先ほどNHKスペシャルを見た。東日本大震災で壊滅した村の一年だったが非常に感銘を受けた。”逝きし世の面影”に纏められた見聞・感想記事を書いた諸外国の人々にもう一度今の日本人を見せたら”同じ事を言う”だろうと思った。同書の結論的な部分に諸外国の人々が感動した日本の姿は滅び行く時代の残照であった、西欧合理主義、工業化社会の到来と共に過ぎ去らざるを得ないものであった、との意味のことが述べられているようだが・・・・果たしてそうか?との疑問は抱いたが概ね同意した私も、”そうではない、それは時代とは関わりなく日本人のDNAに組み込まれた何かだ”としか今は言いようがない。
この報道に描き出された人々の姿は幕末から明治にかけて外国人が見た日本人と寸分違わない、私はそれが非常に嬉しい。もし違うところがあるとすれば”置かれた時代の違い”であって”人そのものは同じ”である。心の底に或いは絶望を或いは深い悲哀を抱いているであろうが一種の諦観、と言えば失礼かもしれない、ある種の悟りのような境地が期せずして垣間見られる。これは日本人には当事者でなくとも共感できる、が、おそらく外国人には理解不能かもしれない。
ここからは推測になるがこのことは”言語化できない”、”体系立った教義がない”、幼稚な宗教めいたものしかない日本、と見る人々の洞察の貧困を露呈している。長い年月、日本人は日々見えない存在とともに生きた。鎮守の森に行けばそこでその見えない存在に会うことが出来た、見えないけれども在るかのごとく祈り生きた。穢れや清潔に敏感であった、節目節目の行事や礼式を尊重して生きて来た、それを代々絶やさなかった、習い性となった・・・。
私はここに聖書レビ記の厳格の意義を知る。神は褒むべきかな。日本人とは古い昔、多くの人々を祝福するために選ばれた人の子孫である、これがまぎれも無い証拠だろう。
日本と言う国と日本人の真の姿が明らかになるのはこれからだろう。
この報道に描き出された人々の姿は幕末から明治にかけて外国人が見た日本人と寸分違わない、私はそれが非常に嬉しい。もし違うところがあるとすれば”置かれた時代の違い”であって”人そのものは同じ”である。心の底に或いは絶望を或いは深い悲哀を抱いているであろうが一種の諦観、と言えば失礼かもしれない、ある種の悟りのような境地が期せずして垣間見られる。これは日本人には当事者でなくとも共感できる、が、おそらく外国人には理解不能かもしれない。
ここからは推測になるがこのことは”言語化できない”、”体系立った教義がない”、幼稚な宗教めいたものしかない日本、と見る人々の洞察の貧困を露呈している。長い年月、日本人は日々見えない存在とともに生きた。鎮守の森に行けばそこでその見えない存在に会うことが出来た、見えないけれども在るかのごとく祈り生きた。穢れや清潔に敏感であった、節目節目の行事や礼式を尊重して生きて来た、それを代々絶やさなかった、習い性となった・・・。
私はここに聖書レビ記の厳格の意義を知る。神は褒むべきかな。日本人とは古い昔、多くの人々を祝福するために選ばれた人の子孫である、これがまぎれも無い証拠だろう。
日本と言う国と日本人の真の姿が明らかになるのはこれからだろう。