チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

アイスコーヒーは存在する

2005年03月11日 06時29分50秒 | Weblog
日本で飲めるようなアイスコーヒーはスイス(だけじゃなくてたぶん西欧諸国の多く)にはない、と旅行ガイドブックなどに記されていることがあります。これは半分正しくて、半分正しくない。

確かに、カフェなどに入って、Eiscafe などと書かれたものを注文すると、期待していたのとは大きく違う代物がウェイターによって運ばれてくることになります。ぬる~いコーヒーの上にたっぷりとアイスクリームが載ったやつ。そう、コーヒーフロートのお化け版とでも言うべきデザートです。

それを見てびっくりした後で、そういえばやけに値段が高かったな(ただのアイスコーヒーならそんなに高いはずない)、確かにドイツ語で Eis と言えばアイスクリームだわな(もちろん「氷」という意味もある)、などと自分を納得させつつ、こういうものを注文するのはたいてい夏だからいいようなものの、本当は冷たいコーヒーで渇いた喉を潤したかったはずが、なんでこんなものを食わにゃならんのかと、知らないこととはいえ注文してしまった自分を責めながら、さして美味いとも思えない Eiscafe をパクつくことになるわけです。

しかし、日本人の考えるアイスコーヒーにより近いものは存在します。それが上の写真。名前もちゃんと Ice Coffee。かのスーパーミグロで売られています。さすがミグロ、値段もお安く、250ml 入りパックがたった60ラッペン(55円弱)。ありがたいことに、ちゃんと冷蔵して陳列されています(チューリヒ中央駅地下のミグロ)。これに感動しているスイス人も多いようで、陳列棚の中でこのアイスコーヒーだけが少なくなっていました。人気商品なのか、それとも単なる仕入れの不備なのか?

僕も感動して早速購入したのですが……。期待は裏切られるためにある。アイスコーヒーというか、確かにアイスコーヒーには違いないが、妙に甘ったるく、飲んだ後に口の中がまったりねっちゃりという感じになる。どちらかというと、コーヒー牛乳。温泉などの待合室にある自動販売機で売られている(我が[一族の]故郷城崎温泉では、普通の牛乳、フルーツ牛乳と一緒に売られていた。tsujigaku少年はフルーツ牛乳のほうが好きだった)あの瓶入り、あるいはテトラパック入りの「コーヒー牛乳」に限りなく近い味なのです。コーヒー牛乳自体、すでに相当砂糖が入っているわけですが、砂糖入れすぎのコーヒー牛乳とでもいえば当たる感じです。さすが、牛乳が好きで、甘い飲み物も好きなスイス人だけのことはある! Ice Tea があるんだから、Ice Coffee も売ったらいいじゃないかという発想も正しい。しかし、やっぱりこれは甘すぎるでしょう、ミグロさん。

次にスイスに来る時までには Ice Coffee Light をお願いします。シュガーレスのやつ。

水教会

2005年03月10日 05時16分45秒 | キリスト教
ヴァッサーキルヒェ (Wasserkirche) という、変わった名前の教会堂があります。グロースミュンスターからリマト川の方へ降りたところ、川沿いです。訳せば「水教会」。以前から気になっていたこの小さな教会に、チューリヒ滞在の終わりも近いということで、出かけてみました。

名前の由来は、この教会堂が中世には実際に、リマト川の中の小島に立っていたことにあります。

こんな具合だったようです。
(教会地下に飾られていた絵)

教会の南側にはツヴィングリの像が立っています。


しかしながら、ヴァッサーキルヒェの歴史は、どちらかというと、ツヴィングリ(と彼の宗教改革)に脅かされたというほうが当たっています。

ヴァッサーキルヒェが元来あった場所は、町の守護聖人となっているフェリクスとレグラ (Felix und Regula) が、キリスト教信仰のゆえに拷問を受け、斬首された場所と言われています(紀元300年頃の話)。ちなみにこの二人は、切り離された首を自分で抱え、山側に40歩進んだとされており、その場所が現在のグロースミュンスターになっています。

