昭和20年代までは祭礼の出店に見世物小屋、覗き窓みたいなものがあった。着物を着た女の人が立っている絵があり、次に下着姿、裸、筋肉赤まだら、骸骨、なんて風に並んだ幻燈窓みたいのもあってワクワクしながらヘェーこんなになってるのか!なんて。パンタグラフのようなものでブロマイドの映画俳優の絵をなぞりながらハンカチを掛けて隠した右手で拡大して見せたり、あれが欲しくて見よう見まねで作ってみたが”比率”の概念がないからへんちくりんなものになった。
見世物と言えば小学校の頃読んだ話でこんなのがあった。結構真理をうがっている。”あるところに一つ目小僧の村がある、と聞いた者が捕まえて来て見世物にしようと出かけた。くだんの村に着いたところ、やあ珍しい二つ目小僧が来た、と捕獲されて見世物にされてしまった”よーく考えると世の中に絶対的なものは神以外存在しない。
江戸末期の人々にとってペリーもプチャーチンも要は”見世物の一部”だった。”これは珍しい!!”で日本国中沸き立った。同時にこの東の海から来る赤鬼、北の海から来る青鬼共に何をされるか判らないと言う不安が募った。東は太平洋だから怖くても上手に付き合うしかない。北のほうには幸い朝鮮王国がある。そこでここに頼み込んで”力を合わせて北からやって来る青鬼を何とか追っ払おうではないか”と持ちかけた・・・本音は一度は青鬼を撃退した朝鮮王国に頼ろうとした、だろう。ところが最近の韓国時代劇のように外のことはほったらかして権謀術策ばかりやっている。そこで西郷隆盛などはこれじゃ間尺に合わん、と征韓論など言い出した。いかに何でもそんな乱暴なことをされてはたまらんと言うわけで西郷さんは下野、西南戦争に雪崩れ込んでしまった。万事用意周到、緻密な頭の持ち主である大久保利通にしてやられたのだはなかろうか。あれっ、変な方に逸れちゃった、元に戻そう。
明治はつまり珍しさに沸き立った日本人が生来の新しがり屋、学びたがり、真似したがりの本領を遺憾なく発揮して最後に暴走して赤鬼青鬼と戦争、一網打尽にやられて無一文になった。考えて見れば滑稽でもあるな。
昭和20年はそうではなかった。”ある”と言う前提で生きていたものが実は”無い”と言う話になった。私の家族も”まさか戦争に負けるなどとは気が狂っても思わない、最悪、講和で停戦”と思うものだから内地の財産一切合財処分して台湾で新しい歴史を作ろうとしていたのが驚天動地の結末で昨日まで学校の先生であった父も今日からは台湾人経営の豆腐屋の丁稚、自転車に乗って豆腐を売り歩く、慣れないでひっくり返る、豆腐を道にばらまいてワヤにする、などと言う失態を演じた挙句に本国送還・・・一家族2千円と身に着け、両手に持てるものだけ持って帰ってよい、後は洗いざらい置いてゆけ、ということで白い目で見る親族の元に引き揚げた。
こうして”見世物小屋を興味津々で覗く”ではない、”茫然自失”から始まったのだ。何が言いたいかって?、前回は暴走の挙句の戦争と言う津波で洗いざらい流されてゼロになったが今回は、・・・・なんと時宜に適った流行、流行語だろう・・・断捨離・・・から始めなければならないのではなかろうか。日本人の密かなる自負”世界の優等生””表彰状受け取り登壇総代”なる”既得権”を諦める、捨てる、その勇気とそこからまた立ち上がるとの元々持っているDNA信頼が今必要ではないのか?
