昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

公園の花たち2

2007-03-31 | 自然界
公園に長さ50m位の範囲で、逍遥路沿いに今はもう満開になった桃が咲いていました。


八重になった花弁が、真っ赤で妖艶な感じすらする。小雨が時々降ってくる春の昼過ぎでした。


こちらはピンクの花が眩しい。


白もある。白い花は咲くのが早いのか、足元の方で満開を見つけた。


この桃の木の高さが、1.5mくらいか。剪定の為もあろうか、巨大な盆栽である。見るからに枝ぶりが複雑である。


ここからそんなに遠くないところに、植木の畠がある。いろいろな種類がある中で、桃の木も満開であった。剪定をしないと、こんなに伸び伸びと育つ。
 傍に命名の碑が立っている。「南京桃」である。市内の郵便局が、南京桃の盆栽の注文をとりに来る。一枝につく花の数が多いので、小さくとも家の中で花見が出来る。

 ところで、ここの伊丹の種苗の畠で、アメリカのポトマック河畔に送ったソメイヨシノは育ったと言う。一回目に送った木は失敗だったそうで、2回目に送ったのが立派に育ったと言う。

公園の花たち1

2007-03-30 | 自然界
散策に向った近くの公園、水源地の周りが公園になって整備されている。普段何でもない花たちが、デジカメを向けると、一際目立ってくる。


ピンクと黄色。サクラとレンギョウです。満開です。


ヒマラヤスギの枝の上には、いつの間にやら大きな松毬が出来ている。
 いつもなら鳥が啄ばんでしまってなくなって居るところである。今年は暖冬で、鳥たちの食料が充分だったのか、食べ残したのだろう。


ピンクのコブシが咲いているが、あまり見かけない色だ。


白モクレンも花の時季は終わりに近付いている。

これは?

2007-03-29 | 自然界
 春がそこまでということもあって、池のある古い公園を訪ねた。


これは一体、何なんだ。不思議な世界が広がる。トルコのカッパドキアさながら、にょきにょきと立ち上がる棒状のもの。


このにょきにょきは50m以上の範囲で続いている。


公園の中に作ったせせらぎの川は、今は水が無く、せせらぎの岸辺に沿ってのにょきにょきである。


一昔前なら、五百羅漢とか、阿弥陀さんとか地蔵さんとかの名が付きそうである。


木の根と考えても、ここの場所だけに出てくると言うのも不思議なものだ。
やがて、これが落羽松ではないかと思いついた。。その木はせせらぎの川の対岸に高さ7-8mの並木になって植えてある。そして暫く行くとラクウショウ(スギ科)と札がついていた。
 今は落葉した枝が空に向って伸びている。このにょきにょきは気根と思うが・・。


 以前に、このblogでアップした事がある。再掲です。
 この巨大な落羽松は、奈良桜井高校の門前で紅葉していたものである。05.11.28のblogでした。

鴎と牡蠣の殻(日生4)

2007-03-28 | 旅の風物
 とれとれ市場の裏手の船着場は牡蠣の処理場と繋がっている。
 

空を見上げると、ペアダンスで華麗に踊る鴎2羽。


味醂干しの魚が天日に干してある。鴎対策の網を被っている。


こちらはアナゴの味醂干し。おやーっ何かいる。よく太っています。


鴎がエスカレーターに乗っています。


足元が動くので、不安定なのか羽根をばたつかせてバランスを取っている。
 右から2番目の鳥は顔が黒く見えている。これはユリカモメの夏の顔に違いない。
 他の白い鳥たちはの目の後に黒い点があって、これもユリカモメの冬の顔だと思うがどうでしょうか。


ベルトコンベアが動くのでじっとしていない。
 

このエスカレータには、身から外した牡蠣の殻が乗っている。まだ、身の切れ端が残っていて、それを狙っている。
 この牡蠣の殻はコンベアーの先端で細かく砕かれて排出されている。


親子連れの人が近付き、鴎は一旦全部飛び去ってしまった。その後、人が居なくなって、再び戻り始めた時の撮影である。
 飛び回るさまざまな姿は、見ていて飽きがこない。

青鷺物語(日生3)