最初に教会が建てられたのは紀元1000年。当初はロマン様式でしたが、その後、ゴチック様式(13世紀)、後期ゴチック様式(15世紀)のものに建替えられています。後期ゴチック様式のものを建てている最中には、教会のそばから泉が湧き出たそうで、この乳状で硫黄分を含んだ水に癒しの効果があるとされ、それはフェリクスとレグラの力によるものだということになり、多くの病人が癒しを求めて巡礼に訪れたという話です。

宗教改革者ツヴィングリはしかしこの教会を嫌っていたようで、教会内の聖画や祭壇、オルガンを取り除いてしまい、泉も埋めさせてしまいました。そこに置かれていたフェリクスとレグラの像だけは、カトリック信者の手によって、ウリ州アンデルマットに避難させられたそうです。

その後教会堂は倉庫として使われましたが、1634年からは教会の中に市立図書館が設けられました。1917年に市立図書館がツェーリンガー広場に移った後はしばらく空のままでしたが、1940年から42年にかけて大修理が行われ、それ以来ヴァッサーキルヒェでは再び礼拝が行われるようになりました。

これが教会堂の中です。


ヴァッサーキルヒェは、教会組織(Gemeinde)こそ持っていませんが、土曜と日曜の夕方6時からは礼拝が行われています。火曜・水曜の午後2時~5時にも教会の中に入れます。

(今日の話のネタ元はここです。歴史の話はほぼ受け売り。)

ドイツ人進撃中

2005年03月09日 06時00分06秒 | Weblog
スイスにおける外国人については何度か書いたことがありますが(最初はこれ)、よくお世話になっている「20Minuten」紙に外国人関係のネタが昨日、今日と続けて出ています。

3月8日付の記事(チューリヒ版)によると、スイスにおける定住外国人の数は2004年に非常に増えて、人口全体の 20.2% を占めるに至ったとのこと。スイスの人口は741万8000人(前年比+0.7%)で、そのうち149万5000人が外国人ということになります。住民の5人に1人が外国人ということです。

外国人のうちで最も増えたのがドイツ人。2004年だけで1万1228人増え、合計で14万4864人になったそうです。2000年の時点では10万8000人だったとのこと。こんなに急に増えたことは過去になかったという話です。定住数の多い順では、イタリア(20.1%)、セルビア・モンテネグロ(13.3%)、ポルトガル(10.7%)、そしてドイツ(9.7%)と続きます。

スイスに定住するということは、そこで働いて収入を得るということになるわけで、2004年にスイスで恒常的定職を得たドイツ人の数は1万1992人で、2003年に比べて 29% 増加しています(7日付の紙面による)。期限付きの雇用契約を得たドイツ人は3万1513人。

連邦政府によれば、ドイツ人がかくもたくさんスイスに流れ込んできた理由は、ドイツの失業率が高いことと、2004年から、スイス人を優先的に雇用する仕組み(?)が撤廃されたことにあるといいます。

この事実は当然ながら、スイス人労働者の不安をかきたてるわけで、労働組合は危機感を募らせているとのこと。スイス経済は成長していないのに、外国人労働者が増えているというのですから。

労働者といっても、いろいろな労働がもちろんあるわけで、たとえば大学教員などは、ドイツ人の割合がずっと多くなります。チューリヒ大学の場合、スイス人の教授が 56% なのに対してドイツ人の教授は 31%。同じドイツ語圏でも、オーストリア人教授だとわずか 4% に過ぎません(チューリヒ大学が公開している統計による)。神学部でも、ドイツ人の教授や助手を何人も見かけます。

大学も、一般社会も、ドイツ人の参与なしでは動いていないスイス。ヒットラーの進撃は何とか食い止めたスイスも(ナチス鉤十字を身につけることなどを禁ずる法律が目下審議中)、現代ドイツのそれを止めることはできないようです。大方のスイス人は、止めようとも思っていないでしょうけれど。7日の 20Minuten 紙の記事のタイトルは "Deutsche auf dem Vormarsch" (ドイツ人進撃中)でした。


(上の写真は、雪化粧したチューリヒの町。ここに住んでいる5人に1人は外国人なのです。)

チューリヒ中央駅

2005年03月08日 06時00分54秒 | Weblog
思えば今回のスイス滞在では、近くに遠くにとよく出かけました。そのたびに、スイス鉄道(SBB)に乗り、チューリヒ中央駅を利用したわけです(上の写真)。

