夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

鬼の眼にも

2015年11月11日 11時47分51秒 | 日記
お元気ですか?今しがた貴殿のお心遣いを戴きました。深謝致します。『ひとこと』を拝読、感激しました。お礼に着物にまつわる私事を書かせて戴きます。

 私どもは父方も母方も台湾で役人をしておりました。終戦で35年以上も暮した美しい街台北から他国同然の内地に引き揚げました。余談にになりますが私はよく夢を見ます。その夢に出て来る見知らぬ街が多分あの当時の台北であろうと最近気が着きました。
 母は男二人、女二人の兄弟姉妹の次女でした。伯母が成人式の日に着た衣装を母も成人式で着て、そのまま母が持っていました。引き揚げても私ども家族の居場所が無くあちこち転々としましたが一時期対馬に居ました。母は その時、華やかだった娘時代の思い出が残る衣装を一つまた一つと村に持って行って私共子供に食べさせる裸麦に替えてもらって来ました。成人式の衣装が最後に残った時、このままでは冬を越せない、と川内の母の実家に戻り、やがて薩摩郡高城村と言う処に行きました。父はそこで教師になりました。

 昭和25年秋のある夜、母は漁師町から魚を売りに来ると言うので出かけたまま遅くなっても戻って来ませんでした。私はボンヤリと鴨井にかけてあったその母の成人式の衣装を見ていました。すると、その右の背中から薄赤い血がドクドクと流れ出る、幻影でしょうね、様を見ました。しばらくぼんやり見ていると、ただいま、と帰ってきました。ブリを抱えていました。そして、その包 みを開けて『肺が病気になっている、食べられないね』と言いました。

 母は昭和59年の秋に亡くなりました。肺がんで気が着いた時には手遅れでした。和裁も洋裁も出来たので自分で縫った大島の衣装と作りかけの洋服を棺に入れました。骨になった有様を見た時、まさに右の肺が病巣のありかを黒く示していました。葬儀の後、東京から来た伯母がその思い出の残る衣装を『これだけは私に頂戴』と持って帰りました。それからもう30年余り、伯母も亡くなったでしょう。あの衣装はどうなったことやら・・・。

 間もなく田舎にある墓を閉じます。遺骨を取り出して再火葬し、台北から引き揚げて来た祖父母や当地で赤子のまま死んだ弟、大陸で戦 死した叔父達、まとめてひとつにしてこちらに葬ります。人が生きるとはどういうことなのか?と最近よく考えます。親不孝の限りを尽くした外れ者、自分を振り返ってあれを言わなければよかった、これをしなければよかった、と後悔が多いです。たった一度、どこかに行った帰りに道端に咲いていたアカシヤの花を折って渡したら嬉しそうな顔をしたことを忘れません。

美学と台所

2015年11月11日 08時21分25秒 | 日記
料理して貰ってよそって貰って食べて、ハイさいなら、では自分の場合は沽券に関わる、美学に悖るというわけで片付けはするようになった。そこで感想がある。
母はアルミの両手鍋を使っていたが妻はステンレスの片手鍋に替えてしまった。洗ってみて、つまり料理の出来ではなく洗いやすいか否かで考えれば個人的にはアルミ両手鍋の方がいい。取り回しに『慣性力』が掛からない、取手が片手鍋はきたなくなって且つ洗いにくい、本腰を入れて時間を取って洗わなければならないが面倒くさい。しかし、それは言えない。母が亡くなって早30年になるがあっちが良かったと言うと『根』に持たれかねない。女とは面倒くさい生き物だね。

知人に料理人が居てスーパーのお惣菜をやっていた。そこにパートやって来る奥さんたちがシンクを洗わないと機嫌が悪かった。その気持ち、よく解る。私は少々キチガイだからいつぞやテレビの宣伝でやっていた・・・千秋ナオミだったかな?・・・『ウワッ、見なかったことにしよう!』の水封部分も引っ張り出して洗う。ユーキが要るよ!男性諸君。だがその底にあるフタが中々外しにくい。ヌルヌルして指先に引っかかりにくい。現在のシンクは改良されているのかな?

三角コーナーというのがある。大抵プラスチック製品だがこまめに洗っても汚れる。カンシャクが起ってステンレスの網カゴに替えたら今度はトップヘビーでひっくり返る、製造業者もっと工夫せよ。食器乾燥機は場所を取る、汚れる、ゴキブリのアパートになる、すぐダメになる、と言うわけで使わない。すぐダメになるのは人間にも責任はある。自動でジーッと回るノブをどういうわけか拙宅の奥様はさっさと手で戻してしまう。これでタイマーが先ずダメになる。後は推して知るべし。

この、女の工学的センスの無さには実にあきれる。蛍光灯に点灯ヒモが着いている。あれはメカニズムとしては小さな歯車がカチッと回って一旦止まり、それからまた、てな具合に少し『間』を置いて作動するようになっている、そうしか出来ない、スイッチの入り、切りだから。それを器械が追随できない速さで動かすものだから壊れる。修理せよ、と言う、困ったものだ。まだある、コンセントからコードを抜く時はコードそのものを引っ張ると根本が傷む、だからソケットの部分を持って引き抜かなければならない。『そんなことは解っている、細かい事を言うな』と言う顔をしてやっぱりコードを引っ張っている。困ったもんだ。

掃除キチガイに言わせれば電気掃除機と言うのはナマケモノの言い訳遊び道具である。アメリカ人の考えそうなことだ。ハタキとホーキでなければ本当の掃除は出来ない。生活を徹底的に簡素化することに情熱を燃やす拙者としては我が家はまだまだ不要物が多い。台所の什器備品も多すぎると思うが手を出せないところが苦しい。せめてキタナラシイ猫の始末が出来ないものか・・・。ネコだのイヌだのタンパク質で出来た機械を屋内で飼育する人の衛生観念、美意識を疑う。