どのような縁に触れ・・・
何気に点けたテレビ番組では動物モノを放送していました。
どういう経緯で「一人」なったかは分かりませんが、高崎山の「一人ぼっち」の小さな子猿が映し出されていました。
夕方、群れが山の中の巣に帰っていきます。
でも、「一人」の子猿は巣に帰ることもできません。
身体を縮めて寒さに耐えています・・・
なんて言っているのでしょうか・・・一生懸命に叫んでいます。
次に映った姿は階段で傷だらけになり硬直している姿。
何でそうなったかは分かりません・・・
基本は野生の猿は野生のままに・・・なのだそうですが、緊急の時は手を貸すのだそうです。
傷を拭いてやり温かいミルクを飲ませてやると少しずつ元気を取り戻します。
がしかし、長く手元に置いておくと人間の匂いが付いてしまい群れに帰れないのだとか・・・
直ぐに寒空の下に放ちます。
お客さん用に設置してある外のストーブで暖を取る子猿・・・
「一人」で・・・
何日たった頃でしょう、一匹の雌猿がその子猿を引き寄せ背に乗せたのです。
いろんな縁が重なり・・・
近くに我が子を亡くした雌猿だったそうです。
寒空の下、愛しくその「一人」の子猿を抱きしめていました。
何て優しい光景なのだろうか・・・
忘れかけていた温もりに出会い、子猿はどう思うのだろう・・・
「あ~・・・あったかいな~」
もう、一人ぼっちは嫌だと一生懸命にしがみ付いていたかもしれません。
その雌猿も同じ気持なのかも。
一人ぼっちの寂しさと身も凍るような冷たさ、
打ち震えるような現実のなかで、命あることを喜んだ瞬間だったかもしれません。
自分が「一人」になったらどうしよう・・・
寂しがり屋の私はよく思います。
震えながら、何て叫んでいるのでしょう・・・
自分の腕で自分の肩を抱きしめ泣いているかもしれません。
そんな自分が見えるからなのでしょうか、雌猿の御手に抱かれる子猿の安堵を思わずにおれません。
「よかったな~」って。
でも、その数ヶ月後、その雌猿は亡くなってしまうのです。
儘ならない束の間の安堵・・・
その後、どうやってその子猿が生き抜いたかは語られません・・・
4年後、大きくなったその子猿の姿がありました。
一生懸命に餌を食べている姿が・・・
その寂しさをどうやって克服していったのでしょう・・・
「生きる」ためにどんなことをしてきたのでしょう・・・
「強いな~」
寂しさに押し潰されそうになる自分が手に取るように見えているのに、
コイツは偉そうに阿弥陀さまの温もりを分かったような顔して話しているのです。
有難く思うし勿体なく思うのです・・・
でも、そう話しながら、今、家族がいることを喜んでいるコイツがいることです。
ぬくぬくと生きているコイツに何が分かるのか・・・
はるかなるむかしむかしからず~っと案じて下さる親心に抱かれてあるこのいのち。
深き深き業を重ねながら生きゆくこのいのちを、
一人ぼっちの寂しさに打ち震えるこのいのちを、
どうしよう、どうしようと生きるこのいのちを、
知り抜いていてくださっているおはたらき。
「大丈夫だよ!ここにいるから・・・一人にはさせないよ!」って優しき微笑を浮かべつつ。
今日も一緒にいて下さる阿弥陀さま・・・
何と心強いことでしょう!
疑う訳ではないのです・・・
でも、コイツはそこに心強さを感じつつも、
今、家族が一緒にいる儘ならん安堵の中に喜びを感じているのです。
すいません・・・