昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

'07BLOGの一年end

2007-12-31 | 旅の風物
信州の自然に埋まる白馬に3連泊をして、憂き世を忘れる。(8/1-4,9/21-28アップ)

上高地へ向った。奥の明神池までの散策である。神の住む池は静かだった。






池の畔の嘉門次小屋でイワナをいただきます。






ホテルの窓から見る八方尾根の遠望である。五輪の名残りのジャンプ台にもあがり、八方尾根は高山植物の花の宝庫である。右手の背後には白馬の山々。






一ヵ月後、早い秋を求めて、妙高・赤倉に3連泊でした。(10/1-13アップ)


イモリ池から見る黒姫山は姿がよろしい。麓には広大なコスモス園が広がります。






黒姫山の裏側に、笹ヶ峰高原がある。秋の樹木と草原が広がる自然一杯の公園でもある。

ドイツ杉の樹林の下に、タマゴ茸を見つけた。食べると美味いそうだが・・。







森林の逍遥路は、またクマの道でもある。






庭のカラスウリ、夜開く神秘の世界を撮影しましたよ。(10/14,20,24,11/4-5アップ)







京都鷹が峰、源光庵の悟りの窓である。円が人生の極致と説く。(10/29-11/2アップ)











VIVA!宝塚(11/18,21-26アップ)







嵐山亀山公園。(11/27-12/24アップ)






白い北海道。函館です。(12/4-24アップ)





来年もいい年でありますように。



DATA
 ○ 2007年Blogアップ回数:365回ー9回(海外旅行)=356回
 ○ 2007年画像アップ枚数:6348枚ー2305枚(昨年までの枚数)=4043枚

'07BLOGの一年03

2007-12-30 | 旅の風物
奈良、花の当麻寺を訪ねた。(5/23-6/1アップ)








奈良柳生の里を訪ねた。(6/12-16アップ)







姫路書写山円教寺を訪ねた。(6/19-22アップ)









京都府天橋立を訪ねた。股のぞき台(6/23-26アップ)










兵庫県多田源氏の里を訪ねた。(7/7-13アップ)








西蔵鉄道は海抜5000mをチベットに向けて走った。(7/26-9/17アップ)


チベット、ラサのポタラ宮殿と五体投地の礼拝。


'07BLOGの一年02

2007-12-29 | 旅の風物
2月になって、今度は北の鶴を見ることにした。

 格好の欲張りツアーがあった。流氷・タンチョウ、それから苫小牧から太平洋フェリーで仙台に着く。そこから山形蔵王で樹氷モンスターを見る。(2/26-3/12アップ)

昨日まであったという流氷が知床に流れていってしまっていたが、海岸線には結構その名残りが残っていた。







釧路に向かう途中であった。タンチョウヅルは優雅なものだ。飛び去り、飛び来る。






気象の関係でこんな姿は八甲田とここ蔵王だけと言う。モンスターとはよく言ったものだ。






京都祇園の辺り、花街・古刹を巡ります。(5/4-14アップ)






青森県の秘境巡りです。(6/2-11アップ)

敦賀からフェリーで秋田に向います。日本海に沈む夕日が美しい。





秋田から海岸線を北上する。青森県に入ってすぐに、世界遺産白神山地十二湖の青池があった。






国道を北に行き着くと、津軽海峡に突き当たる。海峡の向こうには北海道が見える。そして国道は階段になり、眼下の村に通じる。





恐山も3回目であるが、観光で開けてきた。

この橋は三途の川に架かっており、幽明境を異にする橋だと言う。






魚も住めない火口湖にむかって石仏が並ぶ。夜な夜な動くと面白いが・・。






本州最北端、下北半島の大間崎には蛸の足がぶら下がっている。マグロの一本釣りで御殿が建つ漁村である。

'07BLOGの一年01

2007-12-28 | 旅の風物
年の瀬も押し詰まり、いつかどこかで、ふと、立ち止まるのにはいい機会です。

 旅を柱にして、一年を振り返って見ます。

=行く年・行く年=

長谷寺の冬牡丹です。蓑笠つけて厳冬に健気に咲きます。(1/4-6)


本堂まで続く回廊がいい。


境内にはロウバイも咲いている。




南九州をツアーで回りました。(1/21-2/3でアップ)



熊本県に渡ってくる鶴は、世界でも有数の渡りが見られます。(3/13-15アップ) 




目の周りが赤いマナヅルが最も多く渡ってくる。




身体が黒くて、やや小型がナベヅルである。現在13000余羽が見られる。

船場・長堀の氏神

2007-12-27 | 歴史・文化遺産
船場・長堀一帯は、今よりも海岸線が深く入っており、市内は縦横に運河が作られ、物資の輸送の最大のものが船であった。北海道の昆布も新潟の米も船だった。

