昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

この一年(2)

2012-12-31 | 呟き
2012年でblogの中からアトランダムに選びます。

 8/25~9/5までアップしたのは出雲地方でした。今年は古事記が書かれて1300年の節目でした。

八重垣神社に残る八重垣姫とスサノオノミコトです。

出雲の古民謡に、この二人の名が出てくる。また、古事記には「八雲立つ 出雲八重垣妻込めに、八重垣つくる…」とあります。


出雲博覧会の催し物、ヤマタノオロチの民族舞踊。




近年発見され、発掘された銅鐸の数は日本一の数を誇ります。




 9/21~9/24奈良の本薬師寺と藤原京史跡を訪ねました。

このホテイアオイの花は、本薬師寺の周辺の水田を埋め尽くすほどに咲いていました。

背後の山は飛鳥三山の一つ畝傍山です。


10/1~10/2魚を食べようと日本海に向かいました。

兵庫県但馬地方に円山応挙をはじめ、その一門が滞在して、多くの絵画を残しています。
大乗寺(通称応挙寺)



11/9~11/10久し振りに電車で京都に向かう。

金閣寺はもはや国宝ではなくなったが、以前よりも燦然と輝く。



 12/3~12/6日本のへそ公園を訪ねました。

東経135度、北緯35度の交差する地点にできた公園です。



 12/7~12/11今年の秋の最後の名残を訪ねる。もしかして近畿地方で最も遅い紅葉かも。

井伊直弼の彦根城の庭園「玄宮園」は見事でした。



 12/12~12/20震災の記憶も深い神戸市でのルミナリエです。

六甲の北にある遊園地の光も含めて、光の祭典はハートを明るくしますね。


 12/21~12/29十数年前のアルバムからのアップです。HPが撤退し、今回新たに充実させて復活です。

アンデス山脈の山岳地帯に拡がったインカの国、ボリビアとペルーを訪ねた写真です。

サクサイアマンの城壁です。(ボリビア)


マチュピチュの遺跡です。(ペルー)


一年間お付き合いいただき有難うございました。


DATA…
 アップしなかった日数:366-357=9日
 アップしなかった日数は主にスリランカの旅行中など。

 アップした写真の枚数:24,039枚(全枚数)ー19,746枚(昨年末までの枚数)=4,293枚(今年のアップの枚数)
 全画像の容量:1.534GB
 

この一年(1)

2012-12-30 | 呟き
一年を振り返る為の、年に一度の機会のような気がします。
それにつけても、まだまだ遊び足らない気もします。


 1/3~1/16までスイスの旅をアップしました。
十数年前の旅でしたが撮った写真を、当時流行っていたHPにアップをして楽しんでいましたが、プロバイダーがHPを止めてしまったので、更に写真を充実させて、blogにアップしたものです。

 まだユーロの通貨のない時代でした。スイスはユーロには入らなかった?。スイスフランは、他国よりも値打ちがかなりありましたね。



 1/31~2/6まで、すでに今年の大河ドラマに失望しながら、神戸の清盛歴史館の史実の資料館などに行きました。



 2/15~2/28,3/4~3/12まで、雪の東北を楽しみました。
角館の火振りかまくら。

横手のかまくら

「奥の細道」象潟の雪景色。



 3/1~3/3まで、奥琵琶湖のハクチョウ。



 3/13~3/16二月堂のお水取り。



 3/17~21まで、ウメをもとめて、北野天満宮、道明寺天満宮。


 3/28~31まで春の景色でした。
浄瑠璃寺


 4/13~4/18醍醐寺。


 4/19~4/20平家納経。


 4/27~5/19色々な花、特に4/30泉州の藤。



 5/20~5/25潮岬の金環食。



 5/27~5/31室生寺。



 6/29~7/4四万十川の源流域を訪ねる。沈下橋。



 8/1~8/22,8/23~9/5,10/15~10/26まで、今年最長になったスリランカ(旧セイロン)の旅。
小さなエアーズロックのような…。頂上に宮殿があった。


壁画の美女たち。


象を崇めるペラヘラ祭り



ペルー⑧マチュピチュさらば

2012-12-29 | 海外旅行
かなり広範囲の段々畑です。

遠くに見える山の稜線で、低い部分がある。そこに向かって山の中腹から伸びる一本の黒い線がインカ道です。

鉄道などのない時は、この峠を越えてマチュピチュに入って来たそうです。




左:居住区の一段低い所にある石室です。この階段部分は一個の石をっ削ったものと言う。牢獄だったと言う。
右:そのすぐ前には、コンドルの模様かも知れない石の造形がある。
 


