昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

平家の里へ

2008-05-30 | 歴史・文化遺産
やはり、プロはいい角度で撮りますね。ポスターからです。


現在はこの角度でカメラを置いていた場所は立ち入り禁止になっています。



 鉄橋からすぐ西に、県道から御崎方面への分岐点があります。

 「漁火(いさりび)林道」とはいい名前ですね。より高いところから、夜の海を見れば、海の向こうに街があるように、多数の明かりが見えるといいます。

 路は崖の上にある町道を登ります。あっという間に海が眼下に広がります。








海上方面からの展望です。左には線路を覆う防護トンネルが続いています。






急峻な崖に張り出す桐の木は、現在満開です。






路沿いで咲く桐の花。今年は、やたらに桐の花が目に付きます。




道路が岬の先端近くになったとき、突如として17軒の集落が開けます。そこが平家の里になります。
 海にそそり立つ断崖の上にあって海からは来れません。原生林の陸地は道がなかった、まさに平家の隠れ家でしょうね。


平家そばと言う名のざるそばなどがいただけます。

「新山フキのつくだに(サンショの実入り)出来ました。お土産にいかがですか」

このフキは素朴な味で美味しかった。





ここの集落に伝わる伝統神事の行事に百手(ももて)の行事が、県で紹介された。矢101本を射る行事です。
右:その時に使われたしのべ竹製の矢がケースに入っていた。破魔矢でしょうか。



餘部(あまるべ)鉄橋

2008-05-30 | 歴史・文化遺産
 明治45年と言えば大正元年にできたという鉄橋である。細い鉄骨の上部に線路が乗っかっているとはね。JR山陰本線です。


折りしも、デイーゼルの客車が通過した。2時間に1-2本の各駅停車の列車が通ります。









スピードを落として、のろのろと、そのくせ、線路の音をがしゃんがしゃんと響かせて大きな音をたてながら、長閑な動きで走ります。
 この高さ40mから貨物列車が風に吹かれて転落して、下に居た住民が下敷きになった事もあります。






細い鉄骨の組み合わせだが、十分な強度があるという。しかし、更に頑強な橋に、まもなくリニューアルされる。目下工事中です。この姿も見られなくなります。






橋の仕様が出ている。建設の時、鉄骨は海から運ばれたという。陸路がなかった事によります。







この見事なラインは命を預かるだけに、完成度は芸術的でさえあります。







なくなる鉄橋を見るための観光客がやってきます。バスの駐車場までが村の中に出来ていました。
そして、上下線の列車を利用して鉄橋を上から見ましょうと、時刻表が作ってありました。








初めは餘部駅はなかったそうで、人々は線路まで登ってきて、橋を渡って、トンネルを2つ通って隣りの駅まで行ったそうです。
 村人や学校の生徒たちが石を下から運んで、駅を作ったといいます。

香住海岸

2008-05-29 | 旅の風物
但馬沿岸に広がる波蝕海岸は、こんな岩も作り上げます。

これはどう見ても蛙に違いない。そのまま、人呼んで「かえる島」。

地元の香住町の標識には、「かえる」についての説明がある。







隣りにある香住港から出ている海岸線巡りの遊覧船がやってきました。

海岸線の奇岩・奇勝を巡る船は、娘三人姉妹の女船頭というキャッチフレーズで売り出している。





カエルが3匹空を飛びそうな風景。丘の上にあるかえる島展望台から。



香住(かすみ)漁港では魚が買える。生簀に魚が泳いでいる。



この鯛は店の水槽に泳ぎ、人なつっこく、傍近くに寄ってくる。その姿を見ると、食べるのを躊躇しますね。




麦畑

2008-05-28 | 国内旅行
福井県の北部で高速道路を降りると、田植えが終わった水田の横で金色に染まった麦畑が続きます。
今や裏作などと言ったものじゃない。麦の栽培が復活している。
米食の需要が減って粉食が増えていると聞く昨今、麦の需要が国産でまかなわれる事は喜ばしい。
幼い頃、若芽を踏みつけて元気になるのが不思議だった思いと共に、麦踏みへの郷愁すら沸いて来ます。
画面では現しにくいほどの輝きでした。

しだれ桜

2008-05-27 | 国内旅行
福井県坂井市丸岡町に全国でも珍しい竹人形の里と名の付く工房と展示館がある。
竹を素材にした人形たちが並んでいた。竹が姿を変えて、芸術作品になっている。
この人形は「しだれ桜」を表現したと言う。着物の袖の柄には桜が浮き彫りになっている。毛髪は太さ0.2mmの竹ひごで出来ている。