中央駅の構内や周辺は治安があまりよくないと言われていますが、実際に利用した感じから言うと、周辺は確かに雰囲気があまりよくありません。しかし駅構内は、「スイス的」治安の悪さとでも言うか、本当に治安の良くない町から来た人なら「安全」と感じる程度じゃないでしょうか。自分の国がまぁまぁ安全なもんだから、よその国に観光に行って被害に遭ってしまう、という点では、スイス人と日本人は似ているような気がします。

チューリヒ中央駅は、引き込み式になっているので、地下のプラットホームを使っているS-Bahn(近郊電車)以外の列車は皆、ここで折り返して発車していきます。

プラットホームにはこんなものが。


もう少し拡大すると……


国際列車の行き先表示板です。上は、チェコのプラハまで行く直通の夜行列車 Euro Night。チューリヒを夜の10時40分に出発し、12時間40分でプラハに到着。Wiener Walzer なんて洒落た名前がついていますが、夜行列車で踊るわけでもないでしょうに (3拍子で揺れる列車なんだろうか?)。

プラハまでは、ドイツのフランクフルト (Frankfurt am Main) とドレスデン (Dresden) で乗り換える行き方もあり、これだと1時間少し早く着くことが出来ます。

下は、ウィーン (Wien Westbahnhof) 行きの特急 Euro City。所要時間8時間55分。バーゼルからチューリヒを経由してウィーンまで行くので、Transalpin ([ローマから見て] アルプスの向こう側)って名前なんでしょう。

この他にも国際列車はたくさん走っています。ローマまでの夜行列車 Euro Night はチューリヒ23時09分発で10時間41分後に Roma Termini 駅到着(でしょう、たぶん。ローマから帰ってくる場合は定かでないけど)。イタリアの新幹線 Cisalpino でミラノ (Milano) まで行き、そこで乗り換えれば8時間少しで着けるそうですが、イタリアでの乗換え時間は信用ならないので、ちょっと怖い。
(Cisalpino という名前は、先ほどの transalpin の反対概念で、アルプス山脈のこっち側=南側という意味。ドイツ語で書けば zisalpin です。)

ヴェネツィア (Venezia) までの Euro Night は所要時間8時間14分。同じく Cisalpino でミラノ乗換えなら6時間47分。

パリ (Paris Gare de Lyon) まではご存知 TGV が走っており、6時間3分で行けます。昔、ベルンから TGV でパリまで行ったときは、2等車の座席が窮屈で閉口したのですが、どうやら座り心地は改善されたようです。

ドイツの首都ベルリンへの夜行列車もあります。 City Night Line (CNL) で Berlin Zoo 駅まで12時間7分。Inter City Express を使ってハノーファー (Hannover) 乗換えで行けば8時間強です。

飛行機を使えばもっと速く行けるわけですが、列車の旅もなかなか味わいがあるもの。陸続きで「外国」に出るという体験は、国境というものについて考えさせてくれる機会でもあります(これが飛行機だとわからない)。

ただし、汽車賃がかかることは覚悟せねば。日本からの旅行者であれば、ユーレールパスなどを使う場合が多いでしょうから、実感は湧かないものの、たとえばスイスの鉄道で、普通にチューリヒ―ジュネーヴの往復切符(2等)を買えばおよそ154フラン(1万3800円くらい)。車内で飲み食いするお金もかかるしね。

チューリヒの聖母教会

2005年03月07日 06時15分08秒 | キリスト教
チューリヒが宗教改革の拠点となった町だということは、世界史を勉強した人なら誰でも知っているわけで、チューリヒといえばプロテスタントの改革派ってことになるわけですが、どっこいちゃんとチューリヒにもカトリックの教会はあるのです。

チューリヒの聖母教会 (Liebfrauenkirche) は、中央駅からトラム10番で2つ目、ハルデンエッグ (Haldenegg) という坂の途中の停留所で下車したその横の高台にそびえ立っています。

 こんな感じ。

ツヴィングリによる宗教改革が行われたチューリヒでは、長らくカトリックの祭儀は禁止されていました。チューリヒがカトリックに門戸を開いたのは実に19世紀、1807年のことだったのです。チューリヒに正式に小教区が置かれたのが1844年。