そこのすぐ上にある石の造形。石の穴はコーナーでトンネルになっている。

人が座って両側の穴にそれぞれ手を通し、拘束したものとガイドは言う。





ウサギは2羽いた。全く動かないので縫いぐるみかと思った。





強い紫外線の下で、人々は三々五々寛いでいる。





帰るときに、入口の近くで記念パネルを見つけた。

ハイラム=ビンガムが1911年に発見したとでも書いてあるのだろう。

彼は川沿いを歩いて進むうちに、山の上にある森の中に遺跡が見つかったと言う。
すべてが森とブッシュで覆われていたと言う。現在でもまだ新しい段々畑が発見されていると言う。




このバスで、山を下って駅に行く。





車窓からみると、列車の待避線に赤い列車が2本停まっている。橋までジグザグ道を下って行く。





この少年は、走ってバスを追いかけてきた少年で、グッバイ少年と呼ばれる。

ジグザグをバスが降りていると少年は直線で走って降りてきた、バスに向かってグッバーイと叫ぶ。

すべてのカーブで、ぎりぎりにバスと出会うと、車内から拍手さえ起こる。

最後に橋を渡った所で、バスが止まり少年を乗せる。彼はお金を求めてきた。

そう言えば、山上で、2-3人の少年を男が動かしていた。日本人のバスには必ずついて来ているようだった。




ペルー国鉄。マチュピチュ=クスコ間の、出発時刻表である。





全容の写真です。

この後、リマの市内観光・ナスカの地上絵などをアップする予定です。

ペルー⑦マチュピチュの神秘

2012-12-28 | 海外旅行
この急斜面を畑にするという発想は、追い詰められた民族の知恵かも知れませんね。




山の尾根筋に国家を作り、平地には出てこなかったインカの人たちにとっては、山は平地と同じほどの感覚だったことでしょう。ここはアマゾン源流に近く、水も豊富だった。

川沿いに走る鉄橋は、観光資源としてのマチュピチュを十分に案内が出来ます。




この斜面では緑が豊かですね。
学者の計算では、数千人の暮らしを支えるほどの収穫があったそうです。

この景色は西側の谷が見えています。

前方に今は水力発電所が見えます。洪水になってもインカの作った水路は無事だったが、政府が作った水路は破壊されたと言います。

インカ道が山の斜面に弧を描いて付いているのが、見えるでしょうか。





平地になりそうなところは、すべて段々畑になっています。





要塞のような建物が見えます。窓が全方向についていてまるで、砲台のような姿です。、

これで太陽の観測をして、作物の植え付けや、収穫の季節を知ったのではないかと言われています。




外から見ます。




広場があって、並行して棟が並んでいます。ここは役所のような働きだったと言います。
文字のない文化だったが、紐に結び目を作って、公文書に使っていたと言います。
解読できる人も居たらしいが、現在では誰も理解できません。

紐は博物館に残っています。縄暖簾のようなものでした。





マチュピチュの見取り図がありました。今でも、畑は発掘されていると聞きました。

赤いのが建物で、左の下が村の入口です。青線は道路であり、段々畑です。





広場には水の湧く設備があります。四角の窓が並んでいる所です。

自然に湧き出るものや、他の泉から引いているものもあります。





不思議な文化ですね。


ペルー⑥マチュピチュの世界

2012-12-27 | 海外旅行
手前の南の少し高い所に登ります。



街の中央に近いところで、王様の部屋と言われる部屋の出入口。

これは精巧な石積みです。




この入口からは村中を展望できる位置にある。




小部屋が建ち並ぶ。




トカゲがいた。(2枚)






ガイドは現地の大学の先生だと言う。いろいろと資料を掲げたが、残念ながら記録にない。

岩石を割る途中だったと言う。穴に水を入れて氷にして体積の膨張で割ったと言う。




村の端の丘の上の石塔。天空からのパワーで、占ったそうで、東西南北が整合していると言う。

角が欠けているのは、観光客が岩のパワーを貰おうと削ったと言う。






尾根筋の北の方にある丘。よく見ると人が登っている。さらに段々畑がここにもある。見えるでしょうか。





東の方には、ウルバンバ渓谷の深い谷が続く。その向こうはアマゾン川の源流域の山岳地帯。


ペルー⑤マチュピチュに着いた。

2012-12-26 | 海外旅行
車内弁当が出たり、カセットやビデオテープなどのいろいろな土産の販売もあって、
窓の風景にも退屈しない3時間半でした。

どこまでが駅の構内か判らないホームを下車する。駅のゲートらしい所から出てバスに乗ります。
駅のゲートの前には物売りの女性が並んで待っている。皆さんが買うのは帰途だろうに。




