どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

KING’S ZONE。

2013-06-11 | 名古屋競馬の話
   季刊 Furlong 191号 (2007年 Autumn)より




















名古屋競馬所属のキングスゾーン号が、2013年6月5日の引退式をもって競走馬生活を引退しました。




















キングスゾーン(2002年生 父・キングヘイロー 母・マチスマリン)

        生涯獲得賞金 166,629,000
        生涯成績 121戦(34勝‐24 - 12 - 8 - 7)




















121戦もの競走を走ったキングスゾーンではあるが、その一走一走に無駄な走りなど一つもなかった。
時に魅せられ、また溜息をつかされた。
自分が見たのはその7割にも満たない数なのだろうが、それでもその中に数々の自らの思い出とともに輝いている。
この馬のおかげで、何度、地方や都市に遠征しただろう。
その旅打ちの思い出とともに、静かに心のうちに仕舞っておこう。
そう思う。
自分が仰々しく語ることなど、何もないことに気付いたから。
ただのひとりよがりだった。
ただ、そんな約7年も、決して無駄ではなかったと胸を張れる。
色々あってヤサグレかけていた自らの、いつも心のそばに居てくれた馬。
自分の長い長い寄り道回り道に、長い間寄り添ってくれてありがとうと言いたい。
それだけで十分だ。




















振り返ってみると、このブログの一番初めの記事にもキングスゾーンの名前は登場している。
よく覚えてはいないが、山本茜騎手とキングスゾーンのコンビに心躍ったのが、この拙いブログを書くきっかけだったのかも知れない。
パソコンのブログ画面で、「キングスゾーン」を”このブログ内で”検索したら、なんと149ものタイトルが出てきた。
これが記念すべき?150回目のキングスゾーンが出てくる記事、ということになる。
(ただ、携帯からでは過去3ヶ月分しか出てこないが。)
と、いうことは少なくとも、過去7年間のうち、約150日の夜はキングスゾーンのことをアタマの中で考えていたということだ。
茜ちゃんのこと、ライバルのムーンバレイ号やレイナワルツ号のこと、レースのことやデータ分析、地方競馬全般に及ぶことにまで、キングスゾーン号とともに綴られている。
自分でも忘れてしまっていた記事もある。
恥ずかしいくらいの思い入れの込もった記事もある。
はなむけにもならないだろうが、最後に、少し触れておきたい。
自分が忘れないためにも、だが。






<キングスゾーン 回顧録>



「キングスゾーンと山本茜~1分42秒2のランデヴー。」(2006年)

キングスゾーンが、山本茜騎手を鞍上にJBCマイル(交流GⅠ)に出走した時の記事。
今読んでも、こりゃちょっと恥ずかしい。(笑)





「十字架。」(2006年)

こちらは浦和記念(交流GⅡ)で2着になった時の記事。
キングスゾーンのことよりも、茜ちゃんのことが主題になった内容。





「クイーン賞(GⅢ)より、総の国オープン特別です!!」(2006年)

この記事はキングスゾーンではなく、盟友ウイニングウインド号についての記事。
キングスゾーン&山本茜、といえば、続いて出るのはこの馬しかいない。
その後世間を騒がせた師弟関係解消への布石をも含んだ内容になっていて興味深い。





「名古屋ドリームゲッターズ登場。」(2007年)

名古屋競馬のキャラクター「名古屋ドリームゲッターズ」の3頭になぞらえて、キングスゾーンが登場している。
この頃名古屋競馬には、交流重賞でも戦えるようなキャラ立ちした3頭の強い馬がいたのだ。





「さんきゅっ、キングスゾ~ン。」(2007年)

佐賀記念(交流GⅢ)に出走した時の記事。
「ポケットに競馬」を実践し、会社の休憩時間にケータイから馬券購入。
いまでは、当たり前になったケータイ購入も、その頃は新鮮だった。





第52回ダイオライト記念とキングスゾーン。」(2007年)

船橋のダイオライト記念(交流GⅡ)に出走した時の記事。
このときはキングスゾーンを追いかけて、はるばる千葉まで遠征した。
内容はクドいので読み飛ばしてしまいたいが、珍しく岡部誠騎手が鞍上で、なおかつ写真付きなので紹介。





「祭りのあと。」(2007年)

