どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

瞳の奥に。

2011-02-21 | Sandstorm



どれだけの人がいるのだろう。
何十億とは聞くが、自分で確かめたことはない。
どれだけの常識があるのだろう。
教えられたことはあるが、他人のことは誰もわからない。
正しいこととは何だろう。
もしかしたらそれは、皆んな揃って幻想を見ているだけなのかも知れない。
人間なんて、誰もがそんな素晴らしく大したものであるはずもない。




歳を取ると、だんだん頭が堅くなる。
それは人として成るならば、ごく自然なことだろう。
何か強く信じられるものから、誰もが生きる自信と主体性を持つ。
それがなければ、いつまで経っても幼い子供のままだ。
柔軟な考えを失うことが、精一杯生きることを実感するための秘訣だ。
しっかりと掴めるものがなければ、いつまでも人は迷い、悩み、不安になる。
だからこそ、柔軟なアタマは子供の特権なのだ。




だから、無くしてしまうことを悲しむことはない。
生きろ。
強く信じろ。
充実して生きる実感を味わいたいのなら。
間違っているかどうかなんて、本当は誰もわかりやしないのだから。
もしかしたら、すぐ隣の住人たちの常識は、似ているようで似ても似つかない恐ろしい思考回路を持っているのかも知れない。
自分とあまりにも掛け離れた意思を感じるとき、誰もがそれに嫌悪を感じるものだ。
だとしても、どちらが正しいかなんて誰もそれを決められやしないだろう。




さて、己のアイデンティティはどこにある。
生きろ。
強く信じろ。
理論で成り立った常識は、もしかしたら誰かの幻想だ。
人間は、そんな風にできてはいない。
それに気付かなければ、ずっと幻想の中で一生悶え苦しむだけだ。
人としてまだ未成熟な頃に見たもの、聞いたもの。
それに、皆、いつか回帰する。
たとえそれが、いくらインモラルなものであったとしても。
それが自然な道。
ただ、言葉は嘘つきだ。
いま目の前にいる人が、その瞳の奥に、これまで一体何を映してきたのか。
それは、知る由もない。




どれだけの人がいるのだろう。
何十億とは聞くが、自分で確かめたことはない。
どれだけの常識があるのだろう。
教えられたことはあるが、他人のことは誰もわからない。
すぐ隣にいる奴は、一体どんな思考でその馬券を買っているのか。
それすらわからない。
理論か、運か。
馬券で御殿が建つとしたら、一発太郎の大穴馬券。
知れば知るほど、たぶんそこから遠くなる。
強く信じろ。
楽しみたいなら、きっとそういうことなのだろう。










フェブラリーステークス。
フリオーソ、怒涛の追い込み。。。
・・・なんてか?











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