淀の洞門など

2008-05-26 | 自然界
兵庫県の日本海に面した海岸線は、断崖絶壁が続く。
 その隙間を狙って、それぞれの入り江には、天然の漁港が生まれ、漁業が盛んです。イカ漁と、特に松葉ガニ(越前ガニ・ズワイガニ)は名物ですね。



この切浜漁港もその一つです。向こうの丘に大きな洞窟が見えます。


この丘の裏側には竹野海岸の海水浴場とか、日本海航路の千石船の中継基地となった竹野港があります。


港の整備も進みました。








そして、ハサカリ岩の展望所があります。






但馬海岸の波蝕海岸が続きます。




ハサカリ岩を拡大してみます。断層による礫岩の集合体ですね。






翌朝、順光の下での海岸線。それにしても、この日本海には珍しい静かな海ですね。池のようです。




夜中に窓から見えた漁り火です。
 イカ釣り船だと思いますが、昼間だと水平線の向こうで見えない位置にいるといいます。光が水面を曲がって届きます。
カメラに写るだろうかとオートマのままで試してみました。




ハマヒルガオなど

2008-05-25 | 自然界

竹野町切浜漁港の砂浜に、ハマヒルガオが満開だった。案外大きな花が幅10m長さ100mくらいに咲き乱れていました。


朝顔のやや小型のヒルガオの花は一日の命、次から次へと新しく花開きます。







こんなに咲いたの見たことない。浜辺がピンクに染まって華やかでした。





海浜植物は夏の灼熱の砂浜でも適応して生きている強さがあります。茎は砂に埋まって葉が外に出ています。身体の中に流れる樹液?は粘性が強いですね。





葉も肉厚だし、砂浜の厳しい環境に耐えられるスタイルをしています。





 ハマダイコンンが咲いていました。勿論、花弁はこれで4枚ありますよ。
 食用にはならないと思いますが、大根が野生化したと言います。だから畠に植えて、肥料を十分にやると、普通の大根になるそうです。
右:種子だけは大きな鞘に入っていて、固いですね。











ハマボウフウも花が咲いていました。セリの仲間でウド・ニンジン・ミツバなどに似ています。若い葉は料理屋さんなどで、刺身のつまとして食用です。
右:この花の形は判りにくいですね。小さな花の集合体です。キノコのように出ているのが雄蕊です。









左方にハマボウフウ、ややピンボケの白い花がハマダイコン、丸い葉が這っているハマヒルガオです。

ハマナス赤と白

2008-05-24 | 自然界
山陰海岸がハマナスの南限と言われているが、ここ竹野海岸から南限までは西へ100kmくらいありそうです。


これからが最盛期だろうが、大きな華やかな花である。







県道沿いの、見晴台に、白いハマナスが咲いていました。あまり見かけませんが。






すでに果実が出来ています。もともとは浜梨が浜茄子になったといいますから、梨も、梅も、林檎もバラ科だから、浜梨と言う名は妥当な線です。







白いですね。この針のような棘はかなり痛いので、猪などもあまり食べないそうです。





かなり開ききった花ですね。花芯が見えますが、アオイかモクレンのように見えます。

はさかり岩

2008-05-23 | 旅の風物
兵庫県竹野海岸の岩礁地帯は、奇岩が織りなす風景が楽しい。
日本海の厳しい荒波が岩を削ったものですね。
物が何かに挟まる事を土地の方言で「はさかる」と言う。
これはまさに岩が「はさかって」いますね。どうすればこんなに出来るのでしょう。
海食洞が進んで、その天井部分が崩落した結果と聞きました。

霊山護国神社(竜馬・晋太郎)

2008-05-22 | 歴史・文化遺産
幕末の大政奉還に尽力した坂本竜馬・中岡慎太郎らが、京都東山霊山護国神社に祀ってある。

竜馬を偲んでお祭りがある。



幕末維新の頃に、命をかけて国づくりに命を懸けた数千人が葬られている。

中岡晋太郎と共に土佐藩郷士である。坂本竜馬は江戸に出て勝海舟に師事した後、海援隊を組織し、中岡慎太郎は土佐勤皇党に入り倒幕に奔走した。陸援隊を組織した。

二人とも、近江屋で幕府見回り組みに暗殺されている。



左:両者の墓石が並び、手向ける花も絶える事がない。
右:天下国家を論じ、大政奉還に尽力し、その志の大きさにあやかって、今、若者であろうか自分の生き方の決意を誓う札が多く残されている。