月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

育児不安

2010年04月27日 22時11分04秒 | 仏々相念(住職日記)
死ぬまで・・・

今日の新聞の中で育児に対する不安などから、
どうしていいか分からなくなり虐待へと・・・
死ぬまで虐待するのです。
泣くからと言ってアザが出来るほど叩く・・・
言う事を聞かないから・・・
かわいくないから・・・
存在が・・・

地獄です、想像しただけでも・・・
小さな子どもには逃げ場所がありません、
唯一の逃げ場所である親が鬼になられては・・・
鬼に睨まれないように、こうすれば機嫌がいい、こうすれば大変なことにと顔色を窺い過ごさなければいけなくなります。
親も生活の不安、仕事、人間関係・・・何かに当たりたくなるのでしょう・・・
その不安な気持ちから拳を作るのではなく両の手広げて小さい命を抱きしめることが出来たらいいのに・・・
抱きしめてやれよ! ギュッと・・・ 
安心します、命の音を感じて・・・

しんどいです。

未だに子どもの私、
こんな私でも形だけでも親とならせていただいた時、
「俺、大丈夫なんだろうか・・・? やっていけるんだろうか・・・?」
もの凄く不安を感じたことを覚えています。
今でもそんな気持ちが無くなった訳ではなく、ずっと持ち合わせていることです。

でもこんな者でも一応親と思い寄り添ってくれる子どもたち。
いつの間にか精神的にも肉体的にも追い越され労わってもらっている感があります。

不安を隠さず、カッコ悪いことさらけ出し、力の無いものは力の無いまんまでぶつかるしかありません。
私は、親父風をふかすのは絶対止めよう、常に対等で歩ませてもらおうと思っています。
日々、教えてやることもなく教えられてばかり・・・
でも、大人の子どもたちは呆れることもなく傍にいて下さいます。

私が寂しがりやであるように皆寂しがりや、だから心を一つに・・・     

お念珠つなぎのはなし

2010年04月26日 23時42分02秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
お念珠も長く使うと紐が切れたり、伸びたりしてしまいます。
以前、宇和島組の坊守会でお念珠のつなぎ方を習って以来、切れたお念珠を自分で直すようになりました。
基本は角組結びですが、紐の色や編み方のアレンジでオリジナルのお念珠に仕上がります。

今日は、まとめて5本のお念珠を編み替えました。(写真)
珠をひとつひとつ磨いて、紐の色合わせをします。

①写真左から、星月菩提樹のお念珠はオレンジ系の明るい3色の紐を使って8本で角組結びをしました。

②ブルーのお念珠は夏仕様。青と水色の2色で丸組結びにすると、流れるような斜めの模様になりました。とっても爽やかな感じです。

③真ん中のお念珠は、わたしの父が使っていたものです。父は軽くて温かい木のお念珠を好んで使っていました。「つないであげるね」と預かって持って帰って以来、父の形見のお念珠となってしまいました。今回はわたしが使うので、オレンジとベージュの6本でやさしいラインの丸組結びとアクセントに玉結びを添えて編んでみました。

④緑色系で変わった形の珠を使ったお念珠は、柔らかく光沢のあるグリーンとパープルの2色の紐で6本の角組結びをしました。

⑤お花模様が可愛らしいブルーのお念珠の珠はガラスのとんぼ玉です。色も模様も可愛いので、紐も2色で几帳結びと平結び、左右結びなどを組み合わせた結び飾りにしてみました。

いかがですか?
わたしのオリジナルのお念珠です。

『ほとけの子 いろはかるた』に「おじゅずのようにまるくなかよく」という札があります。
ひとつひとつばらばらの珠を一本の紐で阿弥陀さまといわれる親珠につないでゆきます。
すると、まあるくなるんですね。
いつでも心がざわざわしているわたしですが、お念珠を手にかけたときくらいは、まあるくやさしい気持ちになりたいものですね。

さあて、明日はどのお念珠をかけようかしら。

不撓不屈

2010年04月26日 21時03分24秒 | 仏々相念(住職日記)
なんと大きな雪駄じゃの~・・・

大好きなプロレスラー、ジャイアント馬場さん!
脳天から竹割り、16文キック等々、一技一技に深い味わいを感じる。
攻めても攻められてもカッコ良かった。

宇和にあったうどん屋さんには、馬場さんの皮靴やリングシューズが展示されてあった。
自由に履くことも許されており何度も履き比べたことがある。
「大きい足やな~」って履いた人皆嬉しそう!

