昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

錦秋の長岳寺

2006-11-30 | 歴史・文化遺産
地獄絵の公開される長岳寺は紅葉でもよく知られている。前回から2週間後に再度訪れた。山之辺の道のちょうど中間点にある古刹である。
「長岳寺燃ゆ」


話の中に聞く人を惹きつける和尚さんが、地獄絵の説法の合間に本堂前を歩く。

 左:本堂正面縁側から庭を見る。       右:本堂縁側から見える鐘楼門の風景。

 左:鐘楼門も紅葉に埋まって・・。       右:本堂の奥の大師堂。


1200坪の境内は池を巡る回遊式の庭園になっている。この楼門がいいじゃないか。


地蔵さんも紅葉狩りが終って、奥の院に帰るところ。


紅葉も様々な色合いを見せる。


やや色の異なる紅葉の大木は周囲すべてを朱に染める。


鐘楼の音までが紅く染まって、腹に響く。


石の卒塔婆が杉の木に寄り添っている。


放生池をバックに、地蔵菩薩が子ども達をつれて浄土へ連れて行くところです。石を積んでは鬼が来て潰してしまう世界からの救いです


浄土の世界が池に写る。この池のはるかな底には地獄の池があることでしょう。ここから「蜘蛛の糸」を垂らしませんか。

続さくらもみじ

2006-11-29 | 自然界
 大阪市内から、こちらの街の中に大学が引っ越してきて20年以上にはなるだろう。その塀に沿って桜並木がある。
  スーパー2つとショッピングセンターと、大手電気店2つと、キューピーマヨネーズの会社とに囲まれた一角に私立の大学がやってきた。そして今では立派なキャンバスを持ったゆとり空間の多い学び舎になった。


 学校と桜は何か似合うような気がする。学生服のボタンは桜のマークだったなあ。

 フェンスの上に針金が張ってある。右の絵の桜の陰に守衛室がある。
 不審に思われないように、そして、あまり刺激しないように気を使いながら、撮った写真はどうも上手くいっていませんねえ。


 部室のような建物が並んでいる。


これらはケヤキである。こちらの方も多様な色が出ている。日が西に傾いてくると、デジカメはシャッターの時間が長くなる。すると、出来上がりはボーっとしている。

 キャンパスがあるからと言うのではないだろうが、大学周辺には、公設の楽しい公園がある。その遊歩道はサクラのトンネルである。

 サクラのトンネルを抜けると、その先にはこれも広い公園がある。
 噴水があり、川の流れがあって雀が水浴びをしている。ショッピングセンターのあるビルの庇は、植民地風かな、スペイン風の飾りが着いている。


 夕刻の迫る青空をバックに、「さくらもみじ」の葉たちが、いっせいに下を向いて、葡萄のようにぶら下がっている

 もう日は沈んでしまった。夕闇がそこにまでやってきた。気温がどーんと下がる。

 あっ!ヘリだ。パタパタと空気を裂きながら、大阪伊丹空港へ向かっているのだろう。


さくらもみじ

2006-11-28 | 自然界
桜の紅葉は春の花よりも美しいとか聞きました。この秋は、その気になって意図的に楓以外の紅葉・黄葉を集めています。
 秋に全うする緑の葉が落ちていく段階で、色が変わるに何の不思議があろうかと、思っていただけだったが、今年は不思議に気になったものでした。


 4月には見事な満開を見せる桜のもう一つの顔です。

 阪急電車の武庫之荘駅周辺は桜の花の見事な所として知られている。線路の両側のさくらもみじが見事である。
 阪急と阪神が合併しても取り立てて言うほどのことは何もない。相変わらずのJRとの競争合戦は繰り返されている。


 駅の南側のプラットホーム沿いの「さくらもみじ」がいい。

 結構、紅葉してるではないか。道路標識まで赤くなって・・。もともと赤いか。

 阪急電車が開通した時は、この駅はなかった。田圃の中を走っていたのを、創立者「小林一三」氏が、私鉄経営の一環で周辺地域に住宅開発を行い、電車の集客数の増加を図った。
 そのときに植えられたままの桜がすでに古木に近い様相である。


 高度の下がった太陽に浮き上がる「さくらもみじ」である。

 これもいい色になっている。

 こんな原色でない色を見るとほっとしたものがある。

 「さくらもみじ」は阪急沿線で、現在は普通に見られる。

紅葉黄葉秋深し

2006-11-27 | 自然界
今年はいつまでも暖かくて、秋が来るのが遅かった。しかし流石に11月も下旬になると一気に秋がやってきて、今週いっぱいはなんとか紅葉が観られるかなあ。
 昨日、神戸・阪神地方にある灘五郷の一つ御影郷(みかげごう)を散策する機会があった。楓ではない色付きを楽しんでください。

