山上の垂訓(続き)。 イエス十誡を解釈す!!
山上の垂訓は(続き)は、まだまだ続く。
<記事に無関係:落ちる日の一瞬の輝き>・・・・・・。
十誡(一般には、十戒と書く)は、聖書の基本である。その中の偶像崇拝の戒めを説く。
神は、力(フォース)なり。この言葉は重い。
しかし、難解でもある。それは三次元的に捉えるには限界があるからであろう。
この稿は、改めて、後日、考察する。本日、時間がない。
山上の垂訓(続き)。イエス十誡を解釈す。キリスト精神は十誡の精神。最初の四つの誡律の精神的意義を明らかにす。
「神は人々に十誡を与えた。モーセは山上で神の言葉を見た。彼はこれを堅い岩に書きつけた。その言葉は打ち破れない。この十誡は神の公正な面を示す。しかし今神の愛は現れ、聖気の翼にのってめぐみを持ってくる。
律法は神の統一性にもとづいて建てられた。世界全体に一つの力(フォース)がある。エホバは全能の神である。エホバは天に書き記し、モーセはこれを読んだ。
『われは全能の神なり。なんじにわが外に神あるべからず。』(出エジプト二〇・二)
力(フォース)は一、されど力に多くの面がある。これを力(パワーズ)と言う。すべての力(パワーズ)は神より出で、これが神の表現、神の霊である。
もし人がほかの力(フォース)をさがし、その社(やしろ)で拝しようと思うなら、これは空しき幻影を求むるに過ぎない。これは一位なるエホバ神の幻影であり、幻影を拝する者は壁にうつる幻影に過ぎない。それは人々はその求むる者と同様であろから。
神は人がすべて実体とならんことを欲し、恵みをもって、なんじわれの外に神を求むるなと命じた。有限な人間は決して無限なものを知ることは出釆ない。人は力(フォース)の無限者の姿を作ることは出来ない。
人々が土や木石の神を作るなら、これは影の姿を作るので、影の社に拝する者も影である。
そこでめぐみの神は、『なんじ土や木石の姿をきざんではならぬ』(出エジプトニ○・四)と言った。
かかる偶像は観念、しかも卑しい観念で、人々はおのが観念以上に高き程度のものを握ることは出来ない。神は霊である。もし神の意識に達しようとすれば、霊を以て神を拝さねばならぬ。
しかし、人は決して聖気を絵や姿あるものとすることは出来ない。人は神の名を肉の唇で語ることは出来ない。聖気によってのみその名を唱えることが出来る。
人々は虚栄心から神の名を知ると思う。しかしその言うところ、軽薄不信であるから、却ってのろわれる。もし人々が聖名(みな)を知りてこれをけがれた唇(くちびる)で語れば、生きて再びこれを語ることがないだろう。
しかし、めぐみの神は聖気をもて語ることの出来ない人々にその名を示さなかった。しかし、たわむれにその代りのものを語る者は神の前に罪を犯す。神は
『なんじみだりに神の名を語るべからず』(出エジプトニ○・三)と言った。
聖気の数は七、神は手に時の七を握る。
神は世界を造って七日目に休んだ。七日目はいつも人々のために安息日と定めた。七日目は神エホバの安息日、これを覚えて全くこれを聖きわざのために備えおき、利己的自我のためでなく、普遍な自我のために用いねばならぬ。
人々は一週六日間自我のために働き得るが、エホバの安息日に自我のために何事をもなしてはならぬ。この日は神に聖別され、人は人に仕えることによって神に仕えるのである。
【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】
第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目
第九十六章 山上の垂訓(続き)。イエス十誡を解釈す。キリスト精神は十誡の精神。最初の四つの誡律の精神的意義を明らかにす。
1)「神は人々に十誡を与えた。モーセは山上で神の言葉を見た。彼はこれを堅い岩に書きつけた。その言葉は打ち破れない。
2)この十誡は神の公正な面を示す。しかし今神の愛は現れ、聖気の翼にのってめぐみを持ってくる。
3)律法は神の統一性にもとづいて建てられた。世界全体に一つの力(フォース)がある。エホバは全能の神である。
4)エホバは天に書き記し、モーセはこれを読んだ。
5)『われは全能の神なり。なんじにわが外に神あるべからず。』(出エジプト20・2)
6)力(フォース)は一、されど力に多くの面がある。これを力(パワーズ)と言う。
7)すべての力(パワーズ)は神より出で、これが神の表現、神の霊である。
8)もし人がほかの力(フォース)をさがし、その社(やしろ)で拝しようと思うなら、これは空しき幻影を求むるに過ぎない。
9)これは一位なるエホバ神の幻影であり、幻影を拝する者は壁にうつる幻影に過ぎない。それは人々はその求むる者と同様であろから。
10)神は人がすべて実体とならんことを欲し、恵みをもって、なんじわれの外に神を求むるなと命じた。
11)有限な人間は決して無限なものを知ることは出釆ない。人は力(フォース)の無限者の姿を作ることは出来ない。
12)人々が土や木石の神を作るなら、これは影の姿を作るので、影の社に拝する者も影である。
13)そこでめぐみの神は、『なんじ土や木石の姿をきざんではならぬ』(出エジプトニ○・四)と言った。
14)かかる偶像は観念、しかも卑しい観念で、人々はおのが観念以上に高き程度のものを握ることは出来ない。
15)神は霊である。もし神の意識に達しようとすれば、霊を以て神を拝さねばならぬ。
16)しかし、人は決して聖気を絵や姿あるものとすることは出来ない。
17)人は神の名を肉の唇で語ることは出来ない。聖気によってのみその名を唱えることが出来る。
18)人々は虚栄心から神の名を知ると思う。しかしその言うところ、軽薄不信であるから、却ってのろわれる。
19)もし人々が聖名(みな)を知りてこれをけがれた唇(くちびる)で語れば、生きて再びこれを語ることがないだろう。
20)しかし、めぐみの神は聖気をもて語ることの出来ない人々にその名を示さなかった。
21)しかし、たわむれにその代りのものを語る者は神の前に罪を犯す。神は
22)『なんじみだりに神の名を語るべからず』(出エジプトニ○・三)と言った。
23)聖気の数は七、神は手に時の七を握る。
24)神は世界を造って七日目に休んだ。七日目はいつも人々のために安息日と定めた。
25)七日目は神エホバの安息日、これを覚えて全くこれを聖きわざのために備えおき、利己的自我のためでなく、普遍な自我のために用いねばならぬ。
26)人々は一週六日間自我のために働き得るが、エホバの安息日に自我のために何事をもなしてはならぬ。
27)この日は神に聖別され、人は人に仕えることによって神に仕えるのである。
【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling 】
SECTION XVI
AIN
The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus
CHAPTER 96
