三菱造船がドイツの客船を建造していて工程大遅延、予算大幅オーバーらしい。これで日本の客船建造の希望は廃れたとの情報を見た。ドイツ規則による船を建造した経験者としては、もしかしてアレかな?と思った。
ドイツとは不思議な国だ、規則に2と書いてあったら泣いても喚いても2なのだ。弐であってもいけない。床から頭上まで空間高さが2m100mmと書いてあったら1ミリでもそれからショートすると工事をやり直しとなる。障子を閉めたら開けてはいけないことになっている、と言うような、舞台を三角に歩いたら別の土地に行ったことになる、と言うような日本の思考様式とは全く違う。そして日本人はここで間違う、少しは何とかなるだろう、などと言う事は間違ってもない。
船の建造でドイツ人、アメリカ人、イギリス人、インド人、中国人を相手に交渉事をしたが、ドイツ人は似ても焼いても食えない、アメリカ人イギリス人は少しは話が出来る、インド人はカーストに関わりがなければ大分『腹芸』が効く。中国人はやはり表面的には『同じ文化圏』と言う感じで融通が効く。例えば、クレーンの塗装色を発注時にうっかり間違えた、と言う時に欧米人の場合、間違えたのならヤリナオセ!となる。しかしこれは受注した業者に言わせればエキストラを払って下さい、となる。設計部としてはオマエが間違えたんだろう、船主に平謝りして現状で行けるようにして来い、しないと部屋に入れないぞ、となる。気の弱い奴はこういったことが重なって人格が破壊され支離滅裂の人生となる。実際、死にたいと言い出す部下が居てその両親が遠方から相談に出て来て困惑したこともあった。
インド人、中国人の場合は塗装色が少々違っても機能に関係はないよね、今度から間違えないようにしてね、で終わる。現在の中国はその融通無碍が行きすぎて裏目に出ているとも見える。一方今の欧州は威張り腐っていた足元を払われたと言う感じもする。フォルクスワーゲンがやったことは要するに優越感に胡坐をかいていたのがフタを開けたら日本に追い越されていて、追いつけないことがワカッタ、で、節操をかなぐり捨てたという事だろう。
ええと、何を言いたかったんだっけ・・・。
話を豪華客船に戻す。私はあれが大嫌いだ。聖書の黙示録に『大いなるバビロン』と言う文言があるがそれを想い出す。カネがあるからどんな贅沢でもやっていいとは私は思わない。日本にやって来た西欧人が『この国は侮り難い』と感じたのは社会の上層にある人々が質素に生きて居る様を見たことによる。将軍でさえ庶民より少し上等の衣装を身に着けている程度で殆ど庶民とおなじような生活をしている、と観察された。いつぞや天皇陛下の食事に関する記事を読んで、自分たちは贅沢だ、少しは慎まなければならないと感じた。
極めつけは、何かといえば庶民、恵まれない人々の肩を持ちその味方であるフリをしている共産党員が客船で世界漫遊を行ったことだ。町内のみんなが黙っているけれど白眼視していた。まあ、間もなくこのような物が無くなる時が来る。『経済とか金銭なる砂、乃至は幻想』の上に構築されたあらゆる物や事が倒壊させられる時が来る。客船建造が出来なくなっても悲観することはない。
ドイツとは不思議な国だ、規則に2と書いてあったら泣いても喚いても2なのだ。弐であってもいけない。床から頭上まで空間高さが2m100mmと書いてあったら1ミリでもそれからショートすると工事をやり直しとなる。障子を閉めたら開けてはいけないことになっている、と言うような、舞台を三角に歩いたら別の土地に行ったことになる、と言うような日本の思考様式とは全く違う。そして日本人はここで間違う、少しは何とかなるだろう、などと言う事は間違ってもない。
船の建造でドイツ人、アメリカ人、イギリス人、インド人、中国人を相手に交渉事をしたが、ドイツ人は似ても焼いても食えない、アメリカ人イギリス人は少しは話が出来る、インド人はカーストに関わりがなければ大分『腹芸』が効く。中国人はやはり表面的には『同じ文化圏』と言う感じで融通が効く。例えば、クレーンの塗装色を発注時にうっかり間違えた、と言う時に欧米人の場合、間違えたのならヤリナオセ!となる。しかしこれは受注した業者に言わせればエキストラを払って下さい、となる。設計部としてはオマエが間違えたんだろう、船主に平謝りして現状で行けるようにして来い、しないと部屋に入れないぞ、となる。気の弱い奴はこういったことが重なって人格が破壊され支離滅裂の人生となる。実際、死にたいと言い出す部下が居てその両親が遠方から相談に出て来て困惑したこともあった。
インド人、中国人の場合は塗装色が少々違っても機能に関係はないよね、今度から間違えないようにしてね、で終わる。現在の中国はその融通無碍が行きすぎて裏目に出ているとも見える。一方今の欧州は威張り腐っていた足元を払われたと言う感じもする。フォルクスワーゲンがやったことは要するに優越感に胡坐をかいていたのがフタを開けたら日本に追い越されていて、追いつけないことがワカッタ、で、節操をかなぐり捨てたという事だろう。
ええと、何を言いたかったんだっけ・・・。
話を豪華客船に戻す。私はあれが大嫌いだ。聖書の黙示録に『大いなるバビロン』と言う文言があるがそれを想い出す。カネがあるからどんな贅沢でもやっていいとは私は思わない。日本にやって来た西欧人が『この国は侮り難い』と感じたのは社会の上層にある人々が質素に生きて居る様を見たことによる。将軍でさえ庶民より少し上等の衣装を身に着けている程度で殆ど庶民とおなじような生活をしている、と観察された。いつぞや天皇陛下の食事に関する記事を読んで、自分たちは贅沢だ、少しは慎まなければならないと感じた。
極めつけは、何かといえば庶民、恵まれない人々の肩を持ちその味方であるフリをしている共産党員が客船で世界漫遊を行ったことだ。町内のみんなが黙っているけれど白眼視していた。まあ、間もなくこのような物が無くなる時が来る。『経済とか金銭なる砂、乃至は幻想』の上に構築されたあらゆる物や事が倒壊させられる時が来る。客船建造が出来なくなっても悲観することはない。