つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

ルーズベルト一族の黒歴史

2023-05-24 | Weblog

丸谷元人さんのメルマガより

ルーズベルト大統領の
母方の祖父がウォーレン・デラノJr.
という人物です。

デラノは24歳のときに初めて中国に渡って、
ラッセル商会というところに勤務しました。

そして、
アヘンの密輸を組織的に行っており、
今で言う薬物の組織犯罪集団として
勤務をしていたわけです。

その後、1843年の初頭までに
デラノは中国のアヘン貿易で大成功して、

中国と取引をするアメリカ最大の会社の
代表パートナーにまで上り詰めました。


つまり、中国の広東に違法アヘンを密輸して、
ぼろ儲けをしたという人です。

なんと、ルーズベルトの祖父は
麻薬の密売人だったということです。


また、ジョン万次郎という、
日本で江戸の末期に漂流して、
アメリカの捕鯨船に助けてもらって
アメリカ本土まで行って帰ってきた人がいます。

その捕鯨船の
ジョン・ハウランド号というのを所有していたのも、
このルーズベルトの祖父だったという事で、
そのくらいのお金持ちだったのです。

ちなみに、捕鯨船と聞いて
「アメリカも捕鯨していたのか」
思う人もいるかもしれませんが、

ペリーが日本に来航してきた最初のきっかけは、
クジラを追いかけてきたという話があります。

日本に給水器とか、薪とか、
そういったものを補給する目的として
最初は渡ってきたのです。

ところが、
今の日本はクジラを食べるなとか言われて、
いわゆる国際的に欧米諸国中心に
叩かれまくっています。

確かにクジラは
日本人と少数の民族しか食べませんが、

アメリカ人やオーストラリア人など、
昔は捕鯨船で追いかけていた人たちは
肉を食べるのではなく、

クジラの脂肪を取ったあとは
巨体の全て海に捨てていました。

そのために、最新鋭のハープーンで
クジラを追いかけていました。

一方で日本は1頭のクジラを捕まえると、
髭は三味線の弦にして、皮や骨、
肉まで全て食べて7つの村が潤ったというくらい、
恵比寿様信仰の象徴にもなりました。

このクジラ問題で今、
日本だけが悪者になっていますけど、
彼らは散々それをやっていたわけです。

しかも儲かっていたからこそ、
捕鯨船のオーナーになれたのです。
そのための手元資金は、
薬剤師としてお金を稼いだのでしょう。

ちなみに、
ペンシルベニア州のデラノという、
ウォーレン・デラノJr.の名前がついた
地名があるというくらい、
アメリカでは成功者です。

日本で言ったら
豊田市という感じの成功者です。

日本では、そこまで破廉恥ではないので、
麻薬密輸業者の名前を取って
町の名前にするという事はありません。

とにかく、
こういう人がルーズベルトの祖父でした。

 

私はこの情報を知り、これまではルーズベルトは生まれながらにリッチの人と聞いていましたので、すっかり失望しました。英語では生まれつきお金持ちの人は、「銀のスプーンをくわえて生まれたと」、表現されます。まさにこの表現にぴったりと人と思っていたのに・・・



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