頭が悪いのかな?・・・どっちに言う言葉かなと迷う。何の話だ?
神社に行って”家内安全・商売繁盛”と何万遍繰り返しても神さんは聞いていない。そういうのを聴く耳が神さんにはない。”景気対策”と言う言葉を聴くとこれを思い出す。増税論議の前に景気対策を、と仰る。”景気対策、景気対策”と、もう過去何度も聴いて”またそれか!”とウンザリしている。”そう言うならさっさとやればいいじゃないか、何故やらない、出来ないんだろう、本当は、どうしていいか解らないんだろう??”。
かつて在籍した会社の社長は売り込み相手の会社の経営トップのところに行って机上の空論を展開する。片足のほんの少しを現実に突っ込んでいるから相手はころりと騙される。こういうのを山師と言うのではなかろうか。我々実務家に言わせれば”出来ない”ことが空中では出来る話になるのだ。夜中の夢とうつつ合い半ばする魔の時のアイデアみたいなものだ。万里の長城も空中の論議でなら出来る。どこそこから石を切り出し、何処そこでレンガを焼いてどこそこに運搬して・・・と言う具合に。そうこうして仕事が実務レベルに降りて来るとポシャる。BASIC言語でC言語レベルのことが出来るはずがないのに空中論議では出来ることが前提になっている。
消費税増税論議に反対と言うなら、”それをやった場合のシミュレーションを示し、その結果首尾がよくないから対案としてこうすべきだ、その現実性は・・・”の論議をしてみせるべきだ。しかしそれは見たことも聴いたこともない。そういう愚劣なことは我々実務の技術者の間では通用しない。造船設計実務、まあ私の守備範囲は艤装、即ち車で言えば車体にくっつけるいろいろな装備に相当するが、そういったものの選定、発注、装備、設計だが・・・決められた工程内に決められた予算に沿ってともかく答えを出さなくてはならない。要点は昔の陸軍の兵站部訓練と同じ、少々の誤差はあるさ、匍匐前進、そりゃそうだが多少立って走ってでも早いほうが勝ち!、の要領、”当たらずとも遠からずさ”、であった。
陸軍幼年学校なんか入学するときはチビで制服などだぶだぶ、これぞダンブクロの姿だったが一年するころにはドンピシャの姿になったものだ。体を服に合わせろと言うのだ。今は、特に日本を引っ張る人々にはこの動物的勘裏付けによる大まかいい加減強引さがないように思う。
したり顔の論議など聞き飽きた。国民の生活が第一と言うならもっと具体的に”生活とは何のことか”、から始めてそれがどういう理由で第一でなければならないのか、何を以って第一に成し得るのか、その現実性は、その作業工程は、等々『具体的に、俺がやるならこうするんだ』と解説して見せなければ我々実務者は鼻もひっかけないぜ。会議でそんな馬鹿な発言をすれば来島どっくの坪内社長からたたき出されるよ。
私が尊敬する池田勇人総理はその経済政策について学生が騒いだ時に”私の政策に異論があるならデモをするのではなくノートと鉛筆を持って私のところに来なさい”と仰ったようだが今まさにこのように言える政治家は残念ながら居ない。”国民の生活が第一”、”景気対策”、”商売繁盛家内安全”何百回何千回何万回、手をすり合わせて唱えても日本神界の神さんは聞いていません。
今の日本は最早昭和の延長上には居ない、と言う苦い思いをホネの髄まで味わって捨てなければならないものが有りはしないか?ここに洞察力が要る、”暗い洞穴を覗いてそこに何が居るかを推量判断決断する力”が要る。世界全体をめがねに写しそのレンズの向うに焦点を結ぶ何かを見極める必要があろう。聖書を読んでいるのはそれを考えるからだ。
神社に行って”家内安全・商売繁盛”と何万遍繰り返しても神さんは聞いていない。そういうのを聴く耳が神さんにはない。”景気対策”と言う言葉を聴くとこれを思い出す。増税論議の前に景気対策を、と仰る。”景気対策、景気対策”と、もう過去何度も聴いて”またそれか!”とウンザリしている。”そう言うならさっさとやればいいじゃないか、何故やらない、出来ないんだろう、本当は、どうしていいか解らないんだろう??”。
かつて在籍した会社の社長は売り込み相手の会社の経営トップのところに行って机上の空論を展開する。片足のほんの少しを現実に突っ込んでいるから相手はころりと騙される。こういうのを山師と言うのではなかろうか。我々実務家に言わせれば”出来ない”ことが空中では出来る話になるのだ。夜中の夢とうつつ合い半ばする魔の時のアイデアみたいなものだ。万里の長城も空中の論議でなら出来る。どこそこから石を切り出し、何処そこでレンガを焼いてどこそこに運搬して・・・と言う具合に。そうこうして仕事が実務レベルに降りて来るとポシャる。BASIC言語でC言語レベルのことが出来るはずがないのに空中論議では出来ることが前提になっている。
消費税増税論議に反対と言うなら、”それをやった場合のシミュレーションを示し、その結果首尾がよくないから対案としてこうすべきだ、その現実性は・・・”の論議をしてみせるべきだ。しかしそれは見たことも聴いたこともない。そういう愚劣なことは我々実務の技術者の間では通用しない。造船設計実務、まあ私の守備範囲は艤装、即ち車で言えば車体にくっつけるいろいろな装備に相当するが、そういったものの選定、発注、装備、設計だが・・・決められた工程内に決められた予算に沿ってともかく答えを出さなくてはならない。要点は昔の陸軍の兵站部訓練と同じ、少々の誤差はあるさ、匍匐前進、そりゃそうだが多少立って走ってでも早いほうが勝ち!、の要領、”当たらずとも遠からずさ”、であった。
陸軍幼年学校なんか入学するときはチビで制服などだぶだぶ、これぞダンブクロの姿だったが一年するころにはドンピシャの姿になったものだ。体を服に合わせろと言うのだ。今は、特に日本を引っ張る人々にはこの動物的勘裏付けによる大まかいい加減強引さがないように思う。
したり顔の論議など聞き飽きた。国民の生活が第一と言うならもっと具体的に”生活とは何のことか”、から始めてそれがどういう理由で第一でなければならないのか、何を以って第一に成し得るのか、その現実性は、その作業工程は、等々『具体的に、俺がやるならこうするんだ』と解説して見せなければ我々実務者は鼻もひっかけないぜ。会議でそんな馬鹿な発言をすれば来島どっくの坪内社長からたたき出されるよ。
私が尊敬する池田勇人総理はその経済政策について学生が騒いだ時に”私の政策に異論があるならデモをするのではなくノートと鉛筆を持って私のところに来なさい”と仰ったようだが今まさにこのように言える政治家は残念ながら居ない。”国民の生活が第一”、”景気対策”、”商売繁盛家内安全”何百回何千回何万回、手をすり合わせて唱えても日本神界の神さんは聞いていません。
今の日本は最早昭和の延長上には居ない、と言う苦い思いをホネの髄まで味わって捨てなければならないものが有りはしないか?ここに洞察力が要る、”暗い洞穴を覗いてそこに何が居るかを推量判断決断する力”が要る。世界全体をめがねに写しそのレンズの向うに焦点を結ぶ何かを見極める必要があろう。聖書を読んでいるのはそれを考えるからだ。