジアを通りベーリング海峡を通り、南北アメリカを移住し、ついに、ここパタゴニア地方にまで到達したのでした。

地の果てで生き残っていた子孫たちでした。今は集落もなくなって、博物館に資料を残すのみとなりました。
マゼランの時代にはまだ末裔がいたのでしょう。




  ウシュアイアにもジャンボが使える滑走路が完成したらしい。この日、その第一号機が着陸すると言うので、町中の人が飛行場に来て手を振っていた。やがて目の前を着陸した。
 てっきり観光客の自分たちを見送るので、大勢が出てきたのかと思った。そんなのあるはずがない!!
 





夕刻、ブエノスアイレスに帰ってきた。市内観光を含めて、さらに2泊します。1泊目はシェラトンホテルでした。


オタリア(火の国パタゴニア16)

2011-12-26 | 海外旅行
街の前に広がるビーグル水道ツアーに出かけます。シーライオン(オタリア=パタゴニアアシカ)の生息する岩礁がある。 
 船でかなり沖に出ると、ウシュアイアの背後の山並みが見渡せる。



オタリア(シーライオン)が昼寝をしている。50-100㎏くらいと言う。オスも見えます。






オタリアのハーレムもさりながら、ちょっと見るとペンギンに見える。案内書にはウミウと書いてあった。が、よく見ると胸の白いところや、ペンギンの様に直立するところ、首の長いところなど、はてさて??地の果てに来ると個体変異かも。はっきり判明しない。





オタリアの♂はは3-400㎏あるという。♂は小さい。ハーレムを作り絶対の力を持っている。♂は首の周りにたてがみを持つようになる。





10頭くらいのハーレムである。メスが海に嵌まったのだが、懸命に陸に押し上げる、鼻先で押したり、噛みついてひっぱたり。




この姿は、ウミウですね。パタゴニアバージョンかも。土が盛り上がったのが巣で、よく見ると、茶色の雛が見られる。





こちらの岩には鳥はいません。




船は更に海から山々を見て回る。道がないのだった。旗形木は年中吹く強風の為に旗のように枝を張る。

南の果てから更に船に乗って人の住まない南の方角に行くと、どこかさびしい気分にもなる。「更に南だ!」を実感する。


ウシュアイア(火の国パタゴニア15)

2011-12-25 | 海外旅行
 地の果てにやってきました。地球最南端の町ウシュアイアです。

左:更にフェゴ島の最果てにある表示版です。フェゴ島はチリとアルゼンチンが分割して領土にしている。
  点線の左側はチリ領で表示がない。赤いラインはアルゼンチンの国道です。
  その終点にこの標識があります。首都ブエノスアイレスから3063㎞地点が国道の終点。

右:案内書からの抜粋です。この地の果てに牢獄があり、囚人が収容されていました。国は、この僻地の人口を増やすいろいろな措置を講じました。
 

インデイアンブレッド(パン)・チャイニーズランプ(ランタン)・シーライオン(オタリア)などが見られます。




木の枝にできるキノコだそうで、インデイアンブレッドと呼ばれる。キノコは組織を変形させて、木のコブを作ります。(10/21前出)

不思議なものです。




逆光で影だけが映っているが、ヤドリギが枝についている。よく松に着生して、通称ミドリと呼ばれたりします。これは世界中でヤドリギでした。




自然の公園を先にアップしましたが、ウシュアイアの港の風景です。おりしも豪華客船が入港してきた。聞けば南極クルーズ船と言う。




港町は鄙びた感じですね。




今南極から帰ってきたところです。帰途ブエノスアイレスへ向かう飛行機で乗り合わせ、南極ツアーの面白い話を聞くことになる。




港の桟橋には他の船舶も停泊していた。



火の国パタゴニア14(フェゴ島)

2011-12-24 | 海外旅行
 13日間のツアーが、都合で15日間になり、見るところが多くなりました。 

 アルゼンチン湖の西端にあるペリトモレノ氷河観光の為のカラファテに2連泊でした。その朝、出発はAM4:30でした。大西洋岸の近くにある飛行場まで走ります。現在は飛行機の便があるようです。
赤い花はノートロの花です。カラファテの街は右端で切られてカの字だけが見えています。




左:フラミンゴの大群が居る湖岸が今年は全く居なかった。
右:このバスはベンツのバスで、タフなやつです。
 



地平線の彼方まで道路が続く。舗装も最近の事らしい。
運転席の視界は広くていいが、ご覧の様に傷まみれです。道路の小石が当たるという。





道の駅でトイレ休憩です。大きな車体のバスです。





こちらではツリーは1月末まで飾っておきます。門松がいらないので??…。





リオガジェゴスという小さな町の飛行場に着きます。このプロペラ機でフエゴ島に向かいます。






改めて、今回のツアーのコースをアップします。よくもここに旅したものと思います。

往路はブエノスアイレスまで機中泊・ケープケネデイ空港内泊・機中泊、
帰途はブエノスアイレスで2泊・ニューヨーク1泊・機中泊でした。





4時間くらいで、ウシュアイアの街の沖にある島の飛行場が見えてきました。滑走路が見えます。


先住民族ヤーゴン族はパタゴンと同じで、布を知らなかった。寒いので山の各所で焚火をしていたとも言われています。
テイエラ(陸地)・デル・フェゴ(火):火の島=テイエラ・フェゴ島