馬場さん存命の頃、馬場さんの靴に猫が住み着いたとか・・・
優しき馬場さんは怒ることもなくそっとしておいたとか・・・
流石、御大であります。

馬場さんの靴程ではありませんが、私の雪駄も大きいサイズを履いています。
「おっとろしやの~、大鵬の雪駄のようやの~!」
履き始めの頃はそういったことをよく言われていました。
お爺ちゃんお婆ちゃんの小さい靴の横に並べられると尚更です。
まるで幕末に現れた黒船のよう・・・

さあ、ご縁が終わり皆さん帰ります。
玄関に沢山並んだ履物、場合によっては遠くにあることも・・・
そんな時、私の雪駄は踏み板の如く次から次へと踏まれる踏まれる・・・
私は馬場さんのように心が広くないので、
後ろから見ていてあまりいい気がしません、テンション下がってしまいます。
でも雪駄は、お爺さんお婆さんのために頑張っていて、屈することなく支えてくれるのです。勿論私のためにも・・・

大袈裟でしょうか・・・

いろんなものに支えられています。
屈することばかりの私を力強く支えて下さいます。         


ママの涙のはなし

2010年04月25日 21時59分40秒 | ふうわりふわり(坊守日記)

今日お参りさせていただいたお宅では、遠方にお住まいの息子さんが奥さんと7か月の赤ちゃんを連れて帰られていました。
その赤ちゃんの何と可愛いこと。
皆さんが優しい顔であやすものですから、ごきげんさんです。
どちらをむいても、ほにゃ~って笑ってくれます。(ママがちゃんと抱っこしてくれているから、安心して笑っていられるのでしょうね。)
赤ちゃんって、本当に無垢で可愛いですね。

ご法話で以前愛媛新聞の≪俳句キッズ≫の欄に載っていた小学生の俳句を紹介させていただきました。

  春の朝きれいないのちあずかって

とても素敵な俳句です。
投稿の俳句と一緒に赤ちゃんの絵が同封されていたそうなので、きっと作者の弟か妹がお生まれになったのでしょう。
その赤ちゃんを囲んでのご家族のあたたかい様子が目に浮かぶようです。

作者は赤ちゃんのことを「きれいないのち」と言い、そのいのちを「あずかって」と表現しています。
この美しいいのちが今生に生まれさせていただくためには、どれだけのご縁が重なったことでしょう。
数え切れないほどの出遇いをいただいてのこのいのちです。

  ようこそ、わたしたちのもとへ生まれてきてくれたね。
  ありがとう。
  大事に大事に生かさせてもらおうね。
  大切に大切にしあおうね。
  みんなみんな仏の子だものね。

そう赤ちゃんに話しかけてほしいなあと思います。

そんなお話をご法話の冒頭でさせていただくと、赤ちゃんのママの目からぽろぽろって涙がこぼれました。
ママの愛情いっぱいの涙なのでしょう。
この赤ちゃんはしあわせだなあって思いました。


近頃、虐待の悲しいニュースをよく聞きます。
どんないのちも、平等に尊くきれいないのちなのに・・・
あなたと遇えてよかったよって、涙するほど喜んでくれる大人がひとりでもそばにいたなら・・・
悲しい事件は起こらなかったかもしれない・・・。


やさしいやさしいママの涙に、「これからいろんなことがあるだろうけど、がんばって!」と心からエールをおくらせていただきました。


吾誓得仏

2010年04月25日 20時49分29秒 | 仏々相念(住職日記)
万事整えて下さり・・・

どこに参っても、どこに参ってもお荘厳整えられ待っていて下さる。
「ようお参り頂きました」と丁寧に・・・
勿体ないことです。

亡くなられた方を偲びながらお荘厳しつつも、
ご院さんは、コーラが好きだから・・・
粒あんが好きだから・・・
お休みさせて頂く度に大好きなものが出てくる、出てくる・・・

いつも思います・・・
私の知らないところで案じて下さるおはたらき・・・
私のことを案じこれらのものを手に取る瞬間を思うと本当に嬉しい!
私は忘れてばっかりなのに・・・
きっと、仏さまなのだと・・・
こんな優しさに出会う度、もうちょっとがんばってみよう・・・って。

逆に、知らないところで貶されていることもあるのでしょう・・・
こんなことは知らないままでいたいのですが・・・
考えようによっては、これもまたお育てなのでしょうが、
愚かな私は反省することもなく怒りの炎ばかり燃やしてしまいます。

どうしようもない私です。