【灰神楽】・・・【はいかぐら】と読む。一般家庭に石油ストーブが普及したのは昭和37年頃であった。それまでは練炭火鉢、火鉢であった。火鉢には灰を入れて【五徳】を置き薬缶を載せて湯を沸かし、【火箸】を突き刺しておいてそれで炭(木炭)を扱った。
偶に薬缶をひっくり返す粗忽ものが居て、それをやると火山の爆発みたいに灰が舞い上がった。これを【灰神楽】と言う。
火箸で火を弄り壊して火を消してしまうじじいもいた。
出かけるときは火に灰をかけて埋めておいた。強制的に火を消したい場合は【火消壺】と言うものを使った。火鉢の灰の中に芋や芋の団子を埋めておくと結構に焼けた。また釣って来たハヤを竹串に挿して立てておくといい具合に乾いた。これを薩摩弁では【火ぼかす】と言った。ハヤや鮎を火ぼかしてそれを甘辛く似て食べると美味かった。これの親分みたいなのが関東の【渡良瀬川】の鮒だったが今はあるだろうか?
火の消えた炭を【消し炭】と言った。炭は俵に入れたものを一俵、二俵、と言う呼び方で買った。【樫炭】と言うものがあって固く、火力が強く、火持ちがよかった。昔はバキュームカーなんてものはなくてオワイ屋さんが汲んで回った。素晴らしい田舎香水の香りが辺り一面に漂うので火鉢の火に、醤油を一滴垂らした。
終戦後、日本に来た米軍から日本のこれを馬鹿にされ、恥かしかった。『日本人がバンザイ突撃などの蛮勇を振るえるのはこういう野蛮な生活をしているからだ』などと。
日本人は米や野菜を食べる。勢いウンチの量は多い。戦時中南方で、撤退した日本軍の陣地を見て米軍は【かなりの大部隊!】と判断を誤ったらしい。『俺たちは菜食だからナニの音は大きいが臭くはない、アイツらは肉食だから音はしないが非常に臭い』と負け惜しみか嫌味を言った随筆を読んだ事がある。アレッ、ヘンな方向に逸れたな。
更くる夜や炭もて炭をくだく音 ・・・この俳句がしみじみと分かる人はもう少なかろう。