港から見える島はチリ領だという。左側にある海は、ビーグル水道です。ここを通って南極ツアーの船が出ていく。
 






ウシュアイアの街を見下ろす山の中腹に今夜のホテルがある。グレイシャーホテル。






最南端のホーン岬は南緯約58度だから、ここで57度くらいか。北半球で言えば、カムチャッカ半島の付け根付近になる。今はこちらの夏と言うのに、暖炉の火が温かい。サンタクロースも来たらしい。

手前のまるい物体は、ふいごですね。これで火を起こす。




丘の上のホテルは、天気さえよければビーグル水道の果てまで見えたかも。これは無理ですね。

ホテルに窓から、おそらく山は万年雪でしょうね。






ウシュアイアの港の風景の案内板。


火の国パタゴニア13(ペリトモレノ氷河2)

2011-12-23 | 海外旅行
 感動のペリトモレノ氷河は世界でも数少ない、いつも崩れているのが見られる国立公園です。

パタゴニア地方の最大の湖、アルゼンチン湖の源流に氷河があります。
 マゼランはこの湖まで遡ったとか言われています。彼の船は、海岸線から離れずに南へ進みます。水が真水になると川だと判り、海岸線を調査しながら進んだと言います。

 この地図の左端はアンデス山脈で地理との国境である。縞模様は氷河です。

朱色で塗ったのが元旦と2日の連泊をしたカラファテの街です。JRの線路のような模様のある国道を左へ行くと、ペルトモレノ氷河がある。




氷河の上流で船上ツアーをする。ドイツ人がたばこの吸い殻を湖に捨てて、同船していた女性の客に叱られていた。




崩れた氷河のかけらが浮かんでいる。水温は0℃に近いのだろう。



高さ60-70mという、氷壁が近くなった。崩れる瞬間は撮れませんねえ。



氷河が対岸に到達している。少し前の日に氷河のダムが崩れたと聞いた。



トンネルの中に水が吸い込まれていく。



この尖塔のようなのがいつ崩れるかと見守っていたのだが…。



近くに寄りすぎて船が転覆したことがあるとかで、これ以上は駄目だった。



さよなら氷河。ビデオカメラはアナザーワンのカメラにはならないし。


火の国パタゴニア12(ペリトモレノ氷河)

2011-12-22 | 海外旅行
 マゼラン海峡が見てみたかったのと、世界遺産第一号のパイネの山々が見たかったのと、更にこの氷河が崩れ落ちるのを見たかったのでした。TVのCMで崩れ落ちる氷河がよく見られた頃でした。

 アラスカの方に行けば海に落ちるのが見られるのだが、ここは湖に落ちる氷河でした。動く氷河としてよく知られています。5分に一回以上はドーンと音を立てて崩れ落ちます。

雑誌かパンフレットかに掲載されていた氷河です。




 バスが森林地帯に入ってしばらくして、湖畔を走る。見えてきました氷河の先端です。ちらっと見えるのが、判るでしょうか。大変不鮮明ですが、白い棚のようなものが前方に見えます。
 




近くによると、高さ60m位と聞きましたが、なかなかの迫力の白い壁です。ここには昼食後、船で接近します。





拡大すると氷河の流れの軌跡が残っている。




遠くアンデス山脈から流れてくる氷河です。一日当たり2mの速さで流れる氷河です。かなり早いスピードで、上流から押し出してくるということです。




正面にある展望台からです。山裾まで約2kmある。崩れて融けた氷が各所に浮いています。








対岸から流れてくる氷河が、手前の展望台のある湖岸に到達して湖にダムが出来るそうです。




ちょうど手前の湖岸に到達しています。




展望台の斜面には乾燥に強い草花が咲いています。

野生のブルーベリーです。




とがった氷山の割れ目が青みを帯びて美しい。

 いつ崩れるのかが、全く予想がつかない。音がしてからカメラを向けてもすでに遅い。メリメリとかミシミシとか前兆があればいいのだが。 氷河の中の方では、ドーンと音はいつもしている。



 落下した直後の写真です。いったん氷は水中に没し、再びズーンと水面に顔を見せる。左方下にトンネルが出来ています。ダムになっていた氷山に穴が開いて水が流れ出ている場所です。