2007-03-27 | 旅の風物
 アオサギが最近特に目立つような気がする。その大きな身体はツルのやや小さくしたくらい、それが人によく慣れていて、悠々としている。その動きはどちらかと言うとユーモアがある。
 ここの漁港にも多く見かけた。


船着場で何を考えているのか、じっと沖を眺めている。いつも入港してくる漁船の魚のおこぼれを貰っていて、それが忘れられないのだろうか。


屋根の上で、哲学者になっているアオサギ3羽。突然1羽が降りてきた。


大きな声が飛び交ったせりも終って、ひっそりとした屋根の下に入って行く。「お邪魔します」


「とろ箱にはもう魚の端っぽでも残っていなかな」


「こちらにも、何か残っていないかな」


「あっ、急に顔を出すなよ。何かいると思ったら君だったか、何かいいものでもあったか」


「そうか何もなかったか。じゃあもう一度、一緒に探してみようか。掃除が行き届いているから駄目とは思うがね」


「どうして、そんなに高いところに突っ立って居るんだい」「高いところのほうが、遠くまで見えるもんね」「ああ、また牡蠣船が入ってきた」


今年の牡蠣シーズンも、あと僅か。沖の養殖筏から収穫するのも後僅かになったか。


暫くして、牡蠣を積んだままどこかへ出帆した。



日生漁港2

2007-03-26 | 旅の風物
五味の市という名のとれとれ海の幸の館に入ってみる。
日生に着いたのが、正午過ぎ、海の幸はあらかた売れてしまっていた。


昨年ここを訪れた時は火曜日であった。ここから、牡蠣の養殖筏を作っている現場を見て、近くの料理屋でおまかせ海の幸を味わってすぐに帰宅した。


おばあさんの店番が多かった。いろいろと売らんかなで、愛想がよろしい。


どの店も半分くらいが牡蠣である。牡蠣のシーズンも終わりである。交渉次第では量が増えるのではないか。
 帆立貝も並んでいる。


牡蠣ごろごろ弁当と牡蠣めし(400円)のパックが並ぶが、見ているとすぐ売り切れでなくなってしまって、奥から出してくる。


ナマコだぞー。調理したあとの方が食欲が湧く。小さい方が柔らかくて美味いと言う。最初にナマコを食べた人は勇気のある人である。ナマコの口は初めて見た。


舌鮃(したびらめ)はウシノシタ科の硬骨魚。ナマコはどうも気味が悪い。食卓の上に出てくると美味い。


左:ここもナマコとシタビラメ。青い笊の目から白い長いものがにゅーっと伸びてくる。
右:笊の中を見るとタコが足を伸ばしていた。この軟体動物はやっぱり気持が悪い。


魚介を買って、バーべキューができる。皆レンタルであるが、野趣溢れる料理は美味しそうだ。

日生漁港1

2007-03-25 | 旅の風物
 3月中旬、午後から岡山県の東端にある日生(ひなせ)漁港に遊んだ。


水揚げをした魚介類を、とれとれ市として「五味の市」の施設を作っている。この写真は燕を撮ったのだが、点にしかならない。


市場の入口である。


兵庫県と岡山県の県境に近く、瀬戸内海に面して、入り組んだ海岸線が、海の幸を育てる。
東に行けば忠臣蔵の播州赤穂があり、西に向えば備前焼の里が近い。その西隣りには和気清麻呂の生誕地がある。神社の祭神として祀られている。彼はお母さん思いだった。


南に広がる島々は、海のレジャーを主に、リゾートエリアとして宣伝され、別荘などが立っている。温暖で雨の少ない瀬戸内海の海が広がっている。


漁港の背後の展望台に上がると、絵のような景色が広がる。東方を見ている。海に浮かぶ筏は牡蠣の養殖である。今しも漁船が港に帰ってきた。


海岸線に沿って街が並ぶ。船の泊まっている辺りがJR日生の駅前で、この港からは小豆島行きの船が出航する。大きな建物は病院だ。


春の海ひねもすのたりのたりかな
 港の南西の方向は瀬戸内海に開けている。正面に霞む大きな山は小豆島である。24の瞳が光っている。


この丘の上は暖かい陽射しがある。すでにコバノミツバツツジが満開である。

挿絵杉本健吉

2007-03-24 | 話題
 先日、当blogにアップした水車のモニュメントから約200mほど西に行くと、香雪美術館がある。阪急御影駅から東へ約200mにある。
 ここで現在特別展が開かれている。吉川英治の新・平家物語が週刊朝日に連載された時、その挿絵を書いた杉本健吉の世界である。
 昭和25年(1950年)から昭和32年(1957年)まで連載は続いた。
 挿絵の原画120枚を中心に展示されている。


