月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

得度のはなし

2012年02月18日 22時52分00秒 | ふうわりふわり(坊守日記)

今朝はうっすら雪景色・・・寒い一日でしたね。

今日から知り合いの坊守さんが得度に入られました。
昨夜遅くに「願生ってくださいね」とメールをしていたお返事が今朝届き、そのメールには「・・・11日間の貴重な時間を大切に過ごしてきたいと思います。・・・(中略)・・・しかし京都は寒い・・・」とありました。
思わず「わ~、こんな寒い時のお得度は大変だわ~」と私。

ふっと、22年前に自分が得度させていただいた時のことを思い出しました。

何をするにも人任せの甘えんぼ・・・
そんな私がお得度をして僧侶になる・・・
お得度に入って何日目だったでしょうか
研修棟から本堂へ行く廊下の突き当たりにある鏡に、黒衣姿の自分を見たときに、こんな私が僧侶になっていいのか?
とすっかり落ち込んで、逃げ出したくなったのを覚えています。

それでもなんとか得度式を受けて、本願寺派の僧籍をいただきました。

「釈智海」・・・母と一緒に考えてつけていただいた法名です。

22年経った今でも、あの時の思いは変わっていないのかもしれません。
でも、多くのご縁をいただいた中に今の姿があることを知らせていただいています。

あの鏡は、阿弥陀さまの智慧の光明だったのですね…

見抜かれた私の姿

恥ずかしながら、この姿で、この道を歩ませていただきます。

 

(写真はShellie Mayの布教使スタイル、その名も≪ちかいちゃん≫です)


成長之姿

2012年02月18日 20時03分51秒 | 仏々相念(住職日記)

どのような縁に触れ・・・

 

何気に点けたテレビ番組では動物モノを放送していました。

どういう経緯で「一人」なったかは分かりませんが、高崎山の「一人ぼっち」の小さな子猿が映し出されていました。

夕方、群れが山の中の巣に帰っていきます。

でも、「一人」の子猿は巣に帰ることもできません。

身体を縮めて寒さに耐えています・・・

なんて言っているのでしょうか・・・一生懸命に叫んでいます。

 

次に映った姿は階段で傷だらけになり硬直している姿。

何でそうなったかは分かりません・・・

基本は野生の猿は野生のままに・・・なのだそうですが、緊急の時は手を貸すのだそうです。

傷を拭いてやり温かいミルクを飲ませてやると少しずつ元気を取り戻します。

がしかし、長く手元に置いておくと人間の匂いが付いてしまい群れに帰れないのだとか・・・

直ぐに寒空の下に放ちます。

お客さん用に設置してある外のストーブで暖を取る子猿・・・

「一人」で・・・

何日たった頃でしょう、一匹の雌猿がその子猿を引き寄せ背に乗せたのです。

いろんな縁が重なり・・・

近くに我が子を亡くした雌猿だったそうです。

寒空の下、愛しくその「一人」の子猿を抱きしめていました。

 

何て優しい光景なのだろうか・・・

忘れかけていた温もりに出会い、子猿はどう思うのだろう・・・

「あ~・・・あったかいな~」

もう、一人ぼっちは嫌だと一生懸命にしがみ付いていたかもしれません。

その雌猿も同じ気持なのかも。

 

一人ぼっちの寂しさと身も凍るような冷たさ、

打ち震えるような現実のなかで、命あることを喜んだ瞬間だったかもしれません。

 

自分が「一人」になったらどうしよう・・・

寂しがり屋の私はよく思います。

震えながら、何て叫んでいるのでしょう・・・

自分の腕で自分の肩を抱きしめ泣いているかもしれません。

そんな自分が見えるからなのでしょうか、雌猿の御手に抱かれる子猿の安堵を思わずにおれません。

「よかったな~」って。

 

でも、その数ヶ月後、その雌猿は亡くなってしまうのです。

儘ならない束の間の安堵・・・

その後、どうやってその子猿が生き抜いたかは語られません・・・

4年後、大きくなったその子猿の姿がありました。

一生懸命に餌を食べている姿が・・・

その寂しさをどうやって克服していったのでしょう・・・

「生きる」ためにどんなことをしてきたのでしょう・・・

 

「強いな~」

 

寂しさに押し潰されそうになる自分が手に取るように見えているのに、

コイツは偉そうに阿弥陀さまの温もりを分かったような顔して話しているのです。

有難く思うし勿体なく思うのです・・・

でも、そう話しながら、今、家族がいることを喜んでいるコイツがいることです。

 

ぬくぬくと生きているコイツに何が分かるのか・・・

 

はるかなるむかしむかしからず~っと案じて下さる親心に抱かれてあるこのいのち。

深き深き業を重ねながら生きゆくこのいのちを、

一人ぼっちの寂しさに打ち震えるこのいのちを、

どうしよう、どうしようと生きるこのいのちを、

知り抜いていてくださっているおはたらき。

 

「大丈夫だよ!ここにいるから・・・一人にはさせないよ!」って優しき微笑を浮かべつつ。

今日も一緒にいて下さる阿弥陀さま・・・

何と心強いことでしょう!

 

疑う訳ではないのです・・・

 

でも、コイツはそこに心強さを感じつつも、

今、家族が一緒にいる儘ならん安堵の中に喜びを感じているのです。

すいません・・・