お元気ですか?今しがた貴殿のお心遣いを戴きました。深謝致します。『ひとこと』を拝読、感激しました。お礼に着物にまつわる私事を書かせて戴きます。
私どもは父方も母方も台湾で役人をしておりました。終戦で35年以上も暮した美しい街台北から他国同然の内地に引き揚げました。余談にになりますが私はよく夢を見ます。その夢に出て来る見知らぬ街が多分あの当時の台北であろうと最近気が着きました。
母は男二人、女二人の兄弟姉妹の次女でした。伯母が成人式の日に着た衣装を母も成人式で着て、そのまま母が持っていました。引き揚げても私ども家族の居場所が無くあちこち転々としましたが一時期対馬に居ました。母は その時、華やかだった娘時代の思い出が残る衣装を一つまた一つと村に持って行って私共子供に食べさせる裸麦に替えてもらって来ました。成人式の衣装が最後に残った時、このままでは冬を越せない、と川内の母の実家に戻り、やがて薩摩郡高城村と言う処に行きました。父はそこで教師になりました。
昭和25年秋のある夜、母は漁師町から魚を売りに来ると言うので出かけたまま遅くなっても戻って来ませんでした。私はボンヤリと鴨井にかけてあったその母の成人式の衣装を見ていました。すると、その右の背中から薄赤い血がドクドクと流れ出る、幻影でしょうね、様を見ました。しばらくぼんやり見ていると、ただいま、と帰ってきました。ブリを抱えていました。そして、その包 みを開けて『肺が病気になっている、食べられないね』と言いました。
母は昭和59年の秋に亡くなりました。肺がんで気が着いた時には手遅れでした。和裁も洋裁も出来たので自分で縫った大島の衣装と作りかけの洋服を棺に入れました。骨になった有様を見た時、まさに右の肺が病巣のありかを黒く示していました。葬儀の後、東京から来た伯母がその思い出の残る衣装を『これだけは私に頂戴』と持って帰りました。それからもう30年余り、伯母も亡くなったでしょう。あの衣装はどうなったことやら・・・。
間もなく田舎にある墓を閉じます。遺骨を取り出して再火葬し、台北から引き揚げて来た祖父母や当地で赤子のまま死んだ弟、大陸で戦 死した叔父達、まとめてひとつにしてこちらに葬ります。人が生きるとはどういうことなのか?と最近よく考えます。親不孝の限りを尽くした外れ者、自分を振り返ってあれを言わなければよかった、これをしなければよかった、と後悔が多いです。たった一度、どこかに行った帰りに道端に咲いていたアカシヤの花を折って渡したら嬉しそうな顔をしたことを忘れません。
私どもは父方も母方も台湾で役人をしておりました。終戦で35年以上も暮した美しい街台北から他国同然の内地に引き揚げました。余談にになりますが私はよく夢を見ます。その夢に出て来る見知らぬ街が多分あの当時の台北であろうと最近気が着きました。
母は男二人、女二人の兄弟姉妹の次女でした。伯母が成人式の日に着た衣装を母も成人式で着て、そのまま母が持っていました。引き揚げても私ども家族の居場所が無くあちこち転々としましたが一時期対馬に居ました。母は その時、華やかだった娘時代の思い出が残る衣装を一つまた一つと村に持って行って私共子供に食べさせる裸麦に替えてもらって来ました。成人式の衣装が最後に残った時、このままでは冬を越せない、と川内の母の実家に戻り、やがて薩摩郡高城村と言う処に行きました。父はそこで教師になりました。
昭和25年秋のある夜、母は漁師町から魚を売りに来ると言うので出かけたまま遅くなっても戻って来ませんでした。私はボンヤリと鴨井にかけてあったその母の成人式の衣装を見ていました。すると、その右の背中から薄赤い血がドクドクと流れ出る、幻影でしょうね、様を見ました。しばらくぼんやり見ていると、ただいま、と帰ってきました。ブリを抱えていました。そして、その包 みを開けて『肺が病気になっている、食べられないね』と言いました。
母は昭和59年の秋に亡くなりました。肺がんで気が着いた時には手遅れでした。和裁も洋裁も出来たので自分で縫った大島の衣装と作りかけの洋服を棺に入れました。骨になった有様を見た時、まさに右の肺が病巣のありかを黒く示していました。葬儀の後、東京から来た伯母がその思い出の残る衣装を『これだけは私に頂戴』と持って帰りました。それからもう30年余り、伯母も亡くなったでしょう。あの衣装はどうなったことやら・・・。
間もなく田舎にある墓を閉じます。遺骨を取り出して再火葬し、台北から引き揚げて来た祖父母や当地で赤子のまま死んだ弟、大陸で戦 死した叔父達、まとめてひとつにしてこちらに葬ります。人が生きるとはどういうことなのか?と最近よく考えます。親不孝の限りを尽くした外れ者、自分を振り返ってあれを言わなければよかった、これをしなければよかった、と後悔が多いです。たった一度、どこかに行った帰りに道端に咲いていたアカシヤの花を折って渡したら嬉しそうな顔をしたことを忘れません。