夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

日本史の転換であると同時に世界史の転換点

2015年11月25日 10時01分40秒 | 日記
隠れた病気は症状に発現して消える。民主政権は日本の病気の症状だった。
その病巣がどんなものであったかは今年に入ってから次々に正体を現し始めた薄汚い者共の言動を見れば判る。
そして今、日本は日本史上は勿論、世界史的に重要な転換点にある。
この坂を越える事が出来るか否かは国民大多数の『常識、良識、見識』にかかっている。
この時点で余命ブログが書籍化されることに非常に重大な意義、積極的な意義があると思う。
つまり、所謂情報弱者・・誰かが言った”平成のイザリ”が 真実を知る、日本がどのような病に冒されていたかを驚愕を持って知る、ようになる。
隠されていた深刻な病の原因を知る、本来の日本、その矜持、徳、先祖の遺徳に目覚める、東京裁判の不当に憤る。
クズ政党は雲散霧消し、行き場を失った帰化人、売国言論人、学者、僧侶、汚らわしい牧師、芸能人、ことごとに議を言う主義者、市民運動家、知った被り、薄汚い学生、等々が徐々に干上がりやがてセミの抜け殻よろしく固化して消滅風化するだろう。

薄汚い輩、穢れた者共を掃き出して美しい日本、振る舞いの美、言葉の品、素朴と徳、想いの高貴 をとり戻そう!!

国体の護持と聖書

2015年11月24日 12時17分06秒 | 日記
昔、ある組織の代表をやっていたことがある。代表と言っても主に技術的な顔での代表で、運営の実権は別の者が握っていた。或る時、税理士さんに、もしも経理に不正があった場合、実際にやっている者が別に居て私はカヤの外に置かれているので責任はその実際にやった者ですか、私は知らなかったと言えますか?と聞いたらそういう言い訳は出来ない、あなたが名目上であっても代表者ならあなたが責任を問われると言われた。なるほど、それが法と言うものだろう。

逆の場合の記事がある。新約聖書マタイ伝35~40節にこう書いてある・・・『なんじら我が飢えし時に食らわせ、渇きし時に飲ませ、旅人なる時に宿らせ、裸なりし時に衣せ、病みし時に訪い、獄に在りし時に来たりたればなり。ここに正しき者ら答えて言わん、主よ何時汝の飢えしを見て食らわせ、渇きしを見て飲ませし、何時汝の旅人なりしを見て宿らせ、裸なりしを見て衣せし、何時汝の病み、また獄に在りしを見て汝に至りし。王答えて言わん、まことに汝らに告ぐ、わが兄弟なるこれらのいと小さき者のひとりになしたるは、即ち我になしたるなり』

日本人はおそらく全く知らずに代々神祀りをし、皇室を憚り、お伊勢参りなどをやって来て今に至っている。少し有名な神社に行けばチャ髪の兄ちゃんや如何にもミーハーの女の子、老若男女、参拝している。中には一時間近くも熱心に祈っている紳士までいる。こうして人々はそこに何か知らないが人間の五感に映じない神なる存在があることを示している。

また大東亜戦闘敗北の際、命を懸けて国体を護持しようとした人々があった。もっと突っ込んで言えば、戦死した兵士の中は天皇陛下バンザイと叫んだ兵も居たとか・・・。神風特別攻撃もまた日本を護ろうとした行為であり、その守るべき日本の最も奥まったところに皇室、従って伊勢神宮を頂点とした神道があった。これは思うに創世記49章10節にある『神が地上人類社会を見放しても忘れてもいない』と言う実態の現象化した姿であろう。

こうして日本人は、知らずに聖書の神を護り続け世界に向けて喧伝して来たし今もしている。これに対して黙示録3章8節は『汝少しの力ありて我がことばをを守り我が名を否まざりき・・・地に住む者達を試むる為に全世界に来たらんとする試練の時に免れしめん』と言う。

日本礼賛乃至羨望記事

2015年11月24日 08時46分28秒 | 日記
ユーチューブには外国人の日本旅行記がある。見ていると自動的に観光旅行が出来るので便利だ。『へえー、そんななってるんだ』とか『そんなところがあるのか!』と自分が田舎者であることを思い知る。外国人諸姉諸兄、案内ありがとう。

理解に苦しむのがキリスト教圏からの来訪者と思しき人々が嬉々として神社に参拝したり寺院で同様のことをしている姿である。君たちは異教に交じってはいけないのじゃなかったのか?・・・と表向きは感じる。が、『人を魅き付ける、心を捉える何か』があるのだ。どんなに意地を張っても美味いモノは美味い!