この聖母教会は1894年の建築だそうで、ヨーロッパの教会としては新しい部類に入るわけですが、1000人収容という礼拝堂の中は、彩色豊かな壁画に囲まれており、それは見事なものでした。改革派好みの(よく言えば)質素な、(正直に言えば)あまりに愛想のない礼拝堂とは違い、雰囲気に飲み込まれるという感じです。

内部の写真を撮って回ろうと思ったのですが、訪れた日が世界祈祷日(3月4日)だったせいなのか、内部では祈りの集いが開かれており、最後部からこっそり撮影するのが精一杯でした。仕方ないので、5フランで売られていた(!)教会の美術ガイドブックを購入して鑑賞。日を改めて見学に行きたいと思っています。

チューリヒといえば、シャガールのステンドグラスで有名なフラウミュンスターだとか、ツヴィングリゆかりのグロースミュンスターにやはり足が向くわけですが、時間があればこの聖母教会もお勧めです。中央駅から歩いたって10分くらいのものです。

ドルダー最後の日(の前日)

2005年03月06日 06時45分10秒 | Weblog
中央駅からならトラム3番で Roemerhof 下車。そこから「ドルダーバーン」(Dolderbahn) というケーブルカーで終点まで行き、5分ほど歩いたところに、Dolder Eisbahn という屋外アイススケートリンクがあります。ここが明日3月6日(日)でシーズンを終えるというので、娘の友だちと一緒に出かけました。

娘の学校にはスケート教室の日があり、そこでスケートを覚えた娘はすっかりスケート好きになりました。それに引きずられて息子も、「スキーのほうがずっと楽しい」とか何とか文句言いながらも、一緒にスケートを楽しむようになりました。

ドルダーのスケートリンクは、朝9時から夜10時20分まで開いています(日曜日だけは5時40分まで)。セルフサービスのレストランが併設されているので、そこで腹ごしらえをしたり、お茶を飲んだりしながら楽しむことが出来ます。

この「ドルダースケート場」は、一般向けのリンクのほかに、アイスホッケーおよびフィギュアスケートのできるも備えています。この日は夕方5時過ぎに行ったのですが、そのフィギュアリンクで、「チューリヒスケートクラブ」のフィギュアの人たちの競技会が行なわれており、しばしその演技に見入りました。雪の降る中、屋外のリンクでフィギュアの演技はかわいそうな感じでもありましたが、小さな子どものスケーターから大きなお姉さんやお兄さんまで、それぞれに一生懸命の演技でした。

スケートリンクは明日3月6日で終り、10月まで閉まるというのですが、この日も朝から雪が降り続き、なんで明日でやめちゃうの?というくらいの天気です。リンクの氷には雪が降り積もり、フィギュアの演技をしている人たちには気の毒なくらいでした。数日前の「20 Minuten」紙には、寒さが続き、需要が十分にあれば延長も検討するという関係者の話が載っていましたが、どうやら実現には至らなかったようです。

慣れないスケートに一生懸命だった(でも2回目なんだけど)息子は汗びっしょり。今回は見学者を決め込んだ我々夫婦は逆に寒い思いをしました。レストランに入って、僕はコーヒー、妻はグリューヴァイン(ホットワイン)で身体を温めました。

スイスビール

2005年03月05日 06時56分09秒 | Weblog
日本で飲むのが難しいという点では、スイスビールもスイスワインに負けていません。外国でも飲みたくなるほど美味いかどうかは別にして。

スイスでもビールにはそれぞれの本拠地があります。ベルンにはグルテン(Gurten)、フリブールならカルディナル(Cardinal)、そしてチューリヒには、写真の左側、ヒューリマン(Huerlimann)があります。右側のフェルトシュレスヒェン(Feldschloesschen) は、スイスのあちこちで売られていますが、本拠地はバーゼル近くのラインフェルデンというところです。ヒューリマンとフェルトシュレスヒェンは1996年に合併しており、ヒューリマンのビールも今ではラインフェルデンで作られているようですが(フェルトシュレスヒェンはこれまでに36のビール製造業者を吸収してきているそうです)。

思い出深いビールの一つが、フリブールのカーディナル。フリブール大学のドイツ語講座に通っていた14年前、カーディナルの工場見学というプログラムがありました。ビール工場見学といえば飲むのを楽しみに行くわけで、それは何とも楽しいひとときでした。一緒に行ったヨーロッパ人の連中、飲むこと飲むこと。挙句の果てに、見学が終ってからプールに泳ぎに行こうと言い出した奴がおり、僕も無理矢理連れて行かれました。泥酔している人間が泳いではいけない、などという日本の常識は、ヨーロッパ(そのときは主として旧東欧からの留学生だった)の酔っ払いにはまるで通用しないということがよくわかりました。

写真中央のビールは、コープの Bio Bier。ラベルが見えにくい?