専用のバスが川向うで待機している。





左下に見える谷底の川沿いから山の尾根筋に上がる。

急斜面についている屈折した道路は凄い。これぞマチュピチュ。





やっとマチュピチュのゲート前に着いた。この斜面を回り込んだところから見えるはず。





見えた。小高い所に、角の様に飛び出している場所まで行きます。あの石は正確に東西南北に面を見せていると言う。





少し進むと、石の一つずつが判る。




いったい何のために?どうしてここに?よく発見されたものだと感じる。






赤い人が歩いている所が、ゲートから続く道です。上に見えている石小屋は葬儀などで使われたと言う。





下を見れば、谷底に汽車が見える。この辺りは終着駅の待機線になっているようだ。




谷底のウルバンバ川のカーブの向こうに終着駅がある。2本の橋がマチュピチュ遺跡に繋がる橋である。


ペルー④マチュピチュに向かう

2012-12-24 | 海外旅行
ナスカからマチュピチュに向かうバスもあるが、ここは鉄軌道で向かいます。3時間半。




機関車が転換する転車台もある駅構内。

海抜3700m位なので、撮影の為に列車の先頭にまで走った、息切れがきつい。




プラットホームの掲示板はマチュピチュ行きの案内が出ている。この文字はカタカナかなあ。





盆地のナスカの街から出て行くには、山の斜面を乗り越えます。列車は、スイッチバックを3-4回は繰り返す。




急斜面の住宅の中を走る。窓からは各家の屋根瓦が見える。
 
どの家の大屋根の真ん中にも、風見鶏と共に、守護神だろうか動物らしい置物がある。




早朝のナスカの街が一望できる。





駅に着いた。



駅舎に付随する倉庫でしょうか。


対抗列車待ちの間停車する。布地を売る女性たちが、集まってくる。





ナスカ盆地から周辺の山まで上がって来ると、そこは高原地帯である。牧場になっている。




計画的に作られた農村地帯、海抜4000m近い。畑には野菜などが作られている。
ジャガイモの紫の花が咲き、小麦畑がありトウモロコシ・そら豆の花が咲いている。牧草地がひろがる。
山の斜面は段々畑になっている。

山の高い所の畑がソラマメとジャガイモ、中腹からはトウモロコシと麦が栽培されているとガイドは言う。

特にジャガイモは標高差によって種類が違い、赤や黄色や緑など多種多様である。




やがて、マチュピチュに続くウルバンバ渓谷沿いに走り始めた。インカ道が並行している。判る?




