昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

ホイアン市内散策

2009-03-31 | 海外旅行
アプサラダンスの後ホテルで少し昼寝をしてから、夕方、りんタクに乗って市内観光をする。


 ここホイアンは「海のシルクロード」の東の果てに当たり、ヴェトナム最大の貿易港であったと言う。
 日本を始め、世界の各地から人や貿易船が集結した。15世紀後半から16世紀初めには、日本人街が最盛期を向え、数百人から数千人規模で住み着いていたと言う。



左:「シクロ」と言うりんタクに乗っての観光である。
右:これは陶器である。素焼きに薄い上薬が塗ってあるようだ。太陽もいる。






その貿易商人たちの立てた建物である。絢爛豪華なと言うか、ごてごてとした装飾物にはすべて意味があるようだ。そしてこれは中国の寺である。
中央に赤いリボンで、表額が上がっている。



ちょっと斜めですが拡大すると、何と読めるでしょうか。



そう、福建会館です。


中国国内でも、福建省の人は外国に出かけて、一人前に大人になっていくことを誇り(義務・刷り込み)に思っているそうで、華僑の活躍で、自分一家の富を増やしていくと言う。今もって変わらないのかも…。



船は大きな波に揉まれながら故郷に富をもたらします。故郷では家族が安否を気遣い、暗い海に明かりを点けて、船の帰りを待っています。
いわば、故郷に錦が飾ることができるかという観点にもなる。





中国の高貴な人物は、神となり、仏となり、寺に祀られることになる。

天井からは巨大な渦巻き線香が奉納されている。





線香の香りが漂うお堂の中。四角の帽子を被った位の高い聖人を祀る。

アプサラダンス(ミーソン遺跡4)

2009-03-30 | 海外旅行
ミーソン遺跡の入口で、アプサラダンスを見せる小屋がけがあった。


これらのポーズは、遺跡の浮彫りの女神と同じである。遺跡の姿からの創作ダンスかも。





祈りの姿かな。






関節が外れそうなほどの身体のラインですね。






足を上げた浮彫りの女神は見た記憶がある。






ヒンドウーの踊りだろうが、手先、指先の動きがいかにこの地の民族舞踊である。
表情も良いし、美しいフォルムである。





ある意味でコミックではある。
指の形は我が国の密教の世界で、僧侶が印を結んでいることの原点かも。

リンガとヨニ(ミーソン遺跡3)

2009-03-29 | 海外旅行
  この神殿の前庭にも、手前にはヨニ、その向こうにリンガが屋外に放置されている。

この崩れかけの廃墟の神殿だが、かつての部屋を復元して、中に入ることができる。





左:室内にあるヨニは風化からも守られて形も崩れていない。その中央に鎮座していたリンガは屋外の庭の隅にあるが、意図的に離されたと言う。
 この狭い石の壁で出来た部屋の中で、でんと居座っている。ご神体であり、男根崇拝の流れかも。
 そして現地ガイドは言う。これは離れ離れになって寂しそうだと。

右:これが本来の姿である。近くの庭で見つけたリンガとヨニ。♂♀の象徴だと言うが、見事にデフォメルされてしまったものだ。
 ヒンドウーではsexこそは最高の神だと信じている。象の姿の歓喜天もそうだが。
不思議・神秘の最大のものであったかも。生命ある子どもができるのだから。




いろんなところに放置されているヨニ。丸と四角の相違がある。








ヨニにある溝は何の意味だろうか。リンガを挿し込んだ時の水抜きのためかも。






室内のヨニから意図的に離されたと現地ガイドが言ったリンガ。大きさも合うと言う。ガイドは再び言う「寂しそうだ」と。このガイド何考えてんだろうか。






左:逆光に日傘が似合うかも。
右:この人知ってる。オートバイに乗っていた人だ。コマーシャルの撮影のようだった。


ミーソン遺跡2(ダナン3)

2009-03-28 | 海外旅行
市街地からかなり奥まったジャングルの中に、石塔が並んでいた。
 それもチャンパ王国の聖地として、最盛期を偲ばせるに十分なほどの密度で、にょきにょきと建っている。

 半分以上の塔は草に埋まっているようだ。折りしも白い花が、今から満開になろうかと言う中に、塔が垣間見えている。






振り返れば、草に覆われた塔が次々と並んでいる。





チャンパ族は海から来た民族と言われている。海のシルクロードで仕事を盛んにし、インドは勿論のこと、近くはインドネシアから、遠くはアフリカ大陸からも交易で栄えたと思われる。