 ほら。Bio マークがちゃんと。

有機農法のビールということで、ここまで健康にこだわる人もいるわけです。しかし、だったらそもそもビールを飲まないほうがいいのではないかという気もしますが。

今日は、この Bio Bier と左のヒューリマンを飲んでみました(どちらも初めて買った)。味は……確かに違うけど、こだわるほどのものではないようにも思えます。ワインと違って、それほど大きな相違はないように感じると言ったら、ビール好きのスイス人に怒られるかもしれませんが。

こういう「有名」ブランドものも、日本に比べれば安いわけですが(500ml の瓶で1本100円前後)、コープやデンナーのスーパーブランドものならその半額です。とにかくたくさん飲みたい方にはそちらがお勧めです。貧乏留学生出身の我が家も普段はスーパーブランドを選んでおります。

なおこれらの瓶にはすべて保証金(スイスでは Depot と言います)がついています。1本30ラッペンだから、27円くらい。

蜜酒の味

2005年03月04日 05時17分17秒 | Weblog
ドイツはコンスタンツに出かけたついでに買ってきたもの。蜂蜜ワイン (Honigwein)。デパートの地下食料品売り場で偶然見かけたので、食前酒になるかなと思って購入。

MET という名前を辞書で引くと、(特に古代ゲルマン人の)蜜酒とあります。宣伝文句にも、古代のバイキングが飲んでいたとあり、通(つう)は、バイキングがやっていたのと同じように、牛の角を杯にして飲むのだとか。ドイツ人ならやりそうな気はしますが。

味は、蜂蜜にアルコールを混ぜたような感じで、食前酒にしてはクセがありすぎる。妻はひと口飲んだだけでリタイア。普通のワインに切り替えました。僕は、面白いのでもう少し飲みましたが、やっぱり食事の前よりも、食後に飲んだほうがいい味です(今この文章を書きながら飲んでいます)。アルコール分は11%なので、まぁワインに近いけれど、何かを食べながら飲むって感じじゃないです。甘いからって、あまり飲みすぎると後が怖いかも。

味に多少クセがあるので、好き嫌いが分かれそうです。この蜜酒。

記録的寒さで始まった春

2005年03月03日 05時13分56秒 | Weblog
ヨーロッパ在住者によるブログにこのところ頻出している話題なので、新鮮味はないのですが、やっぱり寒さのことを書かないわけにはいきません。

春は3月から始まるということに一応なっているようですが、その始まりはとても「春」など感じようもないものでした。

2月28日から3月1日にかけての夜、スイスは気温がぐんぐん下がり、記録的寒さに。グラウビュンデン州のオーフェンパスというところではマイナス32.4度まで下がったそうです。こんなに寒い「春の始まり」は34年ぶりだとか。

それどころか、ベルン(マイナス15.6度)とルツェルン(マイナス14.6度)では、3月1日の気温としては1829年以来の観測史上最低を記録したそうです。(ちなみに、観測史上の最低気温は、1971年にラ・ブルヴィンという場所で記録したマイナス41.8度とのこと。)

チューリヒでもマイナス14.1度まで下がりました(1971年以来の寒さだったそうです)。朝、家の窓を開けると、空気が冷たいというよりも痛いという感じでした。雪は2月からすでに積もっていたのですが、その雪が凍ってしまっており、うかつにその上を歩くと滑りそうでした。

この異常な寒さは当然交通に影響を与え、スイス鉄道(SBB)では、約1万4000箇所の転轍機が凍り付いてしまい、列車に遅れや運休が生じたそうです。58分で行けるようになったのが自慢のベルン-チューリヒ間も、列車が迂回を余儀なくされたため、大幅に時間がかかったとのこと。