引退式で原口調教師も語っていたキングスゾーンのライバル、ムーンバレイ号が名古屋大賞典(交流GⅢ)を2着した時の記事。
キングスゾーンを語るとき、この馬ナシでは語れない。





「06年8月11日の亡霊。」(2007年)

ムーンバレイとキングスゾーンが、地元名古屋競馬で下級条件を走っていた頃のレースについて触れている。
キングスゾーンの引退式で、原口先生が語っていたのは、このレースではないかと思う。





「M&K対決。」(2009年)

地元名古屋で行われた重賞「マイル争覇」。
福山競馬場に移ってからも含め、キングスゾーンが4連覇を果たしたレースだ。
これは2008年、ライバル馬ムーンバレイとの対決ムードが一層盛り上ったレースで、この2頭にマサアンビション号を含めた3頭の対戦成績などが興味深く書かれている。





「尻尾フリフリ、大激走!」(2007年)
キングスゾーンにムーンバレイを紹介したら、やはりレイナワルツ号も紹介せねば。(笑)
ちなみに記事の中で、キングスゾーンがJRAの「プロキオンS(GⅢ)」に出走との記述も。





「光射す方へ向かって。」(2007年)

中央挑戦へのキングスゾーンへの期待、またそれまでの彼の歯がゆい面に単刀直入に?(笑)触れている。





「惜し~~~~~~~~~~~ぃっ!」(2007年)

さきたま杯(交流GⅢ)の時の記事。
2着に敗れたが、この時期のキングスゾーンの充実ぶりがわかる内容となっている。





「2007年の夏。」(2007年)
キングスゾーンが初めて交流重賞を勝った「サマーチャンピオン(交流GⅢ)」のレースに期待する記事。
なぜか心のあるがままにスラスラと出てきた文章で、自分でもけっこう気に入っている記事。





「スタア誕生。」(2007年)

名古屋競馬のキングスゾーン、ついに交流重賞制覇なる!!
でも、記事の内容は、笠松の雄マルヨフェニックス号と尾島徹騎手についてがメインの内容になっている。





「KING’S。」(2007年)

4着に頑張った南部杯(交流GⅠ)について触れている。
交流GⅠ!
GⅠレースの4着は、まだ先に夢を見ることができた時期。





「偉大なる善戦マン。」(2007年)

南部杯4着のあと、JBCを挟んで、2度目の挑戦となった浦和記念(交流GⅡ)の記事。
このときも、当日浦和まで足を運んで観戦している。
物凄く充実して交流重賞でも安定感抜群の頃であったが、そろそろGⅠでは力が足りないのを感じていた頃だったかも知れない。
それでも馬券圏内を外さない安定感は素晴らしいの一言。





「右利き?左利き?」(2008年)

キングスゾーンはサウスポーだったとのこと。
名古屋競馬場は、右回りなのだが。。。





「日本テレビ盃。」(2008年)

お決まりの逃避行。
マリンスタジアム→船橋競馬場→演劇観劇の旅打ちのレポート風になっている。
キングスゾーンというよりも「旅打ちのススメ」。(笑)





「南部杯。」(2008年)

とうとうここまで来てしまったか!
キングスゾーンを追いかけて。
やって来ました!東北盛岡。
キングスゾーンの応援では、今でも一番遠隔地への旅打ちであった。





「アブセンス・メランコリー。」(2008年)

記事よりも、自筆の「最強の領域」が見て欲しい!(笑)
嘘です。。。





「キングスゾーン馬券考。」(2008年)

どうしてもキングスゾーンの馬券が買いたい!
その一心で考え出したキングスゾーン馬券考。
応援馬券じゃ、つまらない。
せっかくならば儲けなければ!!
キングスゾーンは、十分にそれを叶えてくれる馬であった。





「春爛漫。」(2010年)

ちょっと、ひと息。
キングスゾーンが南関東で初勝利を挙げたレースと、盟友ウイニングウインド号の引退にも触れている。
キングスゾーンはあれだけ南関東のレースで大活躍を見せたものの、不思議と”勝ち”となると数は少ない。





「マッチアップ。」(2010年)

キングスゾーンにライバルと言われた馬は多い。
だが、キングスゾーンとの名勝負といえば、2010年5月9日に水沢競馬場で行われたマルヨフェニックスとのマッチレースになった「シアンモア記念」ではなかろうか。
4コーナーから2頭の鼻面を合わせた壮絶ともいえる叩き合いを制したのは、わずかにキングスゾーンであった。
その日の記事はないのだが、前日の予想で、すでにマッチレースの雰囲気はプンプンしていたのである。