 
ケヤキは黄葉が普通だがここは赤い。阪急御影駅前の紅葉でした。阪急電車の駅構内・駅周囲は手入れの行き届いた草木が多い。


芙蓉の黄葉、狂い咲きが一輪。


駅から南に歩いて3分、街路樹の黄葉。これはアオギリである。普通の桐と違って幹の表面が緑色である。


大きな傘を持つ石灯籠。この庭は酒どころ灘五郷をバックに酒の糟で漬けた奈良漬屋さんの庭である。


看板が右書きである事にこだわる様である。


左:近くの酒蔵を訪ねる。道も庭もよく手入れがなされていて、サクラ紅葉が見られた。
右:枝垂桜の紅葉。


中庭で多彩な色を出すサクラ紅葉。


ザクロも落葉の前に色が変わり始めている。


美しい色を見せるカクレミノ。こんなに黄色になるとはね。常緑樹だが、秋のお付き合いで、古くなった葉を落す。

左:富有柿が熟している。フラッシュの効果で、あまり美味しそうでなくて済みません。葉の斑になった紅葉がよく見えませんでした。
右:料理で出た柿の葉寿司、赤・黄・緑と色付いた柿の葉を使っているのが楽しい。


史跡野崎家旧宅(下)

2006-11-26 | 歴史・文化遺産
大きな建物と大きい敷地とで、いささか庭師も持て余し気味だったかもしれない。順次増築していったこともあるだろうが、大きさのみに目を奪われるといった感じは否めない。


 建物床面積1000坪という中に土蔵が並んでいる。左端の母屋に続いて、内蔵・大蔵・書類蔵・新蔵・岡蔵と並んでいる。この背後には夜具蔵がある。
 大蔵は展示館になっており、製塩の歴史とか、野崎氏の塩田の広さとか、当主が貴族院議員だった説明とか、世界の塩とかが並んでいる。また、岡蔵は家族の使った生活用品が並んでいる





左:納戸というのか、井戸のある「たたき」で勝手口のような空間。
右:鍋釜で煮炊きをする台所。「へっついさん」に釜が並んでいる。





左:味噌蔵には、浅漬けとか古漬けとか、重さの違う漬物石が使われる。石を釣りあげる装置がある。
右:ここに住んだ子供たちの玩具が展示されている。大都市圏と違って素朴なままごとの道具とかがある。人形は天神様だろうか。



 左:庭に面しての縁側に提灯が並んでいた。
右:海水を煮詰めて塩を採使う石炭の重量を測るのに使われた分銅の石だという。どんなに使って、重量を測ったのか考えてください。見当がつきません。



 繁栄した当時の遺産が庭を飾る。


 なまこ塀に赤と黄色の取り合わせは庭師の考えだろう。いいコントラストを見せる。



 このサクラ紅葉は見事である。色が完全に沈んで見える。


 この真っ赤はナンキンハゼである。
 春には他の樹木が新芽を出してから後に、悠々と新芽が発芽する。そのくせ成長が早くあっという間に他の樹木の枝を追い抜いていく。
 小さな果実は鳥が好みその種子を至る所に糞としてばら撒いていく。
 葉の厚みは薄くて乾燥に弱いだろうから、紅葉が早く落葉も早い。南方系のものでしょう。

史跡野崎家旧宅(上)

2006-11-25 | 歴史・文化遺産
製塩といえば赤穂のような気がするが、ここ岡山県倉敷市児島に塩田王と呼ばれた野崎武左衛門が、天保から嘉永(1830-54)年間に、気の向くままに築いて行った民家という。


道案内の標識は、焼板を張った屋敷の塀に沿って続いている。


後ろに山を控えた敷地は3000坪、建物面積は1000坪という屋敷の長屋門で、門長屋がついている。



表書院から各部屋が通して見える。


こんな縁側で日向ぼっこをしてみたいものだ。


枯山水の庭に並ぶ飛び石は、大中小とバランスよく出来ており、その先には茶室が設けられている。


左:隣りの中書院からは、部屋が8つ見通しが出来、襖9枚が順に両側に開く。映画に出てくる大奥のような感じである。
右:庭には茶室が3つある。いずれも方丈の大きさであり、客待ちの控えが建っている。屋根の重しの石が面白い。藁に包まれてちょん髷を結っている。

右に茶室が見える。左手には庭の築山があり、三尊石が立っている。

岡山バラ園

2006-11-24 | 旅の風物
岡山にバラ公園があった。最盛期は過ぎているのだろうが咲いていた。
 山陽放送のラジオアンテナの塔を中心にして、直径200m位の円形の公園である。
 やや勢いのない薔薇だったが、集めてみました。












閑谷学校(下)

2006-11-23 | 歴史・文化遺産
 当時、一般庶民の子どもが学校で学ぶ事は「読み書きそろばん」であった。
 そのうちで「読み書き」の部分の教材は「論語」であった。孔子の教えの素読から始まったと思う。
 そこで孔子が原点になる。そして儒教の思想へと繋がっていく。
 