 赤い石やレンガの建物などで、それぞれの時代が判明していると思う。

直方体の石の積み上げで、気の遠くなるような作業は、信仰の力であろうか。









頭のない仏像がヨニの上に乗っていた。現地ガイドが、突然石造の後ろに回った。


ミーソン遺跡1(ダナン2)

2009-03-27 | 海外旅行
 4世紀の末に、チャンパ王国は都を定め、その経済の中心は貿易港のあるホイアンになる。(ホイアンは後日港が砂で浅くなり、貿易港をダナンに移した)

 その時に、王国の宗教的聖地としてミーソンを選んだ。そして王はシヴァ神と同一視され、祠堂が建設された。
 17世紀にチャンバ王国が滅亡するまで、多くの神殿が造られた。しかし、王国の滅亡で、更に最近のヴェトナム戦争で、大部分が破壊されてしまった。

 僅かに残った遺跡が、近年世界遺産に指定され、一部の神殿が修復され、公開されている。
 建築の緻密な美しさとか、見事な彫刻が、観光客の賑わいを見せている。


世界遺産にようこその入口の表示。




世界遺産の看板と、すぐに楽しそうな橋が架かっている。









これは!これは!ウェッディングドレスで…、オートバイで…。可愛い子だが…。後は略。





よく整備された地道を2kmほど歩くと見えてきました。赤いレンガでできた塔がジャングルの中に浮かび上がってきた。





崩れてしまった石が転がり、赤味がかった石造りの神殿が崩れかけながら立っている。






 これは大きな塔の上部が無くなったのかも知れない。横幅の広い、従って部屋を多く持っていたかも。
 よく見ればレンガと思ったのは、赤い色の石を加工して積み上げているようでもある。
 緻密で精巧な建築である。




↑の写真の下半分である。女神が4人立っている像が並ぶ。女神たちはいずれも顔が無くなってしまっている。


チャム彫刻美術館(ダナン)

2009-03-26 | 海外旅行
峠を下ってすぐにダナンの街に入ってきた。

 ヴェトナムで3番目に大きい街は、ヴェトナム戦争では激しい戦闘が繰り返されたところである。


ダナンは港町であり、漁村である。海岸線沿いに、四角の魚網がセットされていた。四手網である。





 ヴェトナムで2世紀から17世紀にかけてヴェトナム中部から南部地域に繁栄したチャンパ王国の拠点であった。チャンパは謎の多い種族で、海洋民族であったらしい。
 最盛期にはカンボジアにも攻め入り、アンコールワットの王様に名を成さしめたこともある。


 チャム美術館は、往年のチャムパ族の石造りの遺跡から、集めている。なかなか見応えのある石造物が300点が展示されていると言う。全部は見ている間がなかった。
広い庭には、プルメリアの樹木が芽を出し始めている。春なんだ。





このチャンパの人たちも、ヒンドウー教の流れを汲むようだ。

蛇の守護神・ガルーダの神・全知全能のシヴァ神などがいる。千手観音かも。






ヒンドウーの女神たち。アプサラダンスの原点である。





これは巨大な「リンガ」と「ヨニ」の石造物である。

フライパンのようなのがヨニ(♀)で中央の太い円柱がリンガ(♂)である。円柱には縦のラインが刻まれている。フライパンの柄のところは、水の流れる溝がついている。






これも巨大なものである。台になっている所には、乳房が並んでいる。白い円盤は、石造の欠損部分で、石膏で補っていて柄が付いていない。






この展示室にはシヴァ神も象も釈迦も奥にいる。リンガも突っ立っている。




博物館の庭にあるプルメリアの花が咲きかけていた。薫育としたいい香りだ。古都フエではまだ蕾が固かった。


ハイバン峠(フエ7)

2009-03-25 | 海外旅行
 フエ博物館からの展示物が移されているというアンディン殿を訪ねる。

海のシルクロードを渡ってきた世界各地からの調度品があると言う。

この博物館は、およそヴェトナムらしくない西欧風建物である。調度品とともに、フエ市の世界遺産が絵になって並んでいた。

啓祥楼という名が付いている。









 部屋とか、階段の踊り場などに額がかけてある。豪華な額縁に収まっている。
右の絵は、日本の皇太子と出会いそこねたトゥドゥック帝廟ですね。線香屋さんが並んでいた。








江戸時代の通貨も海のシルクロードで移動していたことが分かる。寛永通宝がある。
また、コインの乗っている赤い布の柄は高貴な布に見えるが…。




バルコニーから中庭を俯瞰する。ここには中国の匂いがする。







 ヴェトナムの海岸線沿いに南に下がるときに、唯一、峠を越える道がある。
それがハイバン峠である。
 王朝時代からの難所で、今でも時々峠道で車の事故があると言う。
この峠を境に北と南で気象が変わるらしい。







