どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

子供の頃の妄想。

2020-12-08 | Sandstorm
今回、はやぶさ2から撮られた地球画像とか。
地球はまさしく水の惑星。
ここに何十億という人間が張りついて生きている。
地球規模で考えたら、人間はまるで微生物レベルだ。



ふと、子供の頃に抱いた妄想を思い出した。
宇宙は途方に暮れるほど広くて未知の世界であることを学んだ頃である。
宇宙を考えれば、地球など微生物の数にも全然足らないほどの中のほんのひとつの惑星に過ぎない。
地球にこれだけ自分のような自意識を持った生物がいるのだから、この膨大に広い宇宙に自分のような生物がどこかに生きているのではないか、と考えるのは至極当然の宇宙人発想である。
ただ自分がさらに考えたのは、実際に見たり感じたりできないくらいのそんなケタ外れた大きさの想像話を現実として感じることができるならは、もしかしたらその宇宙も、さらにそのまた外側の微生物の中のひとつでしかないような世界が拡がっているのではないか?という妄想。
そしてそのまた外側には・・・とりとめもない無限地獄のように。
少し大人になって、物理の学問を学ぶようになりそれは非現実的と教えられても、その子供の頃の妄想は心のどこからかいつまでも消えないままだ。



逆の妄想もした。
これも子供の頃にどこかの学習本で生物について学んだ頃だったように思う。
人間は何十兆もの数の微生物を体内に宿しながら生きている。
ならば、その微生物の中にもさらにその微生物を作りあげている体内に同じくらいの超微生物がいて生活しているのではないか?という妄想。
そしてそのまた体内には・・・とりとめもない無限地獄のように。
少し大人になって生物の学問を学ぶようになりそれは非現実的だと教えられても、その子供の頃の妄想は心のどこからかいつまでも消えないままだ。



ここからは、今現在大人になった自分の思考。



人間は宇宙のようである・・・と何処かで誰かが言った。
いくら膨大といえども人間の脳細胞にも数えられる“数”というものがあるだろうが、その人間の想像力は無限であるように思える。
最近流行りのAIなど到底及ばない数の選択肢を選べる思考回路を持っているに違いない。
あまりにも複雑怪奇な人間は、社会を作り上げ生き残るためにとても粗悪なベクトルや単位である“言葉”や“数字”を使い、さらに大雑把なルールの中で便利に生活しているが、本質的なところそれはただ便利なだけで一人一人の人間という生物を言い表したりすることはまったく不可能であるように思う。



人間が死ねばその体内に生きているモノは全部死ぬ。
そう考えれば、地球が死ねばそこに生きている微生物のような人間も全て死ぬことになるだろう。
当然宇宙に何かが起これば、その微生物のような存在の地球も同じ運命を辿る。
まあ人間の力ごときでは宇宙の力をどうにかできるわけでもないが、ただその直接寄生している?地球のこととなるとそうでもない。
人間が細胞や微生物の異常によって病気やガンになるように、今地球は危険なレベルの末期ガンのように思える。
微生物がその思うがままに行動し変異したら、その宿主である人間も生きていく場を失う。
悪意も意思もなくただ自然の摂理のまま細胞が行動しているとしても、人間にとって死ぬことはたまったものではないだろう。
それならば、地球にとって今の状態はどうなのか?



あくまで子供の頃の妄想から少し脱線してしまった。
今現在大人になった自分にとって、とっくの昔に忘れてしまっていたこと。
今の生活にとってどうでもいいような話で、経済や社会のことの方がよほど気になる。
でもただ、このはやぶさ2からの画像を見て、地球を少し俯瞰的に考えることができたのはたぶん良かったのだと思う。
人間は宇宙だ。
人間は自然の摂理の中で生きているものの中のひとつに過ぎない。
映画や小説で人がバンバン死ぬのは、それが物語が俯瞰的視点で捉えなければ面白くないからである。
あ、最後にまた脱線した(笑)。





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