閑谷神社が西隣りの聖廟より一段低いところに安置されている。学校の創始者池田光政を祀っています。


講堂である。ここで生徒は書を読み筆の練習をした。建物の周りに縁側がある。前回の時は中の部屋にまで入る事が許されたのに、今回は立入禁止になっていて、縁側をぐるぐると回るだけである。


よく磨かれている床板は、日夜の雑巾がけの賜物だろう。
 ここに「床紅葉」が見えた。外界の秋の色彩が、それぞれの窓から侵入してきて多彩に反射している。

 「床紅葉」を大いに売り出していたお寺は、京都洛北の岩倉実相院であった。ここの床紅葉は、最近は撮影が禁止されている。そして宣伝をしなくなった。??
 もしご希望でしたら、当blogの中にある検索欄に「床紅葉」と入れて検索してください。出てきます。もっと素晴らしい。


学校の敷地の周りには、石の塀がめぐらされている。国の重要文化財に指定されている。この塀の上部は角が取れていて、蒲鉾状になっている。

 石塀と言えば角張っているという感覚であるが、ここは丸いのである。そして塀の表面を作っている石材は、インカ帝国には少し負けるが、かなり緻密に石が接続されている。
 写真の左側が校外の道路であり、右が校内である。

左:朝顔ならぬ蔦が絡まる釣瓶があった。いい色になっている。背後に見える蒲鉾状の石塀が見えるだろうか。
右:「せきへい」は塀そのものの中から草も生えないように、よく洗ったクリ石で、雑草の侵入を防いでいると言う。

左:屋根の勾配がここまで揃うものだろうか。
右:門の外には楓紅葉の並木である。


校門の前は梅林になっているが、既に落葉してしまっている。


駐車場に向う道すがら、サザンカが見事だった。

閑谷学校(上)

2006-11-22 | 歴史・文化遺産
閑谷(しずたに)学校は、岡山県の備前焼の里の近くにある。
 大坂夏の陣が終って55年が経ち、江戸時代が始まった初期の頃、寛文10年(1670)岡山藩主池田光政が、庶民教育の為に命じて生まれた学校である。5年後には領内の手習所がすべてここに統合され、各建物が順に落成をみた。


学校の正門である。屋根瓦はすべて備前焼で、赤味がかっている。


門内正面に見えるのは聖廟である。学問の内容は論語であり、中国の孔子の称える儒教の教えでした。孔子を祀り、その門前には中国と同様に一対の楷の木を植えてある。


赤と黄に色分けてモミジするのは絶景である。今日見るところ、左の赤く色の濃いのが緑を残しながらの紅葉である。右は既に落葉し、枝が残っているだけであった。


色づいている枝に近寄ってみると、何と実がたわわに実ってその重みで垂れ下がっていた。


中国から種子を持って帰ってきたと言うのは、この実のことだろう。


楷の木は、ウルシの仲間の木である。色づいた葉を見るとウルシの葉である事がわかる。黄蓮木とも言うそうだ。
 また、学名をピスタシア・キネンシスと言い、ピスタチオとかなり近い仲間である。
もしかして、この実は食べられるかも?責任は持ちません。

秋の夕照「昆陽(こや)池」

2006-11-21 | 自然界
秋も深まるこの時に、西国街道沿いにある昆陽池に秋を探りに行った。
 昨年11月16・17日にも、昆陽池のテーマで取上げています。このときは紅葉よりも鳥の楽園の意味でした。


昆陽池公園になっていて、自然が豊かで気持がいい。


ハナミズキだろう。


藤原定家の歌碑がある。長歌で「昆陽池(こやいけ)を過ぎて武庫山に入る」
 昆陽池は田畑の灌漑用として、奈良時代に行基菩薩が造成した池である。西国街道沿いにある昆陽池から、西に仰ぐ六甲山(古名=むこのやま)を見て詠んだものだろう。
 歌の詩文は、2005年11月16日のblogを覗いてください。他の歌碑とともに出ています。

左:早く散ってしまったナンキンハゼ、カラスが面白い。柿ノ木が似合うだろうに。
右:このハゼの木は既に葉がなくなっている。


鳥たちの餌場。この白鳥は一年中ここで人々を楽しませてくれる。


面白いものに出会った。カモの行列である。隊列をなして動き回る。頭を低くして、嘴を水中につけて水音を立てながら「そこのけそこのけ」である。


ヌートリアがいた。これはまだ子どもである。


昼間は遠くへ行っていた鳥たちが、「ねぐら」に帰ってくる。今夜の寝床になる辺りの上空を旋回して暫くは様子を見る。鵜である。手前の白っぽくなった樹木は、池の中央にある島であるが、鵜の糞で樹木が枯れている。
 鵜を減らす作戦は、巣に産んだ卵を、擬似の卵と入れ替えおくのだそうだ。
 
 ところで、この島は、飛行機から見ると判るが日本列島の形をしている。なお、背後の建物は昆虫館である。


ナンキンハゼが青空に映える。