月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

恩師之声

2012年02月28日 20時06分13秒 | 仏々相念(住職日記)

なんと心地いい・・・

 

松山で行われました県仏婦大会にお参りさせていただきました。

去年のこの仏婦大会は宇和島組が担当でして、このご縁の時にあの震災となるのです。

当時、私は法務があり途中に会場を後にしたのですが、偶々点けたテレビに言葉を失い立ちすくんでいたことです。

 

あれから一年か~・・・

早いような遅いような、間には親鸞聖人750回大遠忌もお勤まりになったことです。

この一年、どんなになるのだろうって思いながら宗祖讃仰作法をいただいたことです。

 

恩師の御法話を聴かせていただきました。

優しき法話、声、雰囲気・・・

何一つとして身構えることもなく、そのまんまを安心して聴かせていただいたことです。

「仏法は、ゆったり聞いたらいいんですよ・・・」

ゆったりとした最高のひと時をいただきました。

 

中村久子さんと歎異抄・・・

私は、不安になるのです、「どうしよう、どうしよう・・・なくなったら、どうしよう・・・」

お話を聴かせていただきながら、手を握りしめている自分がいました・・・

足を踏みしめている自分がいました・・・

私ならどうなるのか・・・

ここまで強くなれるのか、否・・・

 

3歳で手と足を病気で失います。

お父さんは久子さんが幼少の時に亡くなってしまいます。

お母さんは厳しく育てられたとか・・・

何でも一人で出来るように・・・

また、傍でお婆ちゃんが優しく、字を書くことを教えるのだそうです。

ず~っと、2人とも傍で見守っておられた。

そのことがどれだけ苦しいことか・・・

と、恩師がおっしゃる。

 

そうだよな~・・・

子供の代りにしてしまうよな~。

 

阿弥陀さまは、じっと見守って下さっています。

「見守る」と聞けば、ケガせんように、病気にならようにと仏が守ると思われる。

でも、そうではないのです・・・

久子さんは、一度もそんなことで神仏を拝んだことがなかったという・・・

そうしても治らない現実を痛いほど分かっておられたから。

すればなぜ、お念仏だったのでしょう・・・

 

それは、母や祖母がじっと傍にいて支えて下さっていたお育てが心の根底にあり、ひたむきに努力して気付く親の温もりなのでしょう。

「ある ある ある」

何でもできる腕がある・・・

何もせずにそうは思えないのです。

ひたむきに、ひたむきに歩むことで、

一人ぼっちではなく、ず~っと寄り添って下さっていた真実の温もりに出遇うのです。

「ある ある ある」と・・・

 

他力とは

ひたむきに努力したものに

架けられる

出遇いという架け橋である

                 鍋島直樹

 

ず~っとそばにいて抱きしめ支えて下さるおはたらきがある。

そのおはたらきは、

ボロボロになりながら、崩れそうになりながら・・・ひたむきに努力する世界、

生きんがために歩む道は、生かさせていただいていたことに気付くのでしょう。

 

 

恩師はキャンパスの掲示板に書かれた一言に深い喜びを感じたことをホームページに書かれてありました。

 

み仏は、おはします