雨季の渓谷には濁流が流れる。横の谷からの水は絶えることがない。

ここは宿場だったと言う。段々畑は野菜とかを栽培していた。



ペルー③ナスカ

2012-12-23 | 海外旅行
 ナスカの市内観光に向かいます。

石造りの教会の入口には、門札が2種類ある。

インカ帝国の頃、ここはコリカンチャと言うインカの国の宗教の寺であった。
黄金で埋め尽くされ、豊かな繁栄をしていた時の名前である。

そこへやってきたのが、サンマルチン将軍が率いるスペイン軍であった。
彼らは、寺の中の金をすべて自国に持ち帰り、寺もカソリックの名前「サントドミンゴ」に代わった。

玄関の屋根の棟にはスペイン教会の人の像が入っている。玄関左横に「サントドミンゴ」の名前がある。




立派な塔を持つ教会だ。





インカ時代の建物が残っている。この壁もインカのものである。石の精巧な組み立てが判る。






十数mの広さの部屋が三つ並んでいた。その壁には四角の穴が4か所空いていて、串刺しの様に見通すことが出来る。

用途は不明だが、中央の部屋には生贄でもささげたらしい石の台座がある。神聖な部屋だったろう。

そしてこれらの部屋いっぱいに、なんと金製品を入れて、人質となった王様を助けたと言う。

石の壁には、すべて金が塗ってあったと言う。その名残の跡が岩肌には残っている。






ナスカの周囲に拡がる山肌は、海抜3000mと言うのに緑が多い。viva EL PERU (ビバペルー)の字が見える。 





アンデス山中にあってぽっかりとできたナスカ盆地。





街の公園広場にはXmasTreeがある。




遙かに飛行場らしきものが見える。




ユーカリの木が元気。いい自転車も持っているよ。





賑やかな集団が街を練り歩いていた。






夕食は近くのレストランだと言う。楽団演奏もあると言うので、高山病も忘れて出かけて行った。




曰くのありそうな人形に扮したダンサーが踊る。






休憩の後、楽団が入れ変わってケーナの響きが気分を癒す。

こんな高地で空気も薄いのに、よく吹けるものだと感心する。肺活量の問題かも。





派手な民族衣装で、よく動く。酸素が少ないだろうに。






由緒のありそうなレストランである。食べ物は高山病でのどを通らなかった。明日は朝が早いので早く寝る。



ペルー②ナスカ

2012-12-22 | 海外旅行
ボリビアとペルーの位置関係が判る地図です。


ボリビアで貰ってきた高山病は、ナスカでもまだ続いています。食事がのどを通りません。
 飲まず食わずでしたが、お腹はすきません。
現地の人が飲むマテ茶が高山病に効くと言うので、飲んでみたが変化はなかった。
 ちなみにマテ茶は麻薬に近いとかで、日本では御法度です。

翌日はバスで、ナスカの市内観光です。山に囲まれた山岳地帯の盆地です。




バスが標高を上げていきます。元気な大きな樹木はすべてユーカリの木です。
オーストラリアから来たものか。緑の畑はジャガイモなどを栽培しています。ジャガイモ発祥の地です。



スペイン語かなあ、案内板があった。国立の遺跡公園とでも。
サクサイワマンと言う城郭である。

城壁に守られ、中央には円形の広場があるようです。





この城壁は圧巻である。一直線の石垣でなくて、かぎ型の平面を持つ石垣である。敵の攻撃を防ぐ働きと言う。

石のツナギ部分には隙間がない。製作は接触面を敲いて削り、石を組み合わせる技術が凄い。





石垣のトンネルをくぐって奥に入る。人の大きさで、石の大きさを見てください。重たかったろうに。

石の角が十数か所あるのを、隙間なく石を合わせていて、巨大な多角形になっている。つなぎ目に隙がない。

いったいどうやって、石を動かしたのでしょうか。






次にバスが止まったのはケンコーと言う名の城郭と思われる開けた場所であった。ケンコーとはジグザグの道という意味。

この大きな岩塊は中に穴が開いていて出入り口が各所にあって、敵が入って来ると迷路になると言う。


高山病で、頭フラフラの中でナスカの市内観光を続けます。

インカ道の交差点になる場所に、宿の役目をしていた遺跡がある。
タンボマチャイの遺跡と言う。山肌を斜めに横切るラインが、インカ道である。

手前の方では土産物など、布を売っている。インカの絵柄ですね。ここでは2ドルでケーナの20cmくらいのを買った。





土産物を売っている高台は、当時の見張り所だったと言う。文化遺産で関所「プラプラカ」という。

遙か遠くに斜めのラインがインカ道である。この道ははるかアンデス山脈の北の端まで続いている。






ここにある水場は、古代から干上がることがないと言う。





後向きだが、機織りや、糸を紡いだりしている。紫外線が強いので、大きな帽子も理解できる。





その上の丘には野生のリャマが集まっている。



ペルー①

2012-12-21 | 海外旅行
少し時間の針を戻して、ペルーとボリビアの旅のアップをします。

前回11/27にアップして以来です。ボリビアのチチカカ湖から、ペルーのクスコの空港に入りました。

約1時間でインカ発祥の地からやってきました。

クスコ空港は、南緯13度、海抜3248mにある。ペルー独立の父の像が頑張っている。





空港の看板広告は、ペプシとコカコーラと地元産のインカコーラがあるようだ。インカコーラがうまいそうだ。

ここもスペイン語圏になる。南米で、唯一ブラジルだけがポルトガル語だそうだ。





空港から市内に入ってきた。狭い路地と、坂ばかりの路地を結って進む。




少しばかりの広場があると思ったら、そこは城壁に囲まれた旧教会の前だと言う。ここが今夜のホテルである。




城のような教会の名残りを感じる玄関の飾りがついている。

隣の家並みも城壁で囲まれている。インカの物売りの女性がヒツジを連れてうろうろしている。






元教会だったと言う塀の中は花畑があり、ヨーロッパの大きな屋敷のような感じである。

何でも修道院だったとか…。個室に入って修業をせずばなるまい。???





年末年始はクリスマスで、街角やホテルはもちろん、キリスト誕生のドラマが人形で飾られている。

1月末まで飾られる。教会だと年中あるのかなあ。