The Sermon on the Mount,
continued. Jesus considers the Ten
Commandments.
The philosophy of Christ. The spirit of
the Commandments. Jesus unfolds
the spiritual aspects of the first four Commandments.
GOD gave the Ten Commandments unto men; upon the mountain Moses
saw the words of God; he wrote them down on solid rock; they cannot be
destroyed.
2) These Ten Commandments show the justice side of God; but now the love of God
made manifest brings mercy on the wings of Holy Breath.
3) Upon the unity of God the law was built. In all the world there is one
force; Jehovah is Almighty God.
4) Jehovah wrote upon the heavens and Moses read,
5) I am Almighty God and you shall have no God but me.
6) There is one force, but many phases of that force; these phases men call
powers.
7) All powers are of God; and they are manifests of God; they are the Spirits
of our God.
8) If men could seem to find another force and worship at its shrine, they
would but court illusion, vain,
9) A shadow of the One, Jehovah, God, and they who worship shadows are but
shadows on the wall; for men are what they court.
10) And God would have all men to be the substance, and in mercy he commanded,
You shall seek no God but me.
11) And finite men can never comprehend infinite things. Man cannot make an
image of the Infinite in force.
12) And when men make a God of stone or wood or clay they make an image of a
shade; and they who worship at the shrine of shades are shades.
13) So God in mercy said, You shall not carve out images of wood, or clay, or
stone.
14) Such idols are ideals, abased ideals, and men can gain no higher plane than
their ideals.
15) The God is Spirit, and in spirit men must worship if they would attain a
consciousness of God.
16) But man can never make a picture or an image of the Holy Breath.
17) The name of God man may not speak with carnal lips; with Holy Breath alone
can man pronounce the name.
18) In vanity men think they know the name of God; they speak it lightly and
irreverently, and thus they are accursed.
19) If men did know the sacred name and spoke it with unholy lips, they would
not live to speak it once again.
20) But God in mercy has not yet unveiled his name to those who cannot speak
with Holy Breath.
21) But they who speak the substitute in idle way are guilty in the sight of
God, who said,
22) You shall not take the name of God in vain.
23) The number of the Holy Breath is seven, and God holds in his hands the
sevens of time.
24) In forming worlds he rested on the seventh day, and every seventh day is
set apart as Sabbath day for men. God said,
25) The seventh is the Sabbath of the Lord thy God; remember it and keep it wholly
set apart for works of holiness; that is, for works not for the selfish self,
but for the universal self.
26) Men may do work for self upon the six days of the week; but on the Sabbath
of the Lord they must do naught for self.
27) This day is consecrated unto God; but man serves God by serving man.
【続く】