もうひとつよく解らないのが『また来たい』とか『永住したい』とか言う人が居ることだ。何故自分たちの国を日本の様にしようと思わないのかな?その方が手っ取り早い。考えるに、何がポイントになって違いが生じているのかが掴めないのであろう。

秘訣を教える。『神道の根本理念』、つまり『我々は神の気、気配が充満する中に生きて居る』との観念で生きる、ことである。さらに解り易くはイエスさんと言う人がちゃんと教えている、曰く『全ての事を神に仕えるように』しなさい。ただし、これはprincipleであるから愚か者には解らないかもしれない、そこで神はちゃんとpracticeを用意して下さった、旧約聖書のモーセ5書と呼ばれる一連のものを読めば『具体的にどう行動すればよいか』が書いてある。

日本に来て、『自分もこのような国に生きたい』と芯から思い、神社に詣でて『静謐と何かしらの安らぎ』を感じる人は間もなく来る収支決算の時にイエスさん、つまり神のことばから『さあ、はじめから用意されている私の国に入りなさい』と言われるだろう。あなたが日本で見ている、体感しているのは『はじめから用意されている国、つまりは神が最初に意図した地上人類社会のおぼろな映像』である。

最近の仕事の仕方

2015年11月24日 00時46分35秒 | 日記
まあ、奥様から見ればダラシナイ生活に違いない。一日24時間、起きたり寝たりしている。大体3時間以上連続して眠れない。考えていることは2種類、船の艤装にまつわる構造設計と聖書が何を言っているか?である。

合間にリュートを練習するが、すぐに疲れて寝てしまう。朝寝して、夜寝するまで昼寝して、時々起きて居眠りをする、何ともだらしない。ところがその所々で閃きがあるのだ。『そうか、聖書のあの部分はコレを暗示しているな!』とか、ややこしい構造体の『アレをこう考えれば解決するじゃないか!』とか。苦しいのは半覚醒状態で延々と考えて一体眠っているのか起きているのかが判らなくなることである。かくして真夜中に起き出して一気呵成に図面を仕上げることもある。

今夜もまた眠れないだろう。さあ、寝るゾ、と布団を敷くとどうしたわけか目がさえてくる。ああ、少し疲れたとひっくり返ると一時間ばかり熟睡する、不思議だ。

それにつけても拙宅の奥様は9時になったらニワトリのように自動的に眠くなり、いったん寝たら石地蔵みたいに眠り込んでしまう、実に羨ましい!ところが、である・・・ネコが外からトンと戸を叩くとパッと跳び起きて餌をやる、そこのところのメカニズムがどうもわからん。

我々は今どこに居るか

2015年11月23日 05時11分41秒 | 日記
黙示録13章は現代人類が見聞体験している地球規模での『政治』なるものの姿を示している。そこに出て来る獣とは政治のことであり666とは創造の6日目に創られた『人間』を示す6、ダニエル書3章1節にあるバビロンのネブカドネザルが建てた金の像の高60キュビトと幅6キュビト、合わせて666、而して王はこれを礼拝せよと命じた、つまり666とは人々を支配する人間の権力を示している。
そのダニエル書の11章36章は現代アメリカを、40章以降は中近東イスラム諸国と欧米諸国の確執と現在の混乱、TPPなどを暗示し、それがある終結に近いことを示している。
黙示録12章は最近の日本を暗示している。
多分我々は今この時点に居る。

黙示録14章以降が今から起こることと考えるがその内容を要約すれば、人間世界は益々混沌の度合いを増し、二進も三進も行かなくなる、現在抱えている問題、テロ、環境破壊、人権問題、総てが混乱の度を増す、そしてある日突然世界が壊れるのを人類は見る事になる。経済が政治に食われ、政治も崩壊し、地上世界はデフォルトに到る。この過程を通して、人々は遠い昔に忘れていた『神の実在』について考えさせられるようになる。最終的にエゼキエル書38、39章がおそらく日本で起こり、世界中がこれを見る、見て『神』風を思い知るようになるだろう。これが所謂ハルマゲドン。

その後、世界の再構築が日本人が先祖伝来受け継いで来た理念によって行われるようになるかもしれない。この過程で黙示録20章に記載されている人類史の決算処理が行われる・・・地上に残っていい人々や概念、理念、観念、組織等々と廃棄焼却すべきものとの分類と実行。その具体的な様子は聖書も述べていない。家族が再び昔の姿に戻るのかも書かれていない、つまり夫婦親子であった人々が再会することになるのか否かは書かれていない。しかし悪いようにはならないだろう。

人間とはメリーゴーランドで遊ぶ人のようなものであるかもしれない。それは回転しながららせん状に昇る、そこに見えない幕がある、例えばAD1000年レベルの幕、AD2015年レベルの幕などと、そしてAD1000年にそこを通過した人が次にAD2015年にまた通過する、輪廻転生ではなく存在は同じであるが現象化する時が複数ある、と考えれば人類の数は或は限られたものであるのかもしれない。

この決算処理の時メリーゴーランドは回転を止める、すると今まで地上に現われた人々の実態が明らかになる。千年前にどこそこで視われたあの人は600年して別のあそこの幕を通過した、そして今ここに見えている映像の実態がその人だった、などとなるかもしれない。メリーゴーランドの回転が止まる、という事は我々の観念にある時間が存在しなくなる。人は若くも老いてもいない、その人の本態が形になって現れる。