王朝時代からのレンガの門である。「海雲(ハイバン」)関」とある。




左:峠の南、ダナン・ホイアンへと続く。
右:北を見る。フエの街、王宮のある古都フエ方面である。

ドンパ市場(フエ6)

2009-03-24 | 海外旅行
次に、市民の市場「ドンパ市場」を見て歩く。
 生活をになっている市場は、他の国のバザールと言うよりも、生活密着の市場であった。戦後の日本に出現したヤミ市の佇まいである。
 迷路のように通路があり、商品が前に出てきて歩く道を塞ぎ、真っ直ぐには歩きにくい。


駐車場から市場に入る入口の空間である。現在の日本では天秤棒など見られなくなりましたね。 






何もかもごった返している。手前のざるの中に積み上がっているのは、白いご飯である。量り売り。







 いかにも南国風のおばさんは、豚足を目の前のケースに入れている。蝿よけ?

 左の端に写っている鍋の汁は豚足のスープである。今しも2人の客がスープを啜っている。





こちらは商品を売っている方である。紫色のらっきょ?その奥にはにんにく、ひまわりの種子、ピーナッツ、とうもろこし、小豆などなど豊富なものだ。
若者は携帯電話に夢中である。







マンゴウとオレンジとピーナッツ、そしてこれよく見かけるが、茄子やトマトの仲間か?よくみかける。







野菜や果物を運ぶ女性たち。そう言えば、男性はあまり見かけない。庶民の味を作る主役は女性であるのが分かる。







食料だけでなく、衣料品・履物など日常生活の必需品も並んでいる。おばあさんが腕輪を整理している。
オレンジやドラゴンフルーツの向こうにあるのは砂糖椰子から作った甘い餅菓子である。







柱の右にあるのはパパイヤである。葡萄のような、これはライチか、そして右端にチラッと見えるのはキウイか。
野菜・果物が多くどれも美味しかった。

ヴェトナム王宮2(フエ5)

2009-03-23 | 海外旅行
王宮の中の皇居の風景を再びアップする。

 皇帝の印鑑が入口にあり、その四方に赤い絵柄のある柱が立っている。その位置が、本殿の棟があったところである。
 奥の一段高い段の中央には大きな赤いハスの花のデモが鎮座している。





左:御璽の把手になるところには金の龍がいる。
右:奥に破壊された建物の基壇が残っている。そこには金の鳳凰と龍がいる。









皇帝とその重臣4人の記念撮影の写真が残っている。着用している衣装が珍しい。南国で暑かったかも。





その横に展示してある勅書。「朕惟うに…」。これで見ると公文書は漢字であったらしい。その勅書の表紙はsilk(絹)である。約150年前のものである。







左:王宮の見取り図で、上が南で入口である。③が歴代の皇帝を祀る廟である。
 城(じょう)は10km四方だが、この王宮は1kmよりは少し短いかも。
右:王宮の中の道をアオザイを来た女子が歩く。頭には宮廷の女官の帽子を被っている。こちらではアオザイを制服にしている高校生が着ているという。





長い回廊には、ヴェトナムの歴史を写した写真が並んでいる。

ヴェトナム王宮(フエ4)

2009-03-22 | 海外旅行
宮廷料理が終わって部屋に帰って、窓からフォン川を見ると、橋が光っている。端から順に色が変わる。




朝見ると、クルーズで下ってきた川だった。






 1945年まで王国であったときの都フエの王宮を訪ねる。北京の紫禁城を見習って出来上がった。1802年には、大改造が行われ、10km四方の城郭が出来上がった。
 城中に含まれる街は碁盤の目のように道路が敷設された。
ヴェトナム戦争で80%の建物が破壊され喪失したと言う。

濠と城壁に囲まれ、時代を感じる門は一般道路になっている。





赤い横断幕には「皇太子ようこそ」の歓迎の言葉がある。







楼門がある。通路が3つあるが、中央は高貴な人の門で、一般人は両サイドから入る。門と城壁は、濠に囲まれているので、この位置からは見えないが、堀に架かる橋も3つである。






レンガ造りの頑丈な橋である。隣の橋が水面に移っている。






濠も優雅な風景を作る。後ろの堤防のように見えるのは城壁である。





ゲートを2つ通り抜け、更に中にある宮殿の屋根の上の竜も格好が良い。






帝が座る御座所は、基礎の台座が残り、円柱が立っている。
左:台座の前には、大きな御璽がある。皇帝の宝印である。
右:音楽堂である。今も音楽会で使われている。皇室気分になれるかも。




大きな建物は、歴代王様の供養をするお堂であった。写真もあれば塑像も並んでいる。