明治12年村山龍平(号は香雪)の手によって、初めて朝日新聞が創刊された。香雪は美術にも関心を持ち、美術品の蒐集に務め、香雪(こうせつ)美術館を建設した。
 蒐集品は重要文化財に指定されたものが多く含まれている。
 自分の広大な屋敷の中に大きな美術館を建設している。

 特別展として杉本健吉の挿絵による「新・平家物語」の世界が展開される。
 

平治の乱で平清盛に敗れた源義朝は、東国を目指して落ちていた。雪の深い関が原のあたりで、後方から付いていた少年頼朝は馬上で寝てしまった。
 馬はそのままはぐれ、家族とはなれて捕えられてしまう。


南都の僧兵による平家への狼藉は、古都へ平家の軍勢を呼び込むことになった。奈良の民家の焼打ちの火は大仏殿にも飛び火した。


平家の少年13歳の資盛(すけもり)の一行は、時の関白藤原基房(もとふさ)の宮中からの出仕の帰りの一行と、都大路で出くわす。
 新三位の中将であった資盛は礼を失して咎められる。後日、その腹いせに資盛は関白殿の牛車を襲う。


左:重盛は清盛の嫡男であった。しかし、父清盛の天下を恐れぬ行いを、辞めさせようと悩むが、遂に早世してしまう。
 礼に篤く、深く神仏に帰依をしていた。
右:右京大夫といえば、建礼門院を指すが、通い婚の風潮がある中で、男は女のもとへ忍んで通うのである。吉川英治の新・平家物語ではどんな扱いになっているのだったか、ちと失念している。

変な虹

2007-03-23 | 話題
夕方の事である。まだ太陽は西に沈むというほど低くない頃虹が出た。変な虹だった。


この写真の下方が太陽の位置である。太陽の周りに輪になって虹が出ることはよくある。ところがこの虹は、太陽にその孤を反対にして現れている。
 孤が延びて輪になるところまでは行かないが、輪になって円形になったとしたら、その異様さに気が狂いそうになったでしょう。
 この日のTVの天気予報の番組でも紹介していた。


虹を見るのは、太陽を背にした方向に出る。
 ところがこれは、太陽と同じ方向に出ている。この虹の孤の外側に太陽がある。
 時刻は3/16pm5:17である。


ジャングルのように上空を走る電線の網の中から、垣間見た虹だった。時間にして1-2分くらいだったか。もう消えかかってきた。こんな形の虹は初見であった。


数年前の夏に撮った虹である。こんなであると安心するのである。夕方、東の方向に出ていた。

白鳥を追って

2007-03-22 | 自然界
 3月のはじめ、琵琶湖で北に帰るコハクチョウが毎日のように飛び立つと新聞に出ていた。さっそく出かけてみた。これまでに琵琶湖での白鳥は見た事がない。


草津の湖岸というので行ったが、白い姿は見えない。カモが飛ぶばかりである。西風の寒い日であった。


対岸には比叡山の険峻な山が見える。山頂付近は雪である。正面が東坂本付近である。


湖面に浮かぶ鳥たちも、仲間で集まる傾向があるらしい。この黒い鳥は唯一つ覚えたキンクロハジロである。


水鳥が短い脚で陸に上がってくる。水掻きでぺたぺた歩くという印象である。


突然空中に舞い上がる。羽根は開いていると模様が綺麗に出てくる。


近所にある昆陽(こや)池のコブハクチョウを紹介します。

悠然と恰好をつけて泳ぐコブハクチョウ、これは雄だろうなあ。優雅なものだ。


ほんとに雛を育てる気があるのだろうか。茅の茂みの中で営巣している。
 時々、ここの池で育ったハクチョウの雛が見られて新聞を賑わすが、最近あまり聞かない。雛が烏などに狙われるのだろうか。


手から直接餌を貰っている。よく馴れたものだ。もしかして昆陽池生まれなのかも知れない。