これほどひどくはないにせよ、ここしばらくは似たような寒さが続くと天気予報は言っています。暦の上では春、しかし本当の春に到達するにはまだまだ時間がかかりそうな気配です。

冒頭の写真は、3月1日に撮ったものではありませんが、このところいかにチューリヒが寒いかわかってもらえると思います。近くのパン屋さんの入口に飾られている「ツォプフ」というパンの模型です(女の子のお下げ髪=Zopf に似ていることからついた名称)。上に雪が積もっています。

Alptea で思い出したこと

2005年03月02日 06時23分19秒 | Weblog
なぜそう呼ぶのか定かではありませんが、Alptea (ドイツ語だから -tee と綴るのが正しいのでしょうが、商品にこう書いてあるので)という飲み物があります。

要するに、ハーブティーにレモン風味と砂糖を加えたようなもので、写真の Alptea (ミグロの商品。コープでも売っています)のパッケージを見ると、Melisse (メリッサ=西洋山薄荷)、Frauensmantel (羽衣草)、Spitzwegerich (ヘラオオバコ)、Eisenkraut (クマツヅラ)、Ysop (ヒソプス、ヤナギハッカ) といった薬草を使ったお茶に、レモン汁と砂糖を加えてあると書かれています。妻が言うには、これらの草がアルプスを思わせるから Alptea というのではないかとのこと。

ミグロで買ってきて、夕食の際にウチのお子様たちに供したら大変不評でした。味にクセがあるからのようです。ところが、このクセある味が、僕にはある思い出を呼び起こしたのです。(味や匂いで記憶が刺激されるということがありますが、まさにそれです。)

このお茶、昔々に飲んだことが確かにある。おそらくその場所は、最初にスイスに来たときにドイツ語の研修を受けたフリブールでした。

ベルンから南西、インターシティで20分ほどのところに、フリブールという町があります。この町は、ドイツ語圏とフランス語圏の境界であることで知られており、フリブール大学では授業も、ドイツ語のものとフランス語のものが両方開講されています。

10月からベルン大学で学ぶことになっていた僕は、その前の3ヶ月間、このフリブール大学が開いている夏期ドイツ語講座に参加しました。フリブール大学の学生寮 Justinusheim に住んで、毎日3時間から4時間半ほどの授業を受けるのです。

ドイツ語の本を読むことはそれほど苦ではなかったものの、日本人のご多分に漏れず、聴いたり話したりが非常に苦手だった僕は、講座開始日に行なわれたクラス分けテストで一番上のクラスに入れられてしまいました(だってペーパーテストの配点が高かった)。クラスで一人だけ、会話がほとんど出来なかった自分がいかに辛い目を見たことか。言いたいことはほとんど満足に言えないし、何をいま話し合っているのかもよくわからない、なんてことも珍しくない。だんだんマシにはなっていったものの、お世辞にも楽しいとは言えない3ヶ月でした。いったいこんなことで、ベルンに行って学位論文なんぞ書けるのかと、正直不安になったものです。(その割には、ベルンに行ってからは楽しいことの連続だったのですが。)ラジオのニュースを聞かされて、その内容に関する質問に答えろ、なんていう授業には泣きそうになりました。(隣のハンガリー人の友人に答えを見せてもらってしのぎましたが。その代りに、文法のテストで答えを教えてやりました。)

で Alptea なのですが、記憶が間違っていなければ、その学生寮の食堂に置かれていたお茶がこれだったはず。記憶がいい加減なのかもしれませんが、この Alptea を飲むと、フリブールの学生寮の光景が目に浮かぶのです。安物のラジカセでニュースを録音しては部屋で何度も聴いたことや、なぜか毎日のようにカリフラワー料理ばかりが出た食堂の様子、そして、大変だった語学コースの授業風景も。

スイスに初めて出会った新鮮な印象や、フリブールでのしんどかった日々、先行きへの不安などが入り混じった気持ちを、この Alptea が思い出させてくれました。言ってみれば、初心に帰らせてくれた、というところです。ずいぶん久しく口にしておらず、こういう味の飲み物があるということすらも忘れていたのですが、先日偶然飲む機会があり、以上のようなことを思い出した、という話。