「初競馬。」(2011年)

もう、この頃から予感はあったのかも知れない。
この日が来ることを。
引退の二文字。
結局、このあとも一年以上走り続けるのだが。
果敢に先行し戦う姿は、この日も、いつも通りに変わることはなかった。
「いつも何を怖がっているんだ。オマエは。」
彼がそう言っているように思えた。





「キングスゾーン100。」(2012年)

キングスゾーンの記念すべき100走目のレースの日の記事。
キングスゾーンといえば、安部幸夫騎手。
数多くの名古屋の一流ジョッキーがキングスゾーンの手綱を取ったが、この馬の良さを引き出し、弱点をカバーすべく一番乗れていたのは、間違いなく彼である。
主戦騎手として、数々のタイトルをキングスゾーンにもたらしたと言っても過言ではないだろう。
だが奇しくも、このレースが主戦騎手として騎乗した最後のレースとなった。
この記事の後のコメント欄で、セントレアさまからの返信に書いてある内容が、自分のこのコンビに対する想い、感情のすべて。
本当に、名古屋を代表する最高のコンビだった。
全国どこの競馬場へ行っても、3コーナーのキングスゾーンを見た地元ファンは「あ~あ、あの馬、もう終わったな。。。」と呟く。
「バ~カ!安部幸夫とキングスゾーンは、こ・こ・か・ら・なんだよ!」
そう心の中で、ほくそ笑むのが何よりも快感だった。



<コメント抜粋>
それにしても、キングスゾーンは今回で100走目。
ホント凄いですね。
でも、ああいったキャラだからこそ、タフに走れるのかも知れません。
今度こそ真面目に走れっ、て、いつも思います。(笑)
毎回、安部Jは向こう正面なかほどから、手綱をしごいてしごいて、押したり引いたり揺らしたり。肩ムチの連打から追って追って追いまくりで、毎度転げ落ちるのではないかと思うくらい。
そんなフィーバーしっぱなしの安部Jと、傍若無人なキングスゾーンとのギャップが、何となく微笑ましくも思えてしまいます。
ある意味、あのコンビでの名古屋3コーナーは、もうすでに名古屋名物と言えるのではないでしょうか。(笑)




名古屋名物が、またひとつ競馬場から消えていく。
寂しいが、どうにもならないこともある。









































キングスゾーン。
競走馬として、どの馬よりも速く駆け抜けることを求められ続けることが使命だった。
走らなければ生きている価値が無い競走馬。
子孫を残すことができない馬は、やがて淘汰されるのみか。
ただ、彼は道を与えられた。
これからは、人に従順であることを求められることになるのだろう。
人と馬の関係。
そして改めて、いま生きている価値を問う。
人として。
妙な感傷など無用である。
ただ道があれば、それを生きるのみ。
人も、馬も。
変わりなどない。
キングスゾーンは、小牧で乗用馬になるのだとか。
「元競走馬のおれっち」だな。
新しい出会いに幸あれ。





















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2 コメント

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有難うございました (グッチ)
2013-06-13 07:50:56
長い間キングスゾーンの応援有難うございました、貴殿のコメントには、たびたび関心させられました 観察洞察力にも
キングスゾーンは個性豊かの馬でした 一本調子で強くもあり 弱くもある4コーナー回るまで安心して勝利を確信できませんでした それが故にファンも多かったかもしれません。
現在去勢され新たなる道に励んでいくことになるでしょう。
愛される乗馬馬になる為に
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>グッチさま (tsu-bo)
2013-06-13 11:08:24
わざわざコメントを頂き、大変恐縮いたします。
素晴らしい馬と素晴らしい調教と素晴らしい演出と素晴らしい夢を有り難う御座いました。
ひとりよがりの私見から、時に御迷惑と思いながらも、思うがままに書き綴って参りました。
ただいつも心に変わらないのは、この馬が大好きだったということです。
ただ、それだけです。
僭越ではありますが、ひとまずは御苦労様でした。
今後もさらなる御活躍と厩舎の御発展をお祈り致しております。
是非とも、これからも名古屋から強い馬を出して下さい。
期待とともに、待っております。
本当に素晴らしい時間を有り難う御座いました。
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