 また、この時は海岸線は円形に入り込み、円江(つぶらえ)と呼ばれていた。ここに氏神が祀られ、祠があった。

 豊臣秀吉が大阪城を築いた頃、この一帯は商業の街・繁華街が繁栄を極めた。

 その時に、時の津和野藩主が、自分の大阪屋敷を寄進して、文禄3年(1594)に御霊神社となった。




ビルに囲まれた神社は、商業・金融の中心地の鎮守として商家から崇敬が今も続く。





神社にあった由緒の掲示には、詳しくその創建の時からの歴史は綴られている。古事記や日本書紀に由来する神様の名前が出てきます。




 左:津布良彦・津布良媛神は、ここの海岸線の地形が円形である事から円江(つぶらえ)と呼ばれて、この氏神が祀られています。

 全国の八幡神社の神様である応神天皇は、その母、神功皇后がこの地の港を利用したことによるようです。住吉神社もそう言いますね。

 源正霊神ですが、彼は平氏の出でしたが、源義家の東北の戦いに参戦した後、鎌倉に帰還した時に反乱に逢い、目に矢が刺さったのにも負けず戦いました。部下に矢を抜かせますが、その時に足を顔で支えて抜こうとしました。
 彼は「戦で死ぬのは覚悟があるが、顔を足で踏まれるのは嫌だ」と言ったそうです。武勇伝として昔々聞いた気もします。 

 右:この辺り一帯は商業は勿論、繁華街として大阪一番の賑やかさでした。淡路から来た植村文楽軒がここに住み、人形浄瑠璃で有名になりました。御霊文楽座といい、この神社の境内にありました。
 その後、文楽は松竹の手に渡り、人形浄瑠璃を文楽と言うようになりました。




境内には「うつぼ」の石碑がある。近くに「うつぼ公園」がある。由来は魚の「うつぼ」ではないそうです。

 この辺りは海岸線で、そこは「雑喉場(ざこば)」と言われる魚市場でした。秀吉が歩いていると、売り子の声が「魚が安し、安し」という声が聞こえてきました。「なにっ、ヤスシとな」「ヤスとは矢の袋だ。矢を入れる靭(ゆぎ・うつぼ)だ」それ以来「うつぼ公園」になったと言う説があります。





境内にまゆみが咲いていました。花も小さくピンク色も優しい。




この柿の実は甘いでしょうか。四角の実です。



ここの境内ではなかったけれど、四季桜か不断桜が咲いていた。

師走の船場

2007-12-26 | 話題
大阪の繊維問屋街のある船場(せんば)界隈を歩く。師走の賑わいの中の風景です。


来年の干支ネズミのお飾りが並ぶ。猫のような、兎のようなネズミもいるようです。




 師走の店頭にネクタイの安売りの屋台が出ていた。人寄せの為に出ているのだが、この張り紙が面白い。

 店主の本音が出ていますね。屋台の上には、丸く巻いたネクタイが整然と並んでいました。客が一本一本物色して、触りまくるのだと思う。

「余り」「深刻に考えない」「訳の判らない質問お断り」これは商売人の本音でしょうね。黙って買って行けと言っています。

「シンケンに考える」と「シンコクに考えない」とが対句になっています。店主の文学的センスでしょうか。 





↑の張り紙には「落ち」があります。




「怒るか、笑うか」そして「他人と相談するような値段でない」と締めくくります。300円はそうかも知れない。








この船場辺りは、大阪城の北側に直結する堀端です。船で物資の移動がなされ、全国から集まる物資が船で運ばれていました。
 そして、大阪で一番の商店街であり、賑わいがありました。ここの氏神も祀る摂津一の宮の御霊神社境内にあったのがこの教訓でした。窓ガラス越しでした。

皆さんはどちらの項目が多いでしょうか。

群馬便り

2007-12-25 | 話題
冬来たりなば春遠からじとか、群馬から早くも春の便りが届きました。

 これから冬が来て、雪が降って、かすかな春の日差しのなかで出てくる蕗の薹が、群馬の山地に見られたといいます。

まだまだ蕾が固そうな大きさです。ほろ苦さが漂ってくるようです。天麩羅にでも、蕗味噌もいいか。和え物も美味いかな。





 干し芋は群馬名物。柚子をご近所で貰ったとかでジャムになったようです。かなり大量の柚子らしい。
 さらに、これは珍しい、鹿と猪の缶詰。「天然もの」とラベルまであるのが面白い。秋に訪れた時に近くの山から鹿の鳴き声が聞こえていました。「ミャー、ミャー」
その鹿ではないそうです。






