福音書の中でイエスさんが言う、・・『私の名によって集まる人々の中に私も居る』と。これは次のようなことを暗示している。無論イエスさんはその意味で言ったのではなかろうが・・・・。
ある考えや観念を持つ人々が集団を形成するとその構成員一人ひとりの最も内奥の動機を探った何者かがその集団に固有の風を吹かせる、つまり憑依する。かくして、表面善意、或いは真剣な人々が集団になる、或いは加入するとその集団に吹いている風に罹患して総体として不適切な行動、決定、暴走などに赴く。
オウムの闇、連合赤軍事件などと言う了解不能の事件についてはこういう観点から検討することが必要であろう。もしある種の試薬みたいなものがあるとして、それを天空から地球上に落とすとトンデモナイ生き物が姿を現すかもしれない、あらわすだろう。こういう点について人々は余りに無関心で無防備だ。
その無防備と言うよりかアホとしか言い様のないのが例の『友愛』である。それは個人的にはあるだろうが集団にあっては存在し得ない。個人的には紳士で高尚な芸術に造詣が深く良き友人。隣人になり得る人も一旦集団の一員になれば行動は異なってくる。そこを洞察できない愚かな人が政治家を自認している。幼稚な国日本、泣きたくなる。そういう政治家集団に一票を投じたバカも沢山居る。そして今、蒔いた種を刈り取らされている。うんざりだ。
ある考えや観念を持つ人々が集団を形成するとその構成員一人ひとりの最も内奥の動機を探った何者かがその集団に固有の風を吹かせる、つまり憑依する。かくして、表面善意、或いは真剣な人々が集団になる、或いは加入するとその集団に吹いている風に罹患して総体として不適切な行動、決定、暴走などに赴く。
オウムの闇、連合赤軍事件などと言う了解不能の事件についてはこういう観点から検討することが必要であろう。もしある種の試薬みたいなものがあるとして、それを天空から地球上に落とすとトンデモナイ生き物が姿を現すかもしれない、あらわすだろう。こういう点について人々は余りに無関心で無防備だ。
その無防備と言うよりかアホとしか言い様のないのが例の『友愛』である。それは個人的にはあるだろうが集団にあっては存在し得ない。個人的には紳士で高尚な芸術に造詣が深く良き友人。隣人になり得る人も一旦集団の一員になれば行動は異なってくる。そこを洞察できない愚かな人が政治家を自認している。幼稚な国日本、泣きたくなる。そういう政治家集団に一票を投じたバカも沢山居る。そして今、蒔いた種を刈り取らされている。うんざりだ。