元禄武士が吉原で遊興三昧に明け暮れ”腰の刀が重くてたまらぬ”と嘯いていたのが幕末になって”赤鬼青鬼がやって来る、これは一大事”となった時に発揮した瞬発力はつまり”危機に際しては猛烈な強さを発揮する”DNAのせいでしょう。既得権にしがみついてあっちひねくりこっちパチ当てなど最早限界ではないでしょうか?一切合財坊さん払いして一からやり直し、”どうじゃ見て見ろ、日本人の底力、悔しかったら真似して見ろ、船も車も家電もいITもくれてやるよ”ってならないかな、そんな風に国民に”火を点ける”政治家が欲しい。
見世物と言えば小学校の頃読んだ話でこんなのがあった。結構真理をうがっている。”あるところに一つ目小僧の村がある、と聞いた者が捕まえて来て見世物にしようと出かけた。くだんの村に着いたところ、やあ珍しい二つ目小僧が来た、と捕獲されて見世物にされてしまった”よーく考えると世の中に絶対的なものは神以外存在しない。
江戸末期の人々にとってペリーもプチャーチンも要は”見世物の一部”だった。”これは珍しい!!”で日本国中沸き立った。同時にこの東の海から来る赤鬼、北の海から来る青鬼共に何をされるか判らないと言う不安が募った。東は太平洋だから怖くても上手に付き合うしかない。北のほうには幸い朝鮮王国がある。そこでここに頼み込んで”力を合わせて北からやって来る青鬼を何とか追っ払おうではないか”と持ちかけた・・・本音は一度は青鬼を撃退した朝鮮王国に頼ろうとした、だろう。ところが最近の韓国時代劇のように外のことはほったらかして権謀術策ばかりやっている。そこで西郷隆盛などはこれじゃ間尺に合わん、と征韓論など言い出した。いかに何でもそんな乱暴なことをされてはたまらんと言うわけで西郷さんは下野、西南戦争に雪崩れ込んでしまった。万事用意周到、緻密な頭の持ち主である大久保利通にしてやられたのだはなかろうか。あれっ、変な方に逸れちゃった、元に戻そう。
明治はつまり珍しさに沸き立った日本人が生来の新しがり屋、学びたがり、真似したがりの本領を遺憾なく発揮して最後に暴走して赤鬼青鬼と戦争、一網打尽にやられて無一文になった。考えて見れば滑稽でもあるな。
昭和20年はそうではなかった。”ある”と言う前提で生きていたものが実は”無い”と言う話になった。私の家族も”まさか戦争に負けるなどとは気が狂っても思わない、最悪、講和で停戦”と思うものだから内地の財産一切合財処分して台湾で新しい歴史を作ろうとしていたのが驚天動地の結末で昨日まで学校の先生であった父も今日からは台湾人経営の豆腐屋の丁稚、自転車に乗って豆腐を売り歩く、慣れないでひっくり返る、豆腐を道にばらまいてワヤにする、などと言う失態を演じた挙句に本国送還・・・一家族2千円と身に着け、両手に持てるものだけ持って帰ってよい、後は洗いざらい置いてゆけ、ということで白い目で見る親族の元に引き揚げた。
こうして”見世物小屋を興味津々で覗く”ではない、”茫然自失”から始まったのだ。何が言いたいかって?、前回は暴走の挙句の戦争と言う津波で洗いざらい流されてゼロになったが今回は、・・・・なんと時宜に適った流行、流行語だろう・・・断捨離・・・から始めなければならないのではなかろうか。日本人の密かなる自負”世界の優等生””表彰状受け取り登壇総代”なる”既得権”を諦める、捨てる、その勇気とそこからまた立ち上がるとの元々持っているDNA信頼が今必要ではないのか?
元禄武士が吉原で遊興三昧に明け暮れ”腰の刀が重くてたまらぬ”と嘯いていたのが幕末になって”赤鬼青鬼がやって来る、これは一大事”となった時に発揮した瞬発力はつまり”危機に際しては猛烈な強さを発揮する”DNAのせいでしょう。既得権にしがみついてあっちひねくりこっちパチ当てなど最早限界ではないでしょうか?一切合財坊さん払いして一からやり直し、”どうじゃ見て見ろ、日本人の底力、悔しかったら真似して見ろ、船も車も家電もいITもくれてやるよ”ってならないかな、そんな風に国民に”火を点ける”政治家が欲しい。