何となく・・・
愛媛新聞の「門」(読者投稿)には、愛媛マラソンの特集が掲載されています。
私よりかなり上の人生の先輩方々が完走された喜びを投稿されています。
凄いよな~って感心しきりです。
走れないコイツは、否、走ろうとしないだけなのかもしれませんが、どんな世界なのだろうと興味津々。
人生観が変わるだろうな~・・・
愛媛マラソンのキャッチフレーズは「走った人と走らない人では、人生の濃度がちょっと違う」だったとか・・・
「高い参加費を払って、しんどい思いをして何が楽しいの」って言われるのだとか、なるほど、それも分からんではないのです。
「オレだったらその金(8千円)で美味いもんでも食べた方がいい!」・・・
「そんな時間があったらゆっくりしとった方がいい!」・・・
そんな思いが見えてくるようです。
というか、そういうコイツが見えてきます。
そんな言葉を聞くにつけ、やっかんでいる小さい心が見えてしようがありません。
本当は「やってみたいな~」って思いがチラチラしているのに・・・
どこかお聴聞に似ているよな~って思ったりもします。
「高い寄付金を度々求められ門徒講金や賦課金、護持会費を払って、しんどい思いをして何になるの?」って感じ。
ちょっとこじ付けでしたでしょうか・・・
でも、そんなしんどい思いするより現実よ、現実!寺どころじゃないよ!こっちが大変なのに・・・
自然に寺とも疎遠となり、法座に参ることもない・・・
仏さまに出会わず終わってしまう・・・
寺に生まれなかったら、私もそう思っていたでしょう・・・多分。
いつ頃からだったでしょうか・・・
ず~っと申させていただいていることがあります。
「長いか短いか分からんこの人生の中で、阿弥陀さまに出会えるか出会えないかでは大きな違いがあるのではないでしょうか!」
出会わなくても生きていけます・・・
でも、その人生は「オレが、ワシが、私が・・・!」で終わってしまう人生なのでしょう。
オレが、生きてきたんだ!・・・
オレが、掴んできたんだ!・・・
確かにそうなんです、それに違いないのです・・・
でも、それで終わってしまってはあまりにも寂しい。
「オレの人生、何だったんだろう・・・」って必ず終わるのでしょう。
寄り添ってくださるはたらきが見えないのですから・・・
阿弥陀さまに出遇えた人生とは・・・
どこまでも「オレが、ワシが・・・」の人生なのですが、優しき光に照らし出されたオゾマシイ己が姿に気付き「申し訳ない・・・有難う!」って言える自分にさせていただくことでしょう。
こんなオレが、生かさせていただいていたんだ!・・・
これら一つ一つ、いただいていたんだ!・・・
そう頭を下げながら歩むことが出来るのでしょう・・・
辛いこともしんどいことも沢山あったけど、生かさせていただいて本当によかった!
そう思える人生になるのではないでしょうか。
寄り添ってくださるおはたらきに出遇うのですから・・・
あなたがいてくれたんだねって出遇うのですから・・・
一緒にお聴聞させていただきませんか?
お寺に参って座ってみませんか?
きっと「人生の濃度、思いっきり深くなるはず!」
だって、本当の自分に出会うのですから・・・
フルマラソンの30キロ地点ってもの凄く辛いんですって・・・
足が動かなくなるんだとか・・・
それを動かして下さるは、沿道の応援して下さる方々の声援やスタッフの支え、家族の顔・・・
あなたがいて下さるから走れるのだそうです。
毎日が30キロ地点、苦しいですよね、辛いですよね・・・
立ち止まるかもしれません、座り込むかもしれません・・・
涙さまが流れます、きっと・・・
あなたに出遇うのですから!
ボロボロになりながらもまた一歩・・・
「よっかた!本当に・・・よかった!」
徳正寺常例法座のご案内
日時、毎月16日(土日が重なる場合は月曜日)
あさ、10時~
お勤め、正信偈
法話、坊守・住職
茶話会、美味しいお茶飲みながらワイワイガヤガヤ
寒い日が続いていますが、一緒に仏さまの前に座らせていただきながら優しいひと時にさせていただきましょう。
坊守とお待ちしています。