これは「ヤマメ」だったと思います。秋に戴いたのがまだ冷蔵庫に秘蔵されています。「まだあるよ」と言う。一年間の保存食のようになっています。







いい思い出が生まれた北関東の渡良瀬川のほとりでした。手作りのバンガローでヤマメ・イワナ・アユの串焼きでした。

こちらの皿には「ヤマメ」が2尾です。






ちょうど一昨日の昼ご飯でした。黄色の酢橘は奈良へ紅葉を見に行った時、農家から貰ったものです。

伊丹空港

2007-12-24 | 国内旅行
鳥瞰図というのがある。江戸時代の人は空からの眺めは観ることがなかったと思う。しかし、彼らは描いたのである。

 午前9時離陸のANA便であった。天気が良くて低い高度の太陽が、景色を浮かび上がらせた。夏と違って空気も少しは見通しがよい。



ここは大阪平野の北西部で阪神地域の東半分になる。建物の海のように見えるでしょう。白く光る雲を映して、ため池の「端(ず)が池」である。写真の奥が南である。
 このあたり万葉の頃からすでに歌に謡われ、「有馬山 いなの笹原風吹けば・・」も有名である。


↑の写真の右上の部分に自宅がある。拡大すると、翼の上に見える「くの字」に曲がった道路が見える。この曲がっている所から50mの地点に我が家がある。
この道路に斜めに交差する黒いラインが山陽新幹線である。





空港を抱える伊丹市は、昆陽(こや)池の改修に際して、日本列島の形の島を作った。現在は川鵜の塒がある。その他多くの渡り鳥がここに羽根を休める。

 池の左隅には昆虫館がある。先駆けて蝶を放し飼いにした昆虫舘である。

 奈良の大仏を建てたときの棟梁である僧、行基がこの平野に灌漑用のため池を作った。現在の池の数倍の大きさであったと言う。




 機が大阪府に差し掛かる頃、北の方角に伊丹空港が見えた。街のど真ん中にある空港と言うのも珍しい。大変便利である。
 飛行場の近くは騒音が凄いので工場が多く建っているが、民家もある。騒音問題から使用時間などに制限がある。

関空が出来るまでは、海外向けの飛行機も離発着して、かなり混雑していた。 手前の川沿いに競馬場が見えている。 




さて、飛行中にアナウンスの案内があったが、佐渡島の北端が雲の合間から見えた。11000mからの風景は地図と同じである。弾崎とか矢崎とかが見える気がしましたが、どうでしょうか。

登ったり降ったり

2007-12-23 | 国内旅行
氷に閉ざされた北極海で、氷の割れ目から水面に顔を出し呼吸をしていた。
 それを思い出して、あるがままの姿を見せてくれる。このアイデイアだけでも特許ものでしょう。

登るだけだと思っていたら、降って行くのもいる。






にょっきりと突然に下から湧いてくる。







作業員のモップの先にじゃれついて来る。水中からもしっかり見えているんだ。







水の中は宇宙遊泳のように違いない。




園内の樹木は枯れ枝に綿帽子をつけている。






左:ゴリラの顔のゴミ箱。
右:動物園から出て、旭川郊外の道路は視界100mというところか。かなりの降雪がある。




左:道路端には雪が積み上げられている。歩道から車道は見えないだろうに。途中雪捨て場が川沿いにあって、案内されたが判らなかった。
右:高速道路に入ってから、オアシスの店にあった「売り切れ」のチラシ。

ペンギンとアザラシ

2007-12-22 | 国内旅行
ただただ雪の動物園が珍しく。逞しく生きる北の国の動物たちに、神の与えた適応力に感心しましたね。

水から上がったペンギンたちは暫く毛繕い。







やがて、後方に両手を上げて、ひょこひょこ歩き始めた。水中を鳥が飛ぶように泳いでいけばいいものを。見ているほうは楽しいけれど。







そして、仲間のいる場所へと急ぐ。この手を後ろというのは、身体のバランスの関係だろうが、なんとも愛嬌がある。







皆さん左の洞窟の中に並んで入ろうとしている。雛が手前で立ち往生している。




左:改めて掲示板を見てみると、上が斜面の頂上で東門である。
中央の道路に沿って各飼育舎があるわけである。冬の代表的な動物が元気にそこにいて、工夫によって観察がしやすくしたのがアイデイアであろうか。

ガラス越しの水中が見えるというのが魅力ですね。

右:このアザラシはまだ子どものようですね。





餌になる魚が、手から放り投げられた瞬間です。餌の魚が見えますか。



空中を飛んでいく魚の着地点は?





ナイスキャッチ。見事受け取